王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

映画「蟻の兵隊」を見た

2006-11-29 09:23:39 | 芸能
爺のブログに「関係性」と題したブログをTBして下さる方が居る 管理人氏の視点と視線に爺は共感を覚えるが専門的な経済や労働環境の様なエントリーが中心なので爺の世迷言をTB返しする機会が無い

過日のTBに「蟻の兵隊」を見ての感想とその上映映画館を紹介して下さったのでかねて見たいとは思って居たのでブログの縁と思い見てきた
 
映画はドキュメンタリーで奥村和一さん(お元気なら今82歳位)という元日本軍の兵隊さんが主人公である
日本が昭和20年8月戦争に負けて武装解除、捕虜、復員となった所を北支派遣軍第一軍の兵隊の一部は澄田らい(貝偏に来る)四郎軍司令官の命令で国民党袁錫山の部隊に武装したまま合流を命じられる
戦後4年の共産党との内戦を戦い2600名の部隊は500余名の戦死者を出し共産軍の捕虜となり更に5年の捕虜生活を送る
昭和29年帰国すると日本兵の身分は自由意志で残留したとの理由で軍人恩給が支給されない
このことを不満に思う奥村氏と生還した仲間の有志が訴訟を起こし最高裁で控訴棄却になる迄を縦糸にしている

その折節に訴訟の為集まる戦友の様子や証拠集めに山西省の各地を訪問する場面又奥村氏の家庭の様子、靖国神社のカットバックが横糸で入る

山西省寧武県?地方政府の公文書館で「当時の部隊参謀が部隊残留の目的は日本軍の勢力を残し後日の反攻の核とする趣旨の文書並びに部隊での日本式の祝祭日とそれに伴う式典・行事」を記した文書を見つけ奥村氏他の記憶だけでなく日本軍は命令で2600人を残した事を縷々語る

又その近くで初年兵のとき初年兵教育の肝試しと称し中国人捕虜の刺突(しとつ? 銃剣でさす事)で殺した時の恐ろしさを語り現地で線香を手向ける

その反面上手く逃げる事のできた中国人の子孫との面談で「国民党側の警備員なのに碌に共産軍と戦いもせずに逃げた事」を非難したり「中国人同士は死ぬまで戦わない」と責めていた
随伴の日本人が「殺したのが罪の無いお百姓で無かったので気が軽くなったのでは?」と水を向けられると「思わず旧日本軍の兵隊に戻ってしまって教育とは恐ろしい でも幾らか気が楽になった部分も---」率直に語る場面が印象に残った

山西省公文書館では「澄田らい四郎が仮名を名乗り戦犯追及を避け日本にも戻る事を保障する」国民党袁錫山の身分証明書(のコピー?)を見つける そこでも援軍を要請に行くと言って帰国してかつ部下の兵隊が残ったのは命令でないと証言した軍司令官の卑劣さを語る
その一方で「捕虜収容所で書かされた調書を見つけその中で自分の同僚も含め殺人強姦放火」等鬼畜の所業をした事を思い出す
最後には日本軍に拉致され強姦され金で買戻しを要求された中国人被害者の老婦人との面談が入る
何とも忌まわしい触れたくない触れられたくもない事実が数々淡々と流れる

最高裁の判決は控訴棄却 法廷さえ開かれなかった様だ
この後奥村氏の活動は「戦争とはいかにむごい物であるか」を命ある限り語り継ぐ事に執念を燃やしているように思える
とても重い映画です 興行的にとても成功とは思えませんが各地で自主上映中です
一見の価値があります 機会があれば是非見てください

歴史的背景、当事者の言葉、日本軍の性向、中国に残る断片的文献などを総合的に判断すれば奥村和一氏他旧日本兵は命令で残留させられたと認定するのが妥当でしょう
証拠が無いとか被告の利益に影響ないとか裁判上の理由は有るかもしれません
爺はこれまでにも書いてきましたが戦後の日本は「三権分立」は良いのですが相互監視という事で司法判断がでると行政側は介入できません
本当は「三権」の上に日本国(内閣でない)総理大臣を置き三権の調整をするか日本国総理大臣の裁定で「日本兵と認める」様な政治体制にして行かないと道義が無い国になってしまいます
関係者は85歳±ですから国はもう数年ほほ被りすれば事態は自然消滅です 行政に限らず「三権」の不作為は良くありません

爺は何で「蟻の兵隊」というのかとても興味がありました
終戦で国に帰りたかったのにと奥村氏他も語ります しかし当時は上官の命令は「天皇陛下の命令」と教育を受けてきた訳です 仕方なく受け入れたのです
でも軍の命令であった事さえ否定されただ目の前に現れる物には考える事無く襲い掛かる まるで「蟻の兵隊」のようだと奥村氏は思った様に思えました
本を読んだ方は奥村氏はどう考えたのか教えてください
写真:靖国神社での奥村氏
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする