近隣の国から、日本人が “嫌な人” イメージで
見られていることを確認させるような報道が続く中で
うれしいニュースを見つけました。
先月ブータンのパロという町に、日本人男性(故西岡さん)の
栄誉をたたえる記念館(資料館)が開館されたという記事です。
西岡さんは1964年に農業技術指導者として日本から
派遣され、28年間をブータンで過ごし、コメや野菜の品種改良や
農業機械化の支援を献身的に行ったそうです。
ブータンの人々から 『農業の父』 と呼ばれ、 彼らの
生活水準を上げてくれたと感謝されているとのこと。
今年は2014年。
日本がブータンで政府開発援助(ODA)を始めてから
50年の記念に、“そういうことなら西岡さんでしょ”
とブータンが建ててくれました。
政府からの派遣といっても、彼の28年間にわたる献身や
誠意が伝わったからこその記念館です。
このように地味だけれど、グローバルな仕事があるのですね~。
ODAを略さずに書くと
「Official Development Assistance」
(オフィシャル ディヴェロプメント アシスタンス)
オフィシャルが公的な、デヴェロプメントが開発
アシスタンスが手助け。
お堅い日本語で “政府開発援助”
派遣されて手助けする人は、あくまでもアシスタントです。
リーダー及び主役ではありません。
ここら辺の立ち位置を上手くしないと、空回りの原因にも
なりかねないのでしょう。
若い頃は発展途上国への青年協力隊の仕事には
全く興味がありませんでした。
今にして思えば、
選択肢の一つにしてもよかったのかもしれません。
しかし、今となっては無理です。
トイレを始め水回り関連の充実は・・・
私にとって、譲れなくなってきていますので。
見られていることを確認させるような報道が続く中で
うれしいニュースを見つけました。
先月ブータンのパロという町に、日本人男性(故西岡さん)の
栄誉をたたえる記念館(資料館)が開館されたという記事です。
西岡さんは1964年に農業技術指導者として日本から
派遣され、28年間をブータンで過ごし、コメや野菜の品種改良や
農業機械化の支援を献身的に行ったそうです。
ブータンの人々から 『農業の父』 と呼ばれ、 彼らの
生活水準を上げてくれたと感謝されているとのこと。
今年は2014年。
日本がブータンで政府開発援助(ODA)を始めてから
50年の記念に、“そういうことなら西岡さんでしょ”
とブータンが建ててくれました。
政府からの派遣といっても、彼の28年間にわたる献身や
誠意が伝わったからこその記念館です。
このように地味だけれど、グローバルな仕事があるのですね~。
ODAを略さずに書くと
「Official Development Assistance」
(オフィシャル ディヴェロプメント アシスタンス)
オフィシャルが公的な、デヴェロプメントが開発
アシスタンスが手助け。
お堅い日本語で “政府開発援助”
派遣されて手助けする人は、あくまでもアシスタントです。
リーダー及び主役ではありません。
ここら辺の立ち位置を上手くしないと、空回りの原因にも
なりかねないのでしょう。
若い頃は発展途上国への青年協力隊の仕事には
全く興味がありませんでした。
今にして思えば、
選択肢の一つにしてもよかったのかもしれません。
しかし、今となっては無理です。
トイレを始め水回り関連の充実は・・・
私にとって、譲れなくなってきていますので。