彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『新修 彦根市史』第三巻

2009年03月13日 | 書籍紹介
2009年3月10日、『新修 彦根市史』の八冊目の配本となる第三巻(通史編 近代)が発売されました。

今回の巻は井伊直弼が彦根藩主に就任した嘉永3年(1850)から、太平洋戦争が終わる昭和20年(1945)までの彦根の歴史が綴られています。

彦根では井伊直弼が暗殺される桜田門外の変までの話はよく話題に上っても、その後にどのような立場に彦根藩がいて、新政府とどうやって関わっていったのかを語られる事はほとんどありません。


そして、明治維新の功労者で明治初期から戦前まで居た薩長系の元老職の方々が作った「井伊直弼は吉田松陰を殺したし、違勅開国したから悪人」という評価を受けて彦根市民が「みんなそう言うから直弼は悪人なんだ」と勝手に納得している節があります。
それが現在の彦根市民や彦根の子どもたちが井伊直弼の本当の姿を知らない結果にもなっています。
せっかくの歴史があるのに勿体ないです。

このブログでも応援している『井伊直弼と開国150年祭』ですが、その直弼像は「チャカポン」と開国しか浮かんでこないのも地元市民のレベルです。


では、直弼は何をしたの?
何故暗殺されなければいけなかったの?
直弼が死んだ後の彦根藩って?
そして彦根人は明治をどう生きたの?
彦根の地場産業の誕生は?
彦根の教育は?
戦争と言う暗い時代を彦根市民はどうやって生き抜いたの?

などなど、150年祭開催期間だからこそふさわしい彦根の本当の意味で激動150年の前半分を教えてくれています。
彦根市民が今まで殆ど見てこなかった時代だからこそ、この機会とイベント開催中に見て欲しいですね。
昔の彦根市民は直弼や井伊家を検証する為に今とは比べ物にならない位に本気で動いている様子もうかがえます。
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井伊家が舞台の小説『獅子の系譜』

2008年01月15日 | 書籍紹介
井伊直政を主人公にした歴史小説です。

直政以前の井伊家の歴史から始まって、幼い頃の直政の境遇がその性格を作っていく様子が所々に出てきて、千年と言われる名家井伊家の歴史がよく分かり、その上で井伊家の生まれたからこそ受ける直政の茨の人生が深く丁寧に描かれていますよ。


関ケ原前の武断派七将三成襲撃事件で、石田三成が徳川家康の伏見屋敷に逃げたのではなく、自らの屋敷に逃げた話などの新しい解釈も入っていますが、根本資料を井伊達夫さんの『井伊軍誌』から引っ張っていて、ここから引用した旨の記述が何度も出て来ることから『井伊軍誌』を小説化した様にも見えていました。

でも、この本がなかなか手に入らない事を考えるとこれから井伊直政を極めたい方には手軽に入る資料となるのではないでしょうか?
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彦根が舞台の小説『つばめ』

2007年10月03日 | 書籍紹介
“日韓交流フェスタin彦根”に先立って、朝鮮と彦根を舞台にした小説をご紹介します。

タイトルは『つばめ』
著者:ジェームス三木


元々は舞台ミュージカルとして演じられていた物を小説として上梓された作品です。


主人公は30歳の彦根藩士・水島善蔵
善蔵は井伊直政に小姓として重用されていたのですが、治水や土木の才を見込まれて作事方に就いている130石の武士です。
直政が亡くなった時に、その側室だったお燕を拝領妻(家臣に下げ渡された妻)としていました。お燕は22歳。
拝領妻という事を鼻にかけず水島家に尽くす何でも率先してする奥さんでした。

善蔵とお燕はとても仲睦まじい夫婦だったのです。


時代は江戸時代初期。
彦根藩では佐和山城を廃城にして彦根城築城が行われ、善蔵も彦根城築城に作事方として参画していましたがそんな忙しい中でも二人の間には息子(一太郎)が生まれたのです。


そんな彦根城築城が落ち着いた慶長11(1606)年末(一太郎が生まれたのは秋)、水島善蔵は翌年に来る朝鮮通信使の接待準備を命じられたのでした。


この朝鮮通信使が彦根に入り藩の接待を受けた時、お燕が朝鮮の踊りを披露したのです。
そんなお燕を見て、堂上訳官・李慶植が「チョビ!」と叫び、お燕は動揺したのです。


実はお燕は豊臣秀吉の唐入りの時に日本兵にさらわれ、伊予大洲で機織の仕事をさせられたのですが、藤堂高虎が伏見の秀吉に献上した女性だったのです。
秀吉は病の為、お気に入りの井伊直政にお燕を与え直政は側室に迎えたのでした。

そして李慶植はお燕の朝鮮での夫だったのです。


朝鮮通信使の来日の目的は「秀吉に連れ去られた朝鮮人の全員の帰国」を幕府に主張する事でした。
この通信使を接待する善蔵と二人の夫の間で揺れるお燕。

そして井伊家が直継派と直孝派に別れ争う中、拝領妻の解釈も重なって間に挟まれてしまう善蔵やお燕の苦しみなど見どころが沢山です。


そして通信使の事もよく解る読み易い小説ですよ。
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