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日銀総裁、初の空席に

2008-03-19 23:00:34 | その他社会・時事
日銀総裁、空席が確定(産経新聞)

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 参院は19日正午からの本会議で、福井俊彦・日銀総裁(72)の後任に田波耕治・国際協力銀行総裁(68)を起用する政府人事案を民主、共産、社民などの反対多数で不同意とした。福井総裁は19日で任期切れとなるため20日以降、戦後初の総裁空席が確定した。武藤敏郎副総裁(64)の昇格案に続く政府人事案の不同意は福田政権にとって大きな痛手。株安・円高・原油高などによる世界金融市場の不安感は増しており、福田康夫首相の求心力はますます低下しそうだ。

 新総裁が決まるまでは日銀法の規定に基づき、政府が上席副総裁に任命するとみられる元日銀理事の白川方明・京大大学院教授(58)が総裁代行を務める方向だ。

 参院では、野党3党の反対により「田波総裁」案は不同意となったが、民主党の木俣佳丈参院議員が「日銀総裁空席は絶対によくない」と造反し、賛成票を投じた。

 また、元東大大学院教授の西村清彦・日銀審議委員(54)を副総裁に充てる人事案は賛成多数で同意された。

 これを受け、西村氏と、すでに国会同意を得ている白川氏の副総裁起用は確定した。

 一方、衆院は19日午後0時半から本会議を開き、田波、西村両氏の正副総裁案を同意した。しかし、日銀総裁人事には衆参両院の判断が異なった場合の「衆院の優越」規定はないため、総裁人事は白紙に戻った。
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最近、日本を50年間統治してきた自民党の政権担当能力の低下を示すニュースが多いが、これもそうしたニュースのひとつだろう。

財務省は、外部組織である日銀総裁をプロパーと財務省出身者のたすきがけ人事に戻したがっているようだが、財務省が日銀総裁のポストをあたかも自分の役所のポストのように位置づけている、その思考方法が改まらない限り、財政と金融の分離は不可能ではないだろうか。

そもそも、なぜ財政と金融の分離の原則が生まれたのか。
戦時中の1942年に制定された旧日本銀行法は、日銀の目的を「日本銀行ハ国家経済総力ノ適切ナル発揮ヲ図ル為国家ノ政策ニ即シ通貨ノ調節、金融ノ調整及信用制度ノ保持育成ニ任ズルヲ以テ目的トス」(第1条)と定めていた。また「日本銀行ハ専ラ国家目的ノ達成ヲ使命トシテ運営セラルベシ」(第2条)とされ、日銀はあくまでも国策遂行機関としての位置づけだった。
この戦時体制の下で、大蔵省が暴走する軍部の圧力に屈した結果、戦費を調達するために紙幣がどんどん増刷される事態が起きた。紙幣増刷が間に合わなくなると、今度は新規に国債を発行し、それをいきなり日銀に引き受けさせるという方法で戦費の調達を行った。

だが、新規発行債の日銀引き受けは、国債の購入のために日銀が紙幣を刷って代金を払うということを意味しており、結局は紙幣増刷と何ら変わらなかった。このために大インフレが起き、日本経済が崩壊する事態を招いたのである。

戦後、この反省に基づいて財政と金融の分離の原則が採り入れられた。しかし、日銀を「国家経済総力ノ適切ナル発揮ヲ図ル」ために「専ラ国家目的ノ達成ヲ使命トシテ運営」するという旧日銀法は改正されず、財政を扱う主計局と金融を扱う金融監督局が大蔵省の中に残り、大蔵官僚たちが両方の局を人事異動で行き来するという状態にもメスが入らなかった。財政と金融の分離はいわば中途半端なまま終わったわけだが、一方で財政と金融を一体のものとして運営できたことが、戦後日本の高度経済成長をもたらす要因にもなった。財政と金融の一体化は功罪両面を日本にもたらしたのである。

その後、金融庁が大蔵省から分離されたのはようやく1998年になってから。財政と金融の分離は、ここに来てやっと達成されたといえるのである。

戦時中の経緯を考えるなら、財政と金融の分離は徹底されなければならないから、日銀総裁を役所のポストの一部と考えるような人物は好ましくないと私は思う。「今までだってそれでやってきたじゃないか」という声もあるだろうが、国会がねじれ状態となっている今だからこそ、原則に忠実な人選が行われなければならないと考えるのである。その意味で、今回の日銀総裁空席は、やはり政府・与党の失態が招いた事態だといえそうである。

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