2009年から九州に行くと必ず?立ち寄っていた「玖珠」道の駅。
「玖珠」は「阿蘇」に抜ける中継地になるため、車中泊も、よくさせてもらった。
正確には、道の駅「童話の里くす」という。
どこから「童話の里くす」の名称がついたのか?ずっと疑問だったが、今回、ブログ記事にするために調べてみたら、玖珠にある「伐株山(きりかぶやま)」が「童話の里」の由来とわかった。「伐株山(きりかぶやま)」とは、玖珠の真ん中に鎮座している大きな山で、木を切った時に出来る「切り株(きりかぶ)」状の山の名前。
(↑春の伐株山(きりかぶやま)この写真は、玖珠のHPより)
伐株山とは(↓以下は、玖珠のHPより抜粋の文章)
(きりかぶさん、きりかぶやま)は、大分県玖珠郡玖珠町の耶馬日田英彦山国定公園内にある標高685.5mの山。
メサ(卓状台地)のうちでも浸食が進んだビュートと呼ばれる地形であり、二重メサの万年山(標高1,140.3m)とともに玖珠町のシンボル的な存在である。
『豊後国風土記』によると、玖珠(くす)という地名は、かつてこの地にあった大きな楠(くす)に因むものであるという。そして「伐株山(きりかぶやま)」は、大楠(おおくす)の木陰となって日が当たらずに困った住民がこの大樹を切り倒した後の切株であるという伝説がある。
●その昔、玖珠(くす)には天にも届きそうな楠(くす)の大樹が聳え立っていた。雲の上までのび朝日があがるときは、有明海までその影が届き、夕日を隠して四国まで影がかかる大木だった。玖珠の村は一年中陽が当たらないため、田畑の作物は育たず、村人も次々と病気になって大層困っていた。そこで身の丈九百尺もある大男に三年三ヶ月かけてその大木を伐ってもらうと、それからは陽も当たり、豊かな作物も育ち、村人は今日まで豊かに暮らしているという。
●楠の大樹が倒れた時、たくさんのできごとがあった。湖の淵が崩れて水がひた村(日田市)、どんなに大きくてもここまでは来るめー(久留米市)、その長い先っぽ(長崎市)、鳥の栖が落ちたところ(鳥栖市)、落ちた葉っぱの形(博多)、小さくクラっと揺れた(小倉)など、あなた方の町の名前が生まれた。今でも玖珠町にはこの伝説の証拠に、伐株山がそびえている。おしまい、おしまい。
玖珠(くす)の、もう一つの山 「万年山(はねやま)」とは
玖珠町の南に位置する「万年山(はねやま)」は、玖珠町の耶馬日田英彦山国定公園内にある標高1,140.3mの山。
玖珠盆地の南にあり、全国的にも珍しい上下二段からなる“二重メサ”で知られている。
上バネと呼ばれる山頂は東西に5km、南北に1kmの前バネからなり、下部卓面は、前期更新世末の下万年山溶岩からなる。上下2段の卓上台地をもつ日本で第1級の“メサ”地形で、「日本の地質100選」にも選定されている。大きさは、西北西から東南東に約9km、北北東から南南西にかけて約4km。高度は東南東端の最高点が940kmであり、西北西に次第に高度を下げて約580mとなっている。
卓面の上面はゆるやかな起伏をもった平坦面であり、万年山牧場、吉武台牧場などがある高原。
5月~6月には、群生する「ミヤマキリシマ」「ドウダンツツジ」が開花し、訪れた人の目を奪う。
毎年5月の最終日曜日には、盛大な「山開き」が催され、多くの登山客で賑わう。
山頂からは、くじゅう連山、津江山系、英彦山や阿蘇火山群等、360度の展望が楽しめる。
我々は、「玖珠の道の駅」には、いつも2月中旬(プロ野球の宮崎キャンプ視察に行く途中)立ち寄っていた。そのため、本当にいい季節の「万年山(はねやま)」の自然をあまり知らない。今になって、少し残念に思う。
伐株山(きりかぶやま)・万年山(はねやま)
玖珠盆地の山々はメサ(伐株山、万年山、大岩扇山、青野山など)、ビュート(川上岳、角埋山)と呼ばれるテーブル上の形をしたものが多く見れらます。玖珠町のようにメサ地形やビュート地形の山々が集まったところは、大変めずらしく、日本中どこを探しても他にはありません。
鳥栖ジャンクションから、大分道に入って・・山の上に
大きな赤鬼さんが歓迎してくれます。そしてインターを
折りますと・・桃太郎さん一行のお迎え、そしてすぐに
道の駅です。そこから黒川へ行くときもあれば小国から
山道で竹田に出ることも・・山の中ですがその割に
多方面の道路選択肢のある玖珠インターでしたが
最近は、息子が宮崎から大分県の中津に転勤していて
今は中津から耶馬渓を抜けて日田に出る工事をしています
懐かしい写真を・・ありがとうございました。
温泉県、長野から温泉県・大分への移動は楽しいでしょうね!!コロナが開けたら、また九州の旅レポートありかな?楽しみにしてます!!
我が家は、もう九州には行けなくなりました!!
体力的に・・