安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
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規制緩和が生んだJR事故(国鉄闘争共闘会議パンフレット「国鉄分割民営化20年の検証」掲載)
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

ようやく沈静化した新型インフル騒動を総括する

2009-06-03 22:05:36 | その他(国内)
新型インフルエンザ騒動で冷静さを欠く日本人とメディアの異常(ダイヤモンド・オンライン)

本当に「騒ぎすぎ」だったのか (ITpro)

と、「騒ぎすぎ」「そうとは言えない」という両論をご紹介したが、説得力があるのは前者の上杉氏の言説のほうだ。やはり日本のメディアは騒ぎすぎだと思う。

2005年、「小泉新自由主義改革」信者にあらずんば人にあらずと言わんばかりの「大政翼賛選挙」の片棒を担いだマスコミの、その後の劣化は目を覆うばかりだ。

正直なところを言えば、マスコミがもっとしっかりしてくれていれば、私ごときがこのようなブログを立ち上げることもなかっただろう。私がこのブログを立ち上げ、「社会・時事」カテゴリを設けようと考えたのは、この国のマスコミの行く末に真剣な危機感を感じたからである。

「危機感」というのはこうである。すなわち、日本のマスコミは、報道がある一方に偏り始めると、徹底的に報道がその1点に集中し、それ以外のことはこの世に存在しないかのような、それ一色の報道となる。ごく最近の例だけ見ても、新型インフル騒動と、公園で酔って裸で逮捕された芸能人を巡る騒動が典型的だ。たかが芸能人の裸踊りごときを、公共放送までがトップニュースで伝えるという事態は、明らかに常軌を逸しているし、その陰で真に報道されるべき出来事が報道されなかったことによって社会が受ける損失には計り知れないものがある。さらに言えば、こうした「視聴率は取れるが物事の本質ではない部分への1点集中」が、現在の社会で最も問題とされ、あるいは議論の対象とされるべき本質的な事柄から世間の関心を逸らすための決定的な役割を果たしている点において、マスコミの罪は最も大きく、かつ深いといえるのである。

ただ、こうした「物事の本質でない部分への1点集中」が最近になって出てきた傾向かと言われれば、必ずしもそうではなく、日本のマスコミの興奮体質は昔からあった。1978年、野球界のルールを無視し、巨人が「空白の1日」を利用してドラフトの枠外で江川卓選手との契約を強行しようとした事件(いわゆる「空白の1日」事件)の際は、江川選手と巨人を追及しようとしたマスコミが興奮状態となり、ついには騒動の渦中にいるはずの江川選手本人が記者会見で「皆さん興奮しないでください」と発言するという、前代未聞の事態となったのである。

この出来事は、「怪童」と言われた江川選手の強心臓ぶりを示すエピソードとして日本社会を駆けめぐったが、一方では「正義」を振り回して上滑りするマスコミの滑稽なピエロぶりをも浮き彫りにした。日本のマスコミが「パパラッチ」化し、劣化スパイラルに入ったのは、「ロス疑惑」に関し、当時は一私人に過ぎなかった三浦和義氏(個人)を追い回すようになったあたりからだろう。

その後、今日に至るマスコミの凋落ぶりはご覧の通りである。

これまで公式に表明したことはないが、当ブログが「社会・時事」カテゴリで記事を書くときは、大手マスコミが取り上げた話題を大手マスコミと同一の論調で取り上げることはしないという大原則を持っている。大手マスコミが取り上げない出来事を取り上げる、大手マスコミと同じネタを取り上げるときは彼らと全く違った視点で論ずる。それが基本原則である。だから当ブログはマス(=多数)メディアではあり得ないし、読者はせいぜい100人もいれば充分という姿勢で臨んでいる。当ブログの試みが成功するかどうかはわからないが、「パパラッチ」化したマスコミに不満を持つ一個人によるささやかなジャーナリズム再生運動として、気概を持って進んでいきたいと思っている。

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