人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
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国は今こそ貨物列車迂回対策を!

【鉄ちゃんのつぶや記 第35号】国鉄闘争共闘会議第7回総会を終えて

2008-03-09 23:30:28 | 鉄道・公共交通/交通政策
 8日に都内で開催された国鉄闘争共闘会議第7回総会に参加した。

 実を言うと、今回の総会に参加するのはとても気が重かった。昨年、4者4団体が結成されて以降、国鉄闘争内部の足並みの乱れは座視できないところまで来ているからだ。以下、会場での私の発言内容をご紹介する。

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 国鉄闘争は昨年、首切り20年の節目の年の年内に解決する方針を打ち出し、諸行動を行って来ましたが、年内解決には至らず、闘いは21年目に持ち越しとなりました。

 ところで最近、4者4団体の闘い方を巡っていろいろな声が聞こえてきます。その多くは皆さんの耳にも入っていると思いますので私から繰り返すことはしませんが、「雇用・年金・解決金」の3項目が4者4団体の具体的要求となって以降、私が常々感じているのはなぜ解雇撤回ではなく雇用なのかということです。3項目の解決要求に関しては、年金の回復は解雇が撤回されなければ実現しないことから、「雇用」は「解雇撤回」を意味するとの整理がされているようですが、20年前の国鉄「改革」の時、旧国鉄職員の中には希望退職に応じて政府機関等へ移籍した人もおり、そうした人たちも年金を100%受給することができるわけですから、年金回復は厳密に言えば必ずしも現職復帰とイコールではありません。また、20年前、清算事業団職員にJR以外の職場をあっせんする(=JRから追い出す)ことが「雇用」対策と呼ばれていたことを忘れることはできません。原告団の要求は「解雇撤回」とすべきだと思います。

 20年もの長い闘いを、やりたくてやってきた人はいないと思います。みんな解決がしたいという気持ちは同じだということも理解しているつもりです。しかし、国鉄闘争の政治的位置づけは「どんな形であっても良いからとにかく解決したい」というような軽々しいものではありません。20年前、日本の新自由主義政策は民活という名の中曽根臨調路線から始まりました。20年前のあの時、その攻撃を止められなかったことが、今日、ワーキングプアといわれる労働者、とりわけ若者たちの苦しみをもたらしているからです。若者たちに生き生きと人間らしく働ける社会を引き継ぐことができなかった私たちは、若者たちに対する責任を自覚すべきだし、そのために闘う義務があります。その意味で、20年間、どんなに苦しくても休むことなく続いてきた原告団の闘いは日本の労働運動にとってかけがえのない宝物です。日本社会が、弱者切り捨て、人間性破壊の新自由主義とともに滅びるか、資本主義に代わる新たな社会モデルを構築できるかの重大な岐路にある今このときこそ、原告団は最大限の要求を掲げて闘わなければならないのです。

 原告団にとって、モデルとなりうる闘いが昨年末の薬害肝炎訴訟原告団の闘いです。彼女たち原告団は、労働組合にも市民団体にも政治党派にも属していません。なんの組織的支援もない原告団が、国民世論を味方につけることに成功し、全員一律救済とともに「政府は謝罪する義務がある」ことを法律に書き込ませるという近年まれな大勝利を得ました。

しかし、薬害肝炎原告団は何もせずにこの成果を勝ち取ったわけではありません。いつでも原則的主張を高く掲げ、どんなときでも揺らぐことなくそれを貫き通した彼女たちの闘いが政府を追い詰めたからこそ、勝利はもたらされたのです。

命がけで闘っている薬害肝炎原告団を前にしても、いかに解決金を切り縮めるかしか考えていなかった政府が、自分たちのやったことが悪いとも思っていない国鉄闘争で、みずから進んで原告団に施しをするなどあり得ません。原告団・共闘会議は、勝利解決したいなら、敵に決意と凄味を見せ付ける必要があります。「私たちを見くびらないでほしい」と言った27歳の福田衣里子さんに続かなければなりません。

繰り返しますが、私は4者4団体の枠組みが悪いと言っているわけではありません。数百万人を組織する「連合」が毎年春闘で敗北を続ける一方で、薬害肝炎原告団は組織などなくても勝てたのですから、枠組みではなく闘い方の問題だと思っています。4者4団体であれ、他の枠組みであれ、いかに決意を示すか、本気になれるかが重要です。

 2008年は、闘い方によっては国鉄闘争の納得いく解決のための第1歩を築く年にできると思います。当事者、そして現在と未来の労働者が「闘ってきて良かった」「あの闘いがあったから今があるんだ」と胸を張って総括できる解決水準でなければなりません。そのためになすべきことはまだ山ほどあり、原告団・共闘会議は今年1年、腹を括ってほしいと思います。
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 この内容で発言すべきかどうか最後まで迷ったが、自分に嘘をつくことはできないので勇気をふるって発言しようと、総会前日の夜に決意した。

 私に発言する勇気を与えてくれたのは、やはり根津公子さんの存在が大きかった。彼女がみずからの首をかけてまでファシズム教育行政と闘っているときに、首がかかってもいない自分が自分を偽ってどうする、と思ったのである。

 総会では団体会員が昨年比で3分の1近く減っている事実が報告された。「根強い国労アレルギー」があること、共闘会議の方針に賛同できず、離れた団体会員があることを指導部は認めた。13人の会員が発言したが、指導部の方針に諸手を挙げて大賛成、という発言者は私の見る限り皆無である。こんな会議を経験するのは初めてだった。

 私が発言している間、会場は雑音ひとつせず静まりかえっていた。かつて中曽根首相は「サイレント・マジョリティ(物言わぬ多数派)は自分を支持してくれている」と確たる根拠もなく豪語したが、私は中曽根のように「この沈黙は暗黙の支持なのだ」と根拠もなく思えるほど度胸はないし、無邪気でもないのでこの沈黙が奇妙で耐え難かった。周囲が自分の発言をどう見ているのかわからないまま、ただ時が過ぎていく感覚だけを感じる。そんな現実感のない空気が自分を支配しているような錯覚にとらわれた。

 総会終了後、数名の総会参加者から明確な支持表明があり、意を強くした。ただひとつ確信をもって言えることがあるとすれば、民主主義の学校はひとりひとりが自分の頭で考え、発言し、行動することから始まるということである。そのような13人の参加者たちが会場にいて、発言できる場所が確保されている限り、闘いの火が消えることはないと、今は信じたい。

(2008/3/9・特急たから)

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鹿島臨海鉄道乗車

2008-03-09 22:26:26 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
週末を利用して、鹿島臨海鉄道と一部未乗車の鹿島線に出かけてきた。
鹿島臨海鉄道は全線未乗車。鹿島線は、かつて潮来温泉に行くときに香取~鹿島神宮間は乗車している(1998~1999年頃?)が、鹿島臨海鉄道の列車に乗らなければならない末端の鹿島神宮~鹿島サッカースタジアム間が未乗車になったままだった。

東京から総武~成田線~鹿島線を乗り継ぎ鹿島神宮駅到着。鹿島線では貨物列車と交換。前回訪れたとき、鹿島線の貨物列車はDD51牽引だったが、現在はEF65牽引に変わっている。
鹿島臨海鉄道のレールバスに乗り込み、鹿島臨海鉄道を目指す。天気は抜けるような快晴。12:48に鹿島神宮を発車した列車は快調に進み、鹿島サッカースタジアムを通過。この瞬間、鹿島線完乗を達成した。

日本一長い駅名だった一畑電気鉄道(島根県)の「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」が、庭園美術館の閉館によって昔の名前に戻ったことにより、再び日本一長い駅名に返り咲いた「長者が浜潮騒はまなす公園前」(22文字)を13時ちょうどに発車した列車は14:16分、水戸に到着。臨海鉄道を名乗りながら、大洗付近で車窓遠くに大洗港のフェリー乗り場を確認した以外、海は全く見えなかった。ちょっと看板に偽りがあるような気もするが、まぁ良しとする。

水戸からは、これまた久しぶりの「スーパーひたち31号」でいわきに出て、そこから高速バスで郡山~新幹線新白河のルートで帰宅した。

結果として、鹿島線は末端区間(鹿島神宮~鹿島サッカースタジアム)1駅を乗り残した後、その1駅区間を乗るのに10年かかったことになる。長い全線乗車活動を続けていると、こんなこともある。

【完乗達成】鹿島線、鹿島臨海鉄道

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