王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

万波医師 病気腎移植

2006-11-07 08:22:46 | 社会
腎移植「正しい」と強調 呉の医師、万波氏と「師弟」(朝日新聞) - goo ニュース

宇和島市徳洲会病院の万波医師に関わる話題が尽きない
10月の初め腎臓を提供したのに礼金を払わないとドナーが患者(レシピエント)を訴えたので執刀医の万波医師の名前が出た

万波先生は金銭収受には関係してないがドナーとレシピエントの関係確認に手抜きが有った様でまあそれは以後気をつけるとの事で終わるかと思っていた

ところがその後宇和島徳洲会関連で11件も病気腎の移植があった事が話題になってきた
爺は思った:
-素直な考え;病気の腎臓なんか移植されかえって具合が悪くならないか?
特に腎ガンの腎臓なんか移植されて

-それでも今の腎臓では機能的にどうしようもない所に来ているので病気の腎でも例えば健康な腎の50%位の機能があればそれも一つの考え方かも
-捩れた考え:
-実は腎臓が病気だといっているがその腎臓は問題がない 腎臓は二つあるからドナーも死ぬ事がない

病気腎の移植について万波医師は「移植用の臓器は圧倒的に足りないのであるから病気腎を廃棄するには忍びない 捨てるものを利用しているだけ」との主旨の記者会見をしているのを見た
一寸見には正しく聞こえるがそうであろうか 腎臓の出し手と受け手の間に「捨てる物だけど」を前提で「インフォームド コンセント」が正しくなされていた様に思えない

万波先生は日本に於ける腎移植の大家或いは「神の手」と自負し人にも持ち上げられているうちに「全能感(この為なら何でもできる、して良い)」をもってしまったのではないだろうか

更に今月になって15年以前の病気腎移植まで明るみに出てきた
爺の様な素人から見れば「腎動脈」が問題な場合、腎臓という臓器が病気と言えるのかというケースも腎臓が摘出され移植に供された様だ
又臓器の提供が病院のネットワークとか師弟間、兄弟間等密室化した中ででやり取りされた 臓器移植の斡旋機関抜きと言う点も学会の移植倫理基準に抵触するか否か検討の必要があるだろう

万波先生とその周辺の方は「目的が正しければ何でもできるという短絡した発想を直しなければいけない」

朝日新聞:
どこまで広がるのか。宇和島徳洲会病院の万波誠医師(66)が手がけていた病気腎移植が、広島県呉市でも別の医師により実施されていたことが新たにわかった。時期はすでに判明した11件よりも十数年さかのぼる91年だった。鹿児島市では万波医師が現地に出向き、病気の腎臓を摘出し、移植していたことも判明。それぞれの手術にかかわった医師は、いずれも万波医師と移植手術をしたり、過去に職場をともにしたりした「万波人脈」のメンバーだった。

 呉共済病院の光畑直喜・泌尿器科部長(58)は6日午後5時半から、中山浩・事務部長(49)とともに病院会議室で記者会見を開いた。91年に動脈瘤(りゅう)の腎臓を75歳の男性患者から摘出し、腎不全の44歳の男性患者に移植したことを認め、「当時は学会の常識を破るような移植だった。正しいことをやった」「技術的な後ろ盾があるのでできた。功名心でやったわけではない」などと強調した 抜粋終わり
コメント (28)
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