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福島原発告訴団、第2次告訴~この社会に当たり前の法と正義を

2012-11-24 10:32:20 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2012年12月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 長くて厳しい福島の冬がやってきた。最低気温4.3度。蒸し暑ささえ感じた6月11日の第1次告訴の日とは打って変わり、ピンと張り詰めた空気の中、前回より1ケタも多い1万3千262人の委任状を携えて、福島原発告訴団の横断幕は再び進む。

 11月15日、3か月に及ぶ告訴人集めの努力が結実した瞬間だ。

 ●奇妙な空気の中で

 「利用は1日1時間程度にしてください」――消費者金融の謳い文句ではない。福島地方検察庁からほど近いところにある信夫山公園に設置されている看板だ。福島原発事故前は、福島県内有数の桜の名所として多くの人に親しまれたこの公園は、事故後は高い放射線量の中にある。少し離れた小鳥の森公園駐車場では、今なお放射線量が1.48マイクロシーベルト(2012年10月24日9時現在)を示す。ここは、今からちょうど1年前、特定避難勧奨地点への指定をめぐって大揺れに揺れた、あの渡利地区からもほど近い場所なのだ。

 あれから1年――「避難は経済を縮小させるので、除染で対応したいと思います」。誰はばかることなく、白昼公然と「命よりカネ」優先を宣言した国・県・市挙げての棄民政策の中で、福島市内には、今、奇妙なまでの静けさと「平常」の空気が漂っている。まるであの事故などはじめから「なかったこと」ででもあるかのように。

 事故のことを口にすると、「まだそんなことを言っているのか。覚えていてもいいことなどないのだから早く忘れなさい」という声が、どこからともなく聞こえるような気がする。そんなとき、私はガリレオと同じ気分になる。地動説が正しいとわかっているのに、誰からも相手にされず、天動説にしがみつく多数派の中で宗教裁判にかけられる。しかし、誰がなんと言おうと「それでも地球は回っている」のだ。

 ●当たり前の正義を社会に

 福島県民がいちるの望みをかけた除染は1年以上経った今なおどこからも成功の報を聞かない。長い年月をかけて築きあげてきたコミュニティを維持しながら、濃密な人間関係の中で生活したいという欲求が強い福島では避難も容易ではなく、被害者が泣きながら時だけが過ぎていくのが当たり前になってしまった。

 なぜこんなことが起きているのか。なぜ逮捕はおろか捜査すら行われないのか。破壊されたふるさとを元に戻すことが難しくとも、加害者の責任を取らせることがなぜこんなにも難しいのか。福島原発告訴団は、そうした数多くの「なぜ」に答えるために生まれた。『日本政府は、あらゆる戦争、あらゆる公害、あらゆる事故や企業犯罪で、ことごとく加害者・企業の側に立ち、最も苦しめられている被害者を切り捨てるための役割を果たしてきました。私たちの目標は、政府が弱者を守らず切り捨てていくあり方そのものを根源から問うこと、住民を守らない政府や自治体は高い代償を支払わなければならないという前例を作り出すことにあります。そのために私たちは、政府や企業の犯罪に苦しんでいるすべての人たちと連帯し、ともに闘っていきたいと思います』――告訴団の結成宣言は、絶望の中から立ちあがった福島県民による「法と正義の復興宣言」だ。

 6月11日に行われた第1次告訴に関しては、本誌141号(2012年7月号)をご覧いただきたいが、福島県民・福島からの避難者に参加資格を限定しながらも、1324人の告訴人を集めた。国、東京電力関係者や御用学者など33人を業務上過失致死傷罪、人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律(公害犯罪法)違反の罪で告訴した(今回の第2次告訴では、水素爆発による原子炉建屋の破壊に対して、刑法第117条に規定する「業務上過失激発物破裂罪」を新たに加えている)。第1次告訴は、ジャーナリスト・広瀬隆さんらが昨年行った告訴、金沢市の市民団体が金沢地検で行った告訴とともに8月1日、受理された。

 この間の7月、検察当局は堺徹・東京地検特捜部長を福島地検検事正(地方検察庁トップ)とする幹部人事を実施。告訴受理後の8月には、東京・福島両地検で合同捜査態勢を取るべく、東京地検公安部に専従捜査班を設置した。すでに複数の東電幹部から任意で事情を聴いており、強制捜査もにらんだ攻防が続く。

 専従捜査班が東京地検の特捜部でも刑事部でもなく公安部に設置されたことから、最初は告訴運動つぶしが目的ではないかとの憶測も呼んだが、告訴団事務局の保田行雄弁護士は「業務量の少ない公安部に専従捜査班を置いたもので、実質的には特捜部の布陣」と見る。実際、検察公安部の主要な業務は「公務執行妨害」などの公安事件が警察から送検された場合における起訴・不起訴の判断と、起訴した場合の公判維持がほとんどを占めており、公安事件の少ない地方の検察の公安部は業務量の少ないことが多い。

 堺徹・福島地検検事正の経歴を見ても、公安部や法務本省の経験はほとんどなく、その検事人生のほとんどを特捜や刑事畑で過ごしてきた。検事でも公安部門のエースと目される人物は、法務本省、地検公安部、公安調査庁、在外公館勤務(大使館書記官に名を借りた「情報収集」)などを歴任することが普通だが、堺検事正にそのような経歴は全くなく、保田弁護士の見立てはある程度信憑性を持っていると言えよう。

 堺検事正は、東京地検特捜部長時代、オリンパス事件の摘発を手がけた。「手堅く実務をこなす能吏タイプ」との評価だが、オリンパス事件自体は会員制月刊誌「FACTA」のスクープにより初めて公になったもので、特捜部の捜査は後追いの感が否めなかった。いずれにせよ堺検事正にかかる期待には大きいものがある。「国民とともに泣く」検察の正義感をもって、ぜひ立件をしてほしいところだ。

 ●わずかな期間で1万人超え

 第2次告訴に向けた体制作りは第1次告訴終了後から始まった。告訴団は福島の本部の他、全国に10の事務局(北海道、東北、関東、甲信越、静岡、中部、関西、北陸、中四国、九州)を置く。立ち上がりと組織化には地域差も大きく、静岡のように中部ブロックとは別に屋上屋を架するような県事務局が置かれた例もある。静岡は、従来から浜岡原発反対運動の広いネットワークがあるためか、意識も高く動きも活発だった(注)。

 事務局による事前説明会の開催は、全国で延べ100回近くに及んだ。中には、2度にわたって説明会を開催した地域もある。多くの地域では立ち見が出たり、会場に収容できなくなったりするなど、説明会は盛況を極めた。現在、地域ブロックごとの告訴人数は最終集計の段階にあるが、おしなべて、事前説明会の参加者数が多かった地域は告訴人数も多いという相関関係があったように思われる。

 地域別に見ると、全告訴人の半数近い6千人あまりを関東事務局管内が占めた。首都圏には福島県内と変わらないほどの高濃度放射能汚染に見舞われた地域がある(千葉県柏市、埼玉県三郷市など)。一方で、福島原発で発電された電力を消費し、豊かな生活を享受してきた首都圏は、加害者性と被害者性の両方を併せ持つ中で、大きな責任を感じてきた。関東事務局で告訴人のとりまとめに当たってきた白崎朝子さんは「(電力消費地に住む)加害者としての責任を感じ、活動に取り組んだ。立件を心から祈っている。告訴が国を動かす力になってほしい」と話す。

 告訴人は、北海道から沖縄まで47都道府県のすべてに及んだ。福島から仕事を辞めて避難したインドネシア在住者からの告訴参加もあった。未成年者も多くが参加したが、今後の人生の長い人ほど原発事故の影響を強く長く受けるのだから、未成年者・若者ほど大きな悲しみと憤りを持つのは当然だ。

 告訴人のひとり、橘柳子さんは、浪江町を離れ今も本宮市の仮設住宅で暮らす。敗戦で天皇も軍部も誰ひとり責任を取らない日本を見て、私たちは棄てられたのだと思いながら生きてきた。福島原発事故でも、肝心な情報を何も知らされないまま、町内でも最も放射線量が高い津島地区の集会所に避難した。当時、津島地区の放射線量は30マイクロシーベルトを超えるところもあった。

 「人間関係も町も村もすべてバラバラにされた。戦争も原発も同じ。住民には一番肝心なことは知らされない。原発に反対した人、発言した人もちゃんといたのだということを伝えていきたい」と思いを語る。ひとりひとりの住民が大切にされる社会を作りたい――告訴人共通の思いだ。

 ●1人が10人とつながる

 第2次告訴当日。告訴人らは福島市内をデモ行進し、捜査・起訴の必要性を訴えた。デモには各地の事務局で告訴人集めをしてきた関係者が多数参加した。第1次告訴のちょうど10倍の告訴人が集まったことを背景に、告訴団の武藤類子団長は「福島の1人が全国の10人とつながった」と運動の広がりに自信を見せた。

 告訴状提出後の集会では、各地の事務局メンバーが、告訴人が自分の被害をしたためた陳述書のうち代表的なもの、印象的なものを読み上げた。九州・沖縄事務局からは、水俣病の原因企業・チッソに勤めていた熊本市の男性の陳述書が読み上げられた。「会社のやっていることを見て見ぬふりをしていた。しかし、金もうけのために地元の人々を後回しにするのは許されない。原発事故では声を上げようと思った」。

 中四国の事務局長を務める広島市の大月純子さんは被爆2世だ。「放射能の被害を繰り返してはならないと祈っていたのに、原発事故が起きてしまった。私にも責任があると感じて、告訴に参加した」と語る。北からも南からも、責任を取らない日本への怒りの声が続いた。主権者である市民が立ち上がり、国や企業に責任を取らせなければ、日本は震災でも原発でもなく「総無責任病」でやがて滅亡するだろう。

 第2次告訴団が短期間で目標の1万人を超える告訴人を集めたことは、敵を明らかにして闘うことが被災者の要求であること、告訴団運動が他の運動に比べて優位性を持っていることを示した。多くの市民が、権利は法文の上にあるのではなく、それを実体化しようとする営み、闘いの中にこそ存在するのだということを再認識したのではないだろうか。

 国や東電の立件には、因果関係の立証など越えるべきハードルも多いと見られる。しかし、1万人を超える大告訴団による告訴は「捜査をしなければただではすまない」空気を確実に作り出した。告訴人となった人々はもちろん、本誌読者をはじめとする支援者の皆さんが適正捜査を求める声を上げていくことが、起訴への道を切り開く。

 第2次告訴に参加いただいた多くの人に、この場をお借りして改めてお礼申し上げたい。

注)昨年3月の福島第1原発事故発生直後、本稿筆者は名古屋勤務時代に親しかった運動関係者から「意外」だと言われたことがある。その真意を問いただしたところ、事故発生のことではなく、日本初の原発過酷事故が浜岡でなかったことが意外というのだ。浜岡原発反対運動関係者の中に、自分たちが最初の被害者になるに違いないとの覚悟を持って生きてきた人たちが多いという事実を知らされたエピソードである。

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