昨年秋くらいから何度も繰り返し見ている夢がある。ずばり「自分の車を見失い、探している夢」だ。
出てくる光景は少しずつ違っている。車で出かけた後(運転しているシーンは不思議と出てこない)、用事のある先に行き、帰ろうとするとどこに停めたか思い出せない。そこはショッピングセンターの地下駐車場だったり、高架下の駐車場だったり、オフィスビルの隣にある狭いコインパーキングだったりと様々だが、薄暗い印象の場所だという共通点がある。そこで停めた場所がわからなくなり、自分の車を探し回るのだ。駐車場の場所自体が思い出せなくなり、何キロも歩き回る、というシーンも一度見えた。
そして共通しているのは、「車が発見できたことは一度もない」ということだ。探し回ってはみるものの、結局見つからないまま、どうしようと思ったところでいつも目が覚める。
昨年の秋くらいから立て続けに似たような形で2回、夢に見た。さすがに2回続けては偶然だろうと思っていたが、その後もしつこく似たような夢を見る。ショッピングセンターの地下駐車場、高架下の駐車場、オフィスビルの隣にある狭いコインパーキング、そして駐車場自体がわからなくなるシーンと出てきたから少なくとも4回は確実に見たことになる。
年も2020年に改まり、気分も一新するだろうと思っていたら、昨日、昼寝しているときにまた見てしまった。今回はやけにリアルで、いつも運転している国道(片道3車線の大きな道路。路線番号もいつも通るおなじみの番号だった)の高架橋がいきなり工事で通行止めになっており、警察官が迂回を指示している。仕方なく、通行止めになっている高架橋のすぐ隣の側道(そこは通行止めになっていない)に入ると、通行止めになっている高架橋の下にコインパーキングがあったので、そこにいったん駐車。コンビニに寄ったら、その後は「そのまま駐車位置がわからなくなって車を探し回る」というお決まりの展開だ。これでもう5回目……
ここまでしつこいと何かのメッセージだと思わざるを得ない。いわゆる「警告夢」に分類できると思う。ドイツの精神医学者フロイトやユングは、夢は見る人の深層心理を反映したもので、精神状態の反映である一方、意識による妨害を受け、深層心理そのままの形では表現されないとする優れた分析も残している。星占いのような根拠のないものとは違う、ある種の科学といえよう。
さて、新年早々、いくつかの夢判断に関するサイトを回ってみたが、私が繰り返し見ている夢に対しては、どのサイトの評価もほぼ一致している。夢における「車」は自分自身または自分の仕事や社会的地位を表す。したがって、それを見失う夢は、現在の自分の仕事の行き詰まりや社会的地位の喪失に対し、不安を抱いている深層心理を表す。探し回るという行為はそこからの打開を求めている自分自身を表すが、最終的に探しても見つからないのは、打開策が上手くいかないことによる自分自身の焦燥感を象徴する--。
当たりすぎていて怖いほどだ。昨年秋からは精神科に通っていて、精神安定剤、睡眠導入剤を処方されている。札幌の現在の職場に配属になったのは一昨年4月だが、特に昨年4月以降は、仕事面では完全に「詰んだ」感がある。表に出せていないだけで、心理的限界を示唆する警告夢であることは間違いないと思う。
余談だが、車は自分自身の象徴なので、自分が運転席に乗って快調に運転しているときは自分の人生を自分でコントロールできていることを示す吉夢とされる。助手席に乗り、順調に走る夢なら「運転席の人をサポートする立場」で順調な人生を送る暗示、後部座席で順調に走っているときは「出世」を表すという。社会的地位の高い人ほど後部座席に乗ることが多いから、それを夢に見ることは自分自身がそのような地位を獲得することの象徴なのだろうと考えると、納得がいく。暴走する車が夢に出たら、それは自分が自分の人生をコントロールできていないことを意味するらしい。
ところで、過去5回の夢では、私が運転するシーンは一度も出てきていない。昨日の夢は、いきなり通行止めにぶち当たるシーンから始まった。いくつか巡回した夢判断関係サイトにはこの点に関する言及はないが、運転シーンが出てこないということは、今回の自分の運命は完全に自分のコントロール外にあるということだろう。助手席にも後部座席にも決まって誰も乗っていないから、誰かの助力を得られる可能性も低そうに思われる。
どうしたらいいのだろうか。いくつかの夢判断サイトは「自然に車が見つかるまでしばらく休息が必要」だと説く。無理に状況を動かそうとするとかえって袋小路に入り込むこともあるというから厄介だ。確かに、仕事のみならず、自分が関わっている問題(JR北海道、原発など)はどれも膠着状態で何をしても動かず、自分に決定権がある話でもない。だからといって自分が決定権を持つ立場に昇れるかというと、それも絶対にない。2020年はとにかく休め、という夢の世界からの警告と受け止めるしかなかろう。
したがって、大変申し訳ないが、2020年の新年目標は、公表しないことにする。このような精神状態で公表すること自体、意味のある行為と思えないからだ。
<参考>自分が見た夢については、過去にも一度、記事を書いている。また、この記事での夢について、夢判断サイトには以下のように記載されている。(「夢の夢占い」より~車を探す夢・車を見つけることができない夢)
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夢の中の車は、自分の社会的な管理能力や自己管理能力の象徴です。車を探す夢は、あなたが自分の社会的な管理能力、あるいは仕事や学業における野心や向上心を探していることを暗示しています。そして、車を見つけることができなければ、あなたがこれらを見出すことができず、仕事や学業から目をそむけたいと思っていることを暗示しています。
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出てくる光景は少しずつ違っている。車で出かけた後(運転しているシーンは不思議と出てこない)、用事のある先に行き、帰ろうとするとどこに停めたか思い出せない。そこはショッピングセンターの地下駐車場だったり、高架下の駐車場だったり、オフィスビルの隣にある狭いコインパーキングだったりと様々だが、薄暗い印象の場所だという共通点がある。そこで停めた場所がわからなくなり、自分の車を探し回るのだ。駐車場の場所自体が思い出せなくなり、何キロも歩き回る、というシーンも一度見えた。
そして共通しているのは、「車が発見できたことは一度もない」ということだ。探し回ってはみるものの、結局見つからないまま、どうしようと思ったところでいつも目が覚める。
昨年の秋くらいから立て続けに似たような形で2回、夢に見た。さすがに2回続けては偶然だろうと思っていたが、その後もしつこく似たような夢を見る。ショッピングセンターの地下駐車場、高架下の駐車場、オフィスビルの隣にある狭いコインパーキング、そして駐車場自体がわからなくなるシーンと出てきたから少なくとも4回は確実に見たことになる。
年も2020年に改まり、気分も一新するだろうと思っていたら、昨日、昼寝しているときにまた見てしまった。今回はやけにリアルで、いつも運転している国道(片道3車線の大きな道路。路線番号もいつも通るおなじみの番号だった)の高架橋がいきなり工事で通行止めになっており、警察官が迂回を指示している。仕方なく、通行止めになっている高架橋のすぐ隣の側道(そこは通行止めになっていない)に入ると、通行止めになっている高架橋の下にコインパーキングがあったので、そこにいったん駐車。コンビニに寄ったら、その後は「そのまま駐車位置がわからなくなって車を探し回る」というお決まりの展開だ。これでもう5回目……
ここまでしつこいと何かのメッセージだと思わざるを得ない。いわゆる「警告夢」に分類できると思う。ドイツの精神医学者フロイトやユングは、夢は見る人の深層心理を反映したもので、精神状態の反映である一方、意識による妨害を受け、深層心理そのままの形では表現されないとする優れた分析も残している。星占いのような根拠のないものとは違う、ある種の科学といえよう。
さて、新年早々、いくつかの夢判断に関するサイトを回ってみたが、私が繰り返し見ている夢に対しては、どのサイトの評価もほぼ一致している。夢における「車」は自分自身または自分の仕事や社会的地位を表す。したがって、それを見失う夢は、現在の自分の仕事の行き詰まりや社会的地位の喪失に対し、不安を抱いている深層心理を表す。探し回るという行為はそこからの打開を求めている自分自身を表すが、最終的に探しても見つからないのは、打開策が上手くいかないことによる自分自身の焦燥感を象徴する--。
当たりすぎていて怖いほどだ。昨年秋からは精神科に通っていて、精神安定剤、睡眠導入剤を処方されている。札幌の現在の職場に配属になったのは一昨年4月だが、特に昨年4月以降は、仕事面では完全に「詰んだ」感がある。表に出せていないだけで、心理的限界を示唆する警告夢であることは間違いないと思う。
余談だが、車は自分自身の象徴なので、自分が運転席に乗って快調に運転しているときは自分の人生を自分でコントロールできていることを示す吉夢とされる。助手席に乗り、順調に走る夢なら「運転席の人をサポートする立場」で順調な人生を送る暗示、後部座席で順調に走っているときは「出世」を表すという。社会的地位の高い人ほど後部座席に乗ることが多いから、それを夢に見ることは自分自身がそのような地位を獲得することの象徴なのだろうと考えると、納得がいく。暴走する車が夢に出たら、それは自分が自分の人生をコントロールできていないことを意味するらしい。
ところで、過去5回の夢では、私が運転するシーンは一度も出てきていない。昨日の夢は、いきなり通行止めにぶち当たるシーンから始まった。いくつか巡回した夢判断関係サイトにはこの点に関する言及はないが、運転シーンが出てこないということは、今回の自分の運命は完全に自分のコントロール外にあるということだろう。助手席にも後部座席にも決まって誰も乗っていないから、誰かの助力を得られる可能性も低そうに思われる。
どうしたらいいのだろうか。いくつかの夢判断サイトは「自然に車が見つかるまでしばらく休息が必要」だと説く。無理に状況を動かそうとするとかえって袋小路に入り込むこともあるというから厄介だ。確かに、仕事のみならず、自分が関わっている問題(JR北海道、原発など)はどれも膠着状態で何をしても動かず、自分に決定権がある話でもない。だからといって自分が決定権を持つ立場に昇れるかというと、それも絶対にない。2020年はとにかく休め、という夢の世界からの警告と受け止めるしかなかろう。
したがって、大変申し訳ないが、2020年の新年目標は、公表しないことにする。このような精神状態で公表すること自体、意味のある行為と思えないからだ。
<参考>自分が見た夢については、過去にも一度、記事を書いている。また、この記事での夢について、夢判断サイトには以下のように記載されている。(「夢の夢占い」より~車を探す夢・車を見つけることができない夢)
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夢の中の車は、自分の社会的な管理能力や自己管理能力の象徴です。車を探す夢は、あなたが自分の社会的な管理能力、あるいは仕事や学業における野心や向上心を探していることを暗示しています。そして、車を見つけることができなければ、あなたがこれらを見出すことができず、仕事や学業から目をそむけたいと思っていることを暗示しています。
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