王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

「体験的本多勝一論」を読む

2007-10-11 08:01:19 | 本を読む
昨日10月10日は昔なら体育の日、朝は曇りがちでしたが昼にかけて晴れ上がりやや風があるものの秋日和となりました。さすが気象上の特異日で「この日は晴れ」でしたよ。

散歩してよし、店番の合間に読書してよし、読み切れぬまま夜に読書良しの一日でした。

殿岡昭郎(とのおかてるお)氏は本多氏の著作「ベトナムはどうなっているか(1978年)」の記述の一部に対し鋭い批判をする。何度かミニコミ誌や雑誌に同様の趣旨を発表した後、1981年「諸君!5月号(文芸春秋)」に同様の趣旨を記載した「今こそベトナムに平和を」について1984年本多氏より訴えられる。
1998年最高裁で本多氏の訴えが棄却され殿岡氏の勝訴が確定されるが「諸君」掲載より17年3ヶ月、殿岡氏の人生の3分の1は裁判に費やされた。

さて争点は何であったのでしょう?
朝日新聞の売れっ子記者本多勝一氏:爺もベトナム戦争前後にずいぶん感激しながら新聞記事や本を読み漁ったものでした。
本多氏は上記「ベトナムはどうなっているか(1978年刊行)」の中で「1975年サイゴン・デルタのカントー市で僧と尼僧12名の焼身自殺事件について堕落と性的腐敗による失火で焼死」と紹介する。
たまたま大学院卒業後政治学の分野で大学教授を務めていた殿岡氏は当時の状況下で東アジアとりわけベトナムに付き関心が深く、1979年ボートピープルの取材で訪米し、「焼身自殺がベトナム政府の仏教弾圧に対する抗議の死であり、焼身自殺前に12名中の先師が勤行の後、仏教を守る為自ら進んで自殺する。」と宣言して死に臨んでいる事。その折の録音テープがある事。本多氏の見解は「当時のベトナム愛国仏教会の見解そのもの」である事を知る。

上記の事実に基づき殿岡氏は「本多氏の焼身自殺に関する記事を引用し、実際に取材していないのでないか? 情報の垂れ流しなのか? ジャーナリストりストとして問題は無いか? と批判をし、本多氏の話はインチキ臭い、ハノイのスピーカー、筆を折るべき」と酷評した。

「これに対し訴訟に至る前段で噴飯物の手紙のやり取りが諸君編集長とあり、訴訟に至る」

「本多氏の主張する:氏の記事に対する改ざん、捏造は退けられ、損害賠償は発生しない」「インチキ臭い云々は適切ではないが殿岡氏の主張との関係から見れば許容の範囲内である。」として地裁、高裁、最高裁とも三連勝したというお話。

分かりにくい裁判話が主題の割にはよく整理されていて読みやすい内容です。
殿岡氏の頭の中がいつも整理されているのでしょうね。又雑誌の編集長といえ「記事の取捨選択には大変な見識と起きた結果についてビビラない態度に感心した次第です」

訴訟前、本多氏が殿岡氏の勤務していたが東京学芸大学に「公開質問状」を送る件で古い記憶が蘇りました。
本多氏は1975年以前に「イザヤ・ベンダさんの日本教について」のなかでベンダさんに公開質問状を送り「中国の旅で書いた100人斬りの真贋」についてコテンコテンにジャーナリストとしての資質を批判されていました。
そんな事があって爺の本多氏に対する尊敬とか憧憬の様なものは薄れて行ったのでした。少しは大人になったというか朝日新聞や本多氏の記事でも「本当かなーと身を引いて一寸考える余裕が出たのかも知れません」
その影で殿岡氏の様なご苦労もあったのですね。
秋の夜長、一読をお奨めします。
2003年 日新報道発行 体験的本多勝一論 殿岡昭郎著
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする