黒川紀章氏死去=建築家、世界中で作品手掛ける (時事通信) - goo ニュース
黒川紀章氏(73歳)が急逝されたそうです。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
爺の様な市井の人間と黒川氏の様な有名人とは当然ながら何の接点もありません。
若くして建築家として国の内外に名を馳せその昔女優の若尾文子さんを嫁さんに貰ったよなー程度の認識でした。
突然今年になって東京都知事選の候補者として立候補し世間を騒がせました。もちろん爺も何でーと訝りましたよ。 もちろん結果は惨敗。
金は200億円位あるとどこかで言ったそうで「金のある人が自分の金を使ってくれれば周辺は潤う」と喜んでいました。
そこでやめておけばお笑いでしたが、夏には参議院議員選挙に共生新党を立ち上げ奥様の若尾文子さんも巻き込んでの立候補となりました。
これもご存知惨敗です。
爺に言わせれば「功なり名を遂げたお方」なのですから悠々自適の生活良し、どうしても政治に興味があれば野にいても出来る事はあります。
200億円もあれば「日本国の50年後をシュミレーション」する様なシンクタンク(研究所)を作ったり黒川政治塾を立ち上げ有為の若者に政治教育を施し黒川氏の理想或いはその一部)を市政、都政の場で実現させる等‥
表現は適切でないかもしれませんが、黒川氏の体がもう長く持たない事を感知して、老木に花が咲いたり実がなったりする様に狂い咲きをして最後を迎えた様にも見えます。
最後は奥様に「至らぬ妻で」と語りかけられると「そんな事、そんな事(ない)」と返事されたそうで一寸うるうるする話ですね。
少し若い気がしますが、ご本人はやりたい事の全てをやったのですから満足かも知れません。
合掌
時事通信:写真とも
「国立民族学博物館」など国内外の有名建築物を設計した建築家で、文化功労者の黒川紀章(くろかわ・きしょう)氏が12日午前8時46分、心不全のため、東京都内の病院で死去した。73歳だった。葬儀は密葬で行う。喪主は妻で女優の若尾文子(わかお・あやこ、本名黒川文子)さん。
名古屋市出身。京大卒業後、東大大学院に進み、世界的建築家の故丹下健三氏に師事した。1962年に建築都市設計事務所を開設し、建築家としての本格的なキャリアをスタート。建築にも新陳代謝が必要だとする「メタボリズム」を提唱したほか、「共生の思想」を掲げ、歴史と未来、異質な文化の衝突や融合が生む新たな建築文化の創造を主張した。国内の代表作に「国立文楽劇場」「ソニータワー」「中銀カプセルタワービル」「国立新美術館」などがある。既成概念にとらわれない自由な発想は海外でも高く評価され、20カ国以上が設計を依頼。カザフスタンや中国鄭州の新都市計画、マレーシアのクアラルンプール新国際空港など、大掛かりな国家プロジェクトにも参画した。このほか、「ゴッホ美術館新館」(オランダ・アムステルダム)などを手掛けた。
歯に衣(きぬ)着せぬユニークな言動でも知られ、テレビのワイドショーのコメンテーターなどとしても活躍した。また「共生新党」を立ち上げ、今年4月の東京都知事選に立候補したが落選。7月の参院選にも出馬したが、再び落選するなど、近年は本業以外の活動が話題になることが多かった。(引用終わり)
黒川紀章氏(73歳)が急逝されたそうです。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
爺の様な市井の人間と黒川氏の様な有名人とは当然ながら何の接点もありません。
若くして建築家として国の内外に名を馳せその昔女優の若尾文子さんを嫁さんに貰ったよなー程度の認識でした。
突然今年になって東京都知事選の候補者として立候補し世間を騒がせました。もちろん爺も何でーと訝りましたよ。 もちろん結果は惨敗。
金は200億円位あるとどこかで言ったそうで「金のある人が自分の金を使ってくれれば周辺は潤う」と喜んでいました。
そこでやめておけばお笑いでしたが、夏には参議院議員選挙に共生新党を立ち上げ奥様の若尾文子さんも巻き込んでの立候補となりました。
これもご存知惨敗です。
爺に言わせれば「功なり名を遂げたお方」なのですから悠々自適の生活良し、どうしても政治に興味があれば野にいても出来る事はあります。
200億円もあれば「日本国の50年後をシュミレーション」する様なシンクタンク(研究所)を作ったり黒川政治塾を立ち上げ有為の若者に政治教育を施し黒川氏の理想或いはその一部)を市政、都政の場で実現させる等‥
表現は適切でないかもしれませんが、黒川氏の体がもう長く持たない事を感知して、老木に花が咲いたり実がなったりする様に狂い咲きをして最後を迎えた様にも見えます。
最後は奥様に「至らぬ妻で」と語りかけられると「そんな事、そんな事(ない)」と返事されたそうで一寸うるうるする話ですね。
少し若い気がしますが、ご本人はやりたい事の全てをやったのですから満足かも知れません。
合掌
時事通信:写真とも
「国立民族学博物館」など国内外の有名建築物を設計した建築家で、文化功労者の黒川紀章(くろかわ・きしょう)氏が12日午前8時46分、心不全のため、東京都内の病院で死去した。73歳だった。葬儀は密葬で行う。喪主は妻で女優の若尾文子(わかお・あやこ、本名黒川文子)さん。
名古屋市出身。京大卒業後、東大大学院に進み、世界的建築家の故丹下健三氏に師事した。1962年に建築都市設計事務所を開設し、建築家としての本格的なキャリアをスタート。建築にも新陳代謝が必要だとする「メタボリズム」を提唱したほか、「共生の思想」を掲げ、歴史と未来、異質な文化の衝突や融合が生む新たな建築文化の創造を主張した。国内の代表作に「国立文楽劇場」「ソニータワー」「中銀カプセルタワービル」「国立新美術館」などがある。既成概念にとらわれない自由な発想は海外でも高く評価され、20カ国以上が設計を依頼。カザフスタンや中国鄭州の新都市計画、マレーシアのクアラルンプール新国際空港など、大掛かりな国家プロジェクトにも参画した。このほか、「ゴッホ美術館新館」(オランダ・アムステルダム)などを手掛けた。
歯に衣(きぬ)着せぬユニークな言動でも知られ、テレビのワイドショーのコメンテーターなどとしても活躍した。また「共生新党」を立ち上げ、今年4月の東京都知事選に立候補したが落選。7月の参院選にも出馬したが、再び落選するなど、近年は本業以外の活動が話題になることが多かった。(引用終わり)