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【訃報】竹田とし子さん(「大間原発訴訟の会」代表)津軽海峡の「対岸」から大間原発反対運動を率いる

2025-03-08 23:56:03 | 原発問題/一般

青森・大間原発建設差し止め訴訟原告の竹田とし子さん死去 76歳(朝日)

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 建設中の大間原発(青森県大間町)の建設差し止めなどを求める訴訟を起こした北海道函館市の市民団体「大間原発訴訟の会」代表の竹田とし子さんが死去した。76歳だった。2011年の東京電力福島第一原発事故の前から「命を守れ」と声を上げ続けた半生だった。

 訴訟の会事務局長の中森司さん(76)によると、竹田さんは2月28日朝、市内の自宅で倒れ、くも膜下出血で亡くなった。

 北海道旭川市で生まれ、キリスト教を基盤に女性の社会参画、人権や健康や環境が守られる世界の実現を目指す国際NGO「YWCA」の活動に参加した。結婚して函館で暮らしはじめ、夫と食料品店を営んだ。1986年のチェルノブイリ事故を機に原発問題に取り組み、大間原発建設地の30キロ圏内にある函館で2006年に発足した訴訟の会の代表に推された。

 市民ら168人で訴訟を函館地裁に起こしたのは10年7月。原告総数は第9次訴訟までに1168人に上った。地裁は18年3月、住民側の請求を棄却。住民側が札幌高裁に控訴し、審理が続く。

 竹田さんは一審の第1回口頭弁論で意見陳述してから、昨年7月の控訴審第12回口頭弁論までに計6回、陳述に立ったという。

 4日夕、函館市内の寺で通夜・告別式が営まれた。大間原発の用地買収を拒み続けた故・熊谷あさ子さんの娘で原告の1人でもある厚子さん(70、大間町)は「とし子さんは母と一緒で、信念を持って原発をなんとかしようとがんばってきた。勝訴する前に亡くなったのが残念でならない」と声を詰まらせた。

 中森さんは「温厚で人の話をよく聞く人だった。危険な原発を造らせないという遺志を引き継ぎ、大間原発を建設中止に追い込みたい」と語った。

 訴訟の会は今後、お別れの会を開くという。

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すでに10日ほど経っているが、「大間原発訴訟の会」代表・武田とし子さんが2月末に急逝された。2月26日に開かれた青森県・東北電力大間原発差し止め訴訟の意見陳述に立つなど精力的に活動されていた。私は直接、面識はなかったが、連れ合いは札幌高裁での裁判傍聴の際、何度かお会いしたという。

大間原発は、青森県・下北半島に電源開発が建設中で、完成後は東北電力に引き渡される。本来なら青森県の地元住民が頑張らなければならないが、六ヶ所村に使用済み核燃料再処理施設を受け入れてしまっていることもあり、青森県内の原発反対運動は抑え込まれ、孤立させられている。代わって、津軽海峡の対岸にある函館が闘いを担ってきた。

函館市も、電源開発を相手に2014年に訴訟を起こしたが(参考:大間原発の建設凍結のための提訴について/函館市)、これには先行する「大間原発訴訟の会」の訴訟の存在も大きかったとされる。工藤寿樹・前函館市長が自民党を含む市議会全会派を説得して提訴にこぎ着けた。

行政、民間がそれぞれ大間原発建設の凍結を求めて提訴した背景には、函館市が対岸の大間原発から30km圏内にあるという事情が大きい。福島原発事故後、原発から半径30km圏内自治体は避難計画の策定を義務づけられたが、青森県外であるため原発の運転に対する同意権限も持たない函館市が、事故が起きれば甚大な被害を受けることに対する強烈な危機感があった。

函館市の危機感が単なる絵空事ではないことは、以下の写真を示せばご理解いただけるだろう。いずれも私が2016年4月9日~10日にかけて現地を訪問した際に撮影したものだ。

<写真1>大間フェリーターミナルから望遠(300mm)レンズを使って撮影した大間原発。目と鼻の先にある

<写真2>出港直前の船内客室から。青森県側の大間港に停泊中なのに、対岸・函館のテレビ放送がクリアに映る。電波が何ものにも遮られずに飛んでくるということは、いざというとき、放射線も飛んでくるということを意味する

<写真3>大間出港直後の青函フェリー船内から。すでに対岸の函館市街地がくっきり見える

このような状態で、福島の惨事を見せつけられた函館市の行政も市民も「次は自分たちの番かもしれない」と思うのは当然だろう。

大間原発訴訟の会で竹田さんは中心的存在だった。「竹田さんがいたから会がまとまってこられた」と話す関係者もいるほどだ。裁判そのものは会の他のメンバーが引き継ぐが、新しい幹部が竹田さんほどの求心力を持てるかどうかはわからない。

竹田さんを失ったことは、函館の反原発運動にとって痛手であることに間違いない。だが、対岸にあり地元である青森県内の運動が孤立させられている以上、引き続き函館での闘いが重要であることも事実だ。私も引き続き、この闘いを支援していきたい。


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