24日米インテルの共同創業者で「ムーアの法則」の提唱者として知られる「ゴードン・ムーア氏が米ハワイ州の自宅で死去した」と報じられました。
浜爺はゴードン・ムーア氏について何を知っているわけでもありません。
この記事を読んで改めて随分と半導体のお世話になっているもんだと感じました。
家電の炊飯器、洗濯機、冷蔵庫、掃除機やエアコン等に加えお世話になっているスマホも書き落としてはいけません。そして”この文章を書いているPCも”インテル入ってる”で半導体が無くてはなりません。
この報道で思い出しましたが、半導体(俗にいうICチップ)の前がトランジスタでした。浜爺の若い頃はトランジスタラジオが小型で高性能で大いに流行りました。若い女性歌手が「♪ 私の持ってるポケットトランジスタ(ラジオ)、毎日ヒットパレード聞くのーー ♪」なんて歌謡曲が大流行りでした。又その後でもソ連の戦闘機が函館に亡命した時には「ロシアの最新戦闘機がまだ真空管を使っている」と驚かれたとき米国の機材はトランジスタで管制されていました。
最近でもウクライナやロシアのドローンを始め多くの兵器が半導体で管制されていて、両国とも不足分は日本の家電の半導体を流用とか言われるくらい汎用されている様です。
当たり前すぎて気が付きませんでしたが、本当に民生でもお世話になりました。
安らかにお休みください。 合掌
写真:ゴードン・ムーア氏
日本経済新聞:
【シリコンバレー=佐藤浩実】米インテルの共同創業者で「ムーアの法則」の提唱者として知られるゴードン・ムーア氏が24日、米ハワイ州の自宅で死去した。同氏の設立した財団とインテルが発表した。94歳だった。
ムーア氏は長年の同僚だったロバート・ノイス氏とともに1968年にインテルを設立した。電子機器の「頭脳」にあたるマイクロプロセッサーを開発し、世界的な半導体メーカーに飛躍する礎を築いた。79〜87年まで会長兼最高経営責任者(CEO)を務め、その後も97年まで会長、2006年まで名誉会長として、インテルの最盛期を支えた。
1965年に業界誌への寄稿で半導体の飛躍的な進化を予測し、ムーアの法則と呼ばれるようになった。当初は「半導体の集積度は毎年2倍になる」といった内容で、75年に「2年ごとに倍増する」との見方に更新した。
インテルによれば、ムーア氏の真意は「半導体の集積度を高めることで、すべての電子機器をより安くできるというメッセージを伝えることだった」という。ムーアの法則は長きにわたり、半導体やIT(情報技術)産業の技術革新における指針となった。
ムーア氏は1929年に米西部サンフランシスコで生まれ、カリフォルニア大学バークレー校などで学んだ。トランジスタを開発したウィリアム・ショックレー氏の半導体研究所でノイス氏に出会い、同氏らと57年にフェアチャイルドセミコンダクターを設立。その後のインテルの発足につながった。
インテルのパット・ゲルシンガーCEOは「ムーア氏は洞察力と先見性によってテクノロジー産業を定義した。トランジスタの力を明らかにすることに貢献し、数十年にわたって技術者や起業家に着想を与えた」と声明を出した。米国半導体工業会(SIA)は「彼の死は一つの時代の終わりを意味するが、遺産は永遠に生き続ける」とつづった。
ムーア氏の描いたビジョンは半導体業界を超えて、テクノロジーに関わる多くの人たちに影響を与えた。アップルのティム・クックCEOは「シリコンバレーを築いた父の一人であり、技術革命の道を開いた真のビジョナリーだった」とツイッターに投稿した。グーグルのスンダー・ピチャイCEOは「私も彼のビジョンに影響を受けた一人だ」とした。
〈以下省略)