(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2023年12月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
「本誌が読者諸氏のお手元に届いた時点で、2022年はまだ1ヶ月以上残っており、総括するのはまだ早いと思われる方も多いだろう。だが、半世紀を過ぎた筆者の人生の中で「こんな年、早く終わってしまえばいいのに」とこれほどまでに強く思った年はかつてなかった」――私がこんな書き出しで本誌原稿を執筆したのは昨年12月号でのことだった。今年、2023年も本稿執筆時点でまだ1ヶ月以上残っているが、2022年を2023年に変えるだけで、どうやら同じ書き出しで始めなければならないようだ。
●世界~国際機関も各国政府も機能不全に
2011年3月の福島第1原発事故以降、日本政府が機能不全に陥り、一般市民はもちろん、彼らの支持基盤であるはずの保守層や経済界のための政治さえまともに行われていないのではないかという疑いを私はずっと抱いてきた。それでも機能不全は日本政府だけで、諸外国の政府や国際機関に対しては、まだそれなりに機能していると思っていた。
その認識が怪しくなったのはウクライナ戦争以降である。国連安全保障理事会は常任理事国同士の拒否権合戦となりまともな決定はできなくなった。米国、中国を初め諸外国の政府も、迫り来る危機に対する有効な手を打てないまま漂流し続けているように思う。
そうこうしているうちに、中東で新たな戦争が始まってしまった。「西側の裏切り」でNATO(北大西洋条約機構)入りしたウクライナが自国に核を向けるかもしれないから機先を制しておきたいというプーチン大統領の思惑には、納得はできなくても「相手側の立場からはそう見えても仕方がない」という程度の理解はできる。だがイスラエル軍は、まるで鼻歌でも歌いながらガザ地区を戦車で蹂躙し、ゲームでもするような感覚で子どもの殺戮を楽しんでいるようにさえ見える。ここまでの民族浄化、虐殺はまったく理解不能である。
イスラエル政府の現職閣僚からガザ地区への核兵器使用を示唆する発言まで出た。極右政党リクード(保守連合)を率いるベンヤミン・ネタニヤフ首相もさすがにこの閣僚を無期限の職務停止にしたが、そのような事態になれば、ガザ地区を実効支配するハマスの後ろ盾であり「事実上の核保有国」のイランが核による反撃に出る事態もあり得る。このような事態を想定外だと笑い飛ばす人もいるかもしれないが、かつて湾岸戦争(1991年)の際、サダム・フセイン政権下のイラクがイスラエル第2の都市テルアビブを標的にスカッド・ミサイル攻撃を行ったことを考えると、十分想定しておかなければならないだろう。
ナチスのホロコーストで殺害されたユダヤ人は600万人に及ぶとされるが、ガザ地区でイスラエル軍が殺害した人数はすでに1万人を超えた。ここまでくれば規模の大小はあったとしても「彼らがナチスとの違いをどうやって証明するのかという話になってくる」(ジャーナリスト木下黄太氏)のは当然で、イスラエル国内でも反戦デモが起きていることはその何よりの証拠であろう。
世界が破局へのレールを一直線に走っていることはもはや疑いがない。このまま事態を傍観すれば、人類に2030年代は訪れないだろう。ここ数年間の国際情勢はそれほどまでに危機的で切迫の度合いを増している。
●現代と似ている両大戦間期~戦後世界の大きな転機
現代と似ている時代を挙げるとすれば両大戦間期がある。第1次世界大戦終結とほぼ時期を同じくしてスペイン風邪が大流行し、各国政府が巨額の財政支出を強いられた。第1次世界大戦は、各国政府にとって国民生活とその資産(経済学用語でいうストック)を根こそぎ破壊する愚行であり、スペイン風邪対策は、国民の健康という未来に向けての大きな資産を残す代わりに巨額の紙幣を増刷しなければならない非常事態だった。この国民生活基盤の破壊と巨額の紙幣増刷、財政支出の拡大がハイパーインフレと恐慌に結びついた。そのハイパーインフレと恐慌の中からナチスが生まれ、世界は次の大戦に向かっていった。
第1次世界大戦後に設立された国際連盟において日本が常任理事国であったことはあまり知られていない事実かもしれない。だが米国が不参加だった上、日本がアジア侵略を繰り返す中で脱退するなど機能不全に陥ったことも第2次世界大戦への引き金を引くことにつながった。国連安保理常任理事国の1つであるロシアが、すべての議案に対して拒否権を持つという有利な立場をみずからの愚行によって傷つけ、国連の権威を低下させていることも両大戦間期に似ている。
United Nationsを国際連合と称するのは日本の外務省による「政策的・意図的誤訳」であり、本来の英語の語感としてはせいぜい「国家連合」としての意味しか持たない。これを連合国と訳している国が大半であることからもわかるように、日本政府が称するところの「国連」は第2次世界大戦の戦勝国が主導する国際秩序である。
この国際秩序が成立してから、2025年には80年が経過する。80年がほぼ人の一生に相当することを考えると、この国際秩序の耐用年数がいよいよ切れ、世界が「次」を求める時代に突入したという程度のことは、断定しても差し支えないように思われる。
●日本国内~「長年の悪事」が次々露呈し次への希望も
一方、日本国内に目を転じると、絶望の中にも一筋の希望が見えた年だったのではないか。長年に渡って隠されてきた「悪事」が次々と露呈する1年になった。そのすべてを論じる余裕も紙幅もないので、1990年代に続いて昨年再び社会問題となった「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)問題に続き、2023年に新たに明るみに出た「旧ジャニーズ事務所による性加害問題」のほか、宝塚歌劇団における団員のいじめ自殺問題を挙げておきたい。旧統一教会、旧ジャニーズ問題、宝塚歌劇団はいずれも極度に閉鎖的で多くの資本主義的利権にまみれた「ムラ」である。
昭和の異物であるこうした「体育会的ムラ」の多くで長年の悪事が露呈した。犯罪・不正を告発しようとする被害者側と、隠蔽しようとする加害者側の闘争で、双方が傷つきながらも、そのすべてにおいて圧倒的世論の支持を受けた被害者側が勝ち、日本の「暗部」から大量の膿が出たのも2023年の特徴であると同時に、今後に向けた一筋の希望といえよう。
旧ジャニーズによる所属タレントへの性加害問題を、最初、私は単なる芸能ニュースに過ぎず、本誌で取り上げるだけの価値はないと考えていた。それが、先々月号(2023年10月号)でこの問題を取り上げることになったのは、これこそが「ザ・ニッポンの人権問題」そのものであり、日本社会の立ち後れた人権感覚を象徴する事件なのではないかと思うに至ったからである。つい先日、執行猶予付き有罪判決が言い渡された歌舞伎俳優・市川猿之助による両親自殺ほう助事件など、今年は芸能界で重大ニュースが多かったが、これもまた梨園と称される独特の閉鎖社会の中で起きた事件である。
社会のあちこちに風通しが悪く監視の及ばない「ムラ」が林立し、そこから犯罪が生まれ、大量の膿が流れ出たという意味で、この事件もまた「単なる芸能ネタ」で片付けられるようなものではなく、他のすべての問題と地続きである。文字通り「次」に向け動き始めた世界に日本が歩調を合わせたいのであれば、解決は避けて通れない課題だ。
●総崩れとなった新興宗教
いわゆる新興宗教が総崩れとなったのも今年の特徴だ。数々の問題を起こし、安倍元首相暗殺事件で30年ぶりに社会的注目が集まった旧統一教会に対しては、文化庁が宗教法人法に基づく6回の意見聴取の末、史上初となる解散命令請求を行った(注)。請求が認められ解散命令が出された場合、旧統一教会は宗教法人格を失うが、権利なき団体としての活動は規制されない。
旧統一教会以外を見ても、「幸福の科学」は創設者であり「教祖」でもあった大川隆法総裁が3月に死去。後継者はいないとされる。そしてこの11月18日には、創価学会の池田大作名誉会長の死去が報じられた。
池田氏が表舞台から消えてすでに10年以上が経過し、創価学会は池田氏亡き後に向けた指導体制を確立しており、学会運営という意味では大きな影響はないというのが衆目の一致するところだ。ただ、表舞台から消えても池田氏の教えを教団の教えとして心の拠り所としてきた学会員は少なくない。これら学会員に対し、池田氏亡き後も学会がこれまでと同じような求心力を持てるかどうかは未知数というのもまた現実であろう。
岸田政権成立後、東京での自公協力が一時は完全崩壊に至った時期もある。とりわけ東京の各級選挙において自民党系候補の敗北が続いている状況を見ると、「遺恨」がいまだに尾を引いているとする見方も一定の説得力を持っている。
●内政も激動の予感がする2024年
『今回の事件は、山上容疑者の意図とは全く別として、日本政治の行方を大きく変える出来事になる可能性もあります』――「文藝春秋」2022年10月号誌上で、宗教学者の島田裕巳さんが発した不気味な「警告」を私が紹介したのはちょうど1年前、2022年12月号の本欄だった。「可能性としては高くないが、起こりうる展開のひとつ」と私はそこでは控えめに述べるに留めておいたが、2024年はいよいよ日本政治の行方が変わる年になりそうである。自民党にとって大きな集票力となってきた旧統一教会、創価学会という2大宗教勢力がいずれも時代の節目にさしかかり大きく揺らいでいるからである。これらは、自民党から民主党への政権交代(2009年)のときでさえ存在していなかった日本政界の根本的地殻変動といえる。長年癒着関係を続けてきた政治と宗教の関係をゼロベースで見直す上でかつてないチャンスが訪れている。
保守層が自民党から離反し新たな受け皿を求めている。次回国政選挙は、日本の最大勢力である保守層が分裂したまま迎えなければならない久しぶりの選挙になる。この期に及んで、野党が小異を理由に団結できないでいるのは嘆かわしい。2024年こそ野党は自民党政権打倒のために団結できるか真価を問われる。解散総選挙が行われ、野党が団結できれば、10数年ぶりの与野党逆転や政権交代までもが視野に入る重大局面となるかもしれない。
再び国外に目を転じると、2024年は米国、ロシア、ウクライナで大統領選挙が行われる。10月以降、パレスチナ情勢の陰に隠れる形で動向が伝えられることも少なくなっていたウクライナ戦争とその行方に再び注目が集まるであろう。これら3カ国の選挙の行方によっては停戦の動きになる可能性がある。無益な戦争に終止符を打たなければならない。
ウクライナのゼレンスキー大統領は戦時中であることを理由に大統領選挙を延期するかもしれないと報じられているが、そんなことをすればそれこそロシアの思うつぼだ。「私は国民に選挙で信任を受けた。選挙をせず延期したゼレンスキー氏にウクライナ国民の代表を名乗る資格があるのか」とプーチン大統領が宣伝してくるのは目に見えているからである。私としてはできることならウクライナが正々堂々と大統領選挙を実施し、停戦に積極的な新たなトップが選ばれることを望む。
米国大統領選挙は、いずれも80歳代のバイデン、トランプ両氏の争いになるとの見方もあるが、この世界的非常事態にそんなことでいいのか。若くて柔軟な指導者をトップに就けなければ国際社会における米国の地位のさらなる低下は免れないだろう。
これだけの政治的要素を見るだけでも、2024年は今年とは比べものにならないほど激動の1年になると思う。私たちにとって最も大切なことは、機能不全に陥っている各国政府と国際機関に対し、人々の命と暮らしを尊重するよう強く要求していくことだ。2020年代後半がどのような時代になるかは、来年おそらく決まるだろう。
注)宗教法人に対する解散命令請求としては「アレフ」(旧オウム真理教)に対するものがあるが、こちらは破壊活動防止法に基づく団体としての解散命令請求であり、認められた場合、法人格の剥奪だけでなく、団体としても解散となり、個人としての宗教活動しかできなくなる点が異なっている。なおこの際は、公安審査委員会で解散命令請求が棄却されたため、いわゆるオウム新法を政府が新たに制定した。オウム真理教の後継団体(「アレフ」「山田らの集団」など)に対する公安調査庁による監視や聴聞などは、このオウム新法に基づくものであり、破防法に基づいて付与された権限ではない。
(2023年11月19日)
「本誌が読者諸氏のお手元に届いた時点で、2022年はまだ1ヶ月以上残っており、総括するのはまだ早いと思われる方も多いだろう。だが、半世紀を過ぎた筆者の人生の中で「こんな年、早く終わってしまえばいいのに」とこれほどまでに強く思った年はかつてなかった」――私がこんな書き出しで本誌原稿を執筆したのは昨年12月号でのことだった。今年、2023年も本稿執筆時点でまだ1ヶ月以上残っているが、2022年を2023年に変えるだけで、どうやら同じ書き出しで始めなければならないようだ。
●世界~国際機関も各国政府も機能不全に
2011年3月の福島第1原発事故以降、日本政府が機能不全に陥り、一般市民はもちろん、彼らの支持基盤であるはずの保守層や経済界のための政治さえまともに行われていないのではないかという疑いを私はずっと抱いてきた。それでも機能不全は日本政府だけで、諸外国の政府や国際機関に対しては、まだそれなりに機能していると思っていた。
その認識が怪しくなったのはウクライナ戦争以降である。国連安全保障理事会は常任理事国同士の拒否権合戦となりまともな決定はできなくなった。米国、中国を初め諸外国の政府も、迫り来る危機に対する有効な手を打てないまま漂流し続けているように思う。
そうこうしているうちに、中東で新たな戦争が始まってしまった。「西側の裏切り」でNATO(北大西洋条約機構)入りしたウクライナが自国に核を向けるかもしれないから機先を制しておきたいというプーチン大統領の思惑には、納得はできなくても「相手側の立場からはそう見えても仕方がない」という程度の理解はできる。だがイスラエル軍は、まるで鼻歌でも歌いながらガザ地区を戦車で蹂躙し、ゲームでもするような感覚で子どもの殺戮を楽しんでいるようにさえ見える。ここまでの民族浄化、虐殺はまったく理解不能である。
イスラエル政府の現職閣僚からガザ地区への核兵器使用を示唆する発言まで出た。極右政党リクード(保守連合)を率いるベンヤミン・ネタニヤフ首相もさすがにこの閣僚を無期限の職務停止にしたが、そのような事態になれば、ガザ地区を実効支配するハマスの後ろ盾であり「事実上の核保有国」のイランが核による反撃に出る事態もあり得る。このような事態を想定外だと笑い飛ばす人もいるかもしれないが、かつて湾岸戦争(1991年)の際、サダム・フセイン政権下のイラクがイスラエル第2の都市テルアビブを標的にスカッド・ミサイル攻撃を行ったことを考えると、十分想定しておかなければならないだろう。
ナチスのホロコーストで殺害されたユダヤ人は600万人に及ぶとされるが、ガザ地区でイスラエル軍が殺害した人数はすでに1万人を超えた。ここまでくれば規模の大小はあったとしても「彼らがナチスとの違いをどうやって証明するのかという話になってくる」(ジャーナリスト木下黄太氏)のは当然で、イスラエル国内でも反戦デモが起きていることはその何よりの証拠であろう。
世界が破局へのレールを一直線に走っていることはもはや疑いがない。このまま事態を傍観すれば、人類に2030年代は訪れないだろう。ここ数年間の国際情勢はそれほどまでに危機的で切迫の度合いを増している。
●現代と似ている両大戦間期~戦後世界の大きな転機
現代と似ている時代を挙げるとすれば両大戦間期がある。第1次世界大戦終結とほぼ時期を同じくしてスペイン風邪が大流行し、各国政府が巨額の財政支出を強いられた。第1次世界大戦は、各国政府にとって国民生活とその資産(経済学用語でいうストック)を根こそぎ破壊する愚行であり、スペイン風邪対策は、国民の健康という未来に向けての大きな資産を残す代わりに巨額の紙幣を増刷しなければならない非常事態だった。この国民生活基盤の破壊と巨額の紙幣増刷、財政支出の拡大がハイパーインフレと恐慌に結びついた。そのハイパーインフレと恐慌の中からナチスが生まれ、世界は次の大戦に向かっていった。
第1次世界大戦後に設立された国際連盟において日本が常任理事国であったことはあまり知られていない事実かもしれない。だが米国が不参加だった上、日本がアジア侵略を繰り返す中で脱退するなど機能不全に陥ったことも第2次世界大戦への引き金を引くことにつながった。国連安保理常任理事国の1つであるロシアが、すべての議案に対して拒否権を持つという有利な立場をみずからの愚行によって傷つけ、国連の権威を低下させていることも両大戦間期に似ている。
United Nationsを国際連合と称するのは日本の外務省による「政策的・意図的誤訳」であり、本来の英語の語感としてはせいぜい「国家連合」としての意味しか持たない。これを連合国と訳している国が大半であることからもわかるように、日本政府が称するところの「国連」は第2次世界大戦の戦勝国が主導する国際秩序である。
この国際秩序が成立してから、2025年には80年が経過する。80年がほぼ人の一生に相当することを考えると、この国際秩序の耐用年数がいよいよ切れ、世界が「次」を求める時代に突入したという程度のことは、断定しても差し支えないように思われる。
●日本国内~「長年の悪事」が次々露呈し次への希望も
一方、日本国内に目を転じると、絶望の中にも一筋の希望が見えた年だったのではないか。長年に渡って隠されてきた「悪事」が次々と露呈する1年になった。そのすべてを論じる余裕も紙幅もないので、1990年代に続いて昨年再び社会問題となった「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)問題に続き、2023年に新たに明るみに出た「旧ジャニーズ事務所による性加害問題」のほか、宝塚歌劇団における団員のいじめ自殺問題を挙げておきたい。旧統一教会、旧ジャニーズ問題、宝塚歌劇団はいずれも極度に閉鎖的で多くの資本主義的利権にまみれた「ムラ」である。
昭和の異物であるこうした「体育会的ムラ」の多くで長年の悪事が露呈した。犯罪・不正を告発しようとする被害者側と、隠蔽しようとする加害者側の闘争で、双方が傷つきながらも、そのすべてにおいて圧倒的世論の支持を受けた被害者側が勝ち、日本の「暗部」から大量の膿が出たのも2023年の特徴であると同時に、今後に向けた一筋の希望といえよう。
旧ジャニーズによる所属タレントへの性加害問題を、最初、私は単なる芸能ニュースに過ぎず、本誌で取り上げるだけの価値はないと考えていた。それが、先々月号(2023年10月号)でこの問題を取り上げることになったのは、これこそが「ザ・ニッポンの人権問題」そのものであり、日本社会の立ち後れた人権感覚を象徴する事件なのではないかと思うに至ったからである。つい先日、執行猶予付き有罪判決が言い渡された歌舞伎俳優・市川猿之助による両親自殺ほう助事件など、今年は芸能界で重大ニュースが多かったが、これもまた梨園と称される独特の閉鎖社会の中で起きた事件である。
社会のあちこちに風通しが悪く監視の及ばない「ムラ」が林立し、そこから犯罪が生まれ、大量の膿が流れ出たという意味で、この事件もまた「単なる芸能ネタ」で片付けられるようなものではなく、他のすべての問題と地続きである。文字通り「次」に向け動き始めた世界に日本が歩調を合わせたいのであれば、解決は避けて通れない課題だ。
●総崩れとなった新興宗教
いわゆる新興宗教が総崩れとなったのも今年の特徴だ。数々の問題を起こし、安倍元首相暗殺事件で30年ぶりに社会的注目が集まった旧統一教会に対しては、文化庁が宗教法人法に基づく6回の意見聴取の末、史上初となる解散命令請求を行った(注)。請求が認められ解散命令が出された場合、旧統一教会は宗教法人格を失うが、権利なき団体としての活動は規制されない。
旧統一教会以外を見ても、「幸福の科学」は創設者であり「教祖」でもあった大川隆法総裁が3月に死去。後継者はいないとされる。そしてこの11月18日には、創価学会の池田大作名誉会長の死去が報じられた。
池田氏が表舞台から消えてすでに10年以上が経過し、創価学会は池田氏亡き後に向けた指導体制を確立しており、学会運営という意味では大きな影響はないというのが衆目の一致するところだ。ただ、表舞台から消えても池田氏の教えを教団の教えとして心の拠り所としてきた学会員は少なくない。これら学会員に対し、池田氏亡き後も学会がこれまでと同じような求心力を持てるかどうかは未知数というのもまた現実であろう。
岸田政権成立後、東京での自公協力が一時は完全崩壊に至った時期もある。とりわけ東京の各級選挙において自民党系候補の敗北が続いている状況を見ると、「遺恨」がいまだに尾を引いているとする見方も一定の説得力を持っている。
●内政も激動の予感がする2024年
『今回の事件は、山上容疑者の意図とは全く別として、日本政治の行方を大きく変える出来事になる可能性もあります』――「文藝春秋」2022年10月号誌上で、宗教学者の島田裕巳さんが発した不気味な「警告」を私が紹介したのはちょうど1年前、2022年12月号の本欄だった。「可能性としては高くないが、起こりうる展開のひとつ」と私はそこでは控えめに述べるに留めておいたが、2024年はいよいよ日本政治の行方が変わる年になりそうである。自民党にとって大きな集票力となってきた旧統一教会、創価学会という2大宗教勢力がいずれも時代の節目にさしかかり大きく揺らいでいるからである。これらは、自民党から民主党への政権交代(2009年)のときでさえ存在していなかった日本政界の根本的地殻変動といえる。長年癒着関係を続けてきた政治と宗教の関係をゼロベースで見直す上でかつてないチャンスが訪れている。
保守層が自民党から離反し新たな受け皿を求めている。次回国政選挙は、日本の最大勢力である保守層が分裂したまま迎えなければならない久しぶりの選挙になる。この期に及んで、野党が小異を理由に団結できないでいるのは嘆かわしい。2024年こそ野党は自民党政権打倒のために団結できるか真価を問われる。解散総選挙が行われ、野党が団結できれば、10数年ぶりの与野党逆転や政権交代までもが視野に入る重大局面となるかもしれない。
再び国外に目を転じると、2024年は米国、ロシア、ウクライナで大統領選挙が行われる。10月以降、パレスチナ情勢の陰に隠れる形で動向が伝えられることも少なくなっていたウクライナ戦争とその行方に再び注目が集まるであろう。これら3カ国の選挙の行方によっては停戦の動きになる可能性がある。無益な戦争に終止符を打たなければならない。
ウクライナのゼレンスキー大統領は戦時中であることを理由に大統領選挙を延期するかもしれないと報じられているが、そんなことをすればそれこそロシアの思うつぼだ。「私は国民に選挙で信任を受けた。選挙をせず延期したゼレンスキー氏にウクライナ国民の代表を名乗る資格があるのか」とプーチン大統領が宣伝してくるのは目に見えているからである。私としてはできることならウクライナが正々堂々と大統領選挙を実施し、停戦に積極的な新たなトップが選ばれることを望む。
米国大統領選挙は、いずれも80歳代のバイデン、トランプ両氏の争いになるとの見方もあるが、この世界的非常事態にそんなことでいいのか。若くて柔軟な指導者をトップに就けなければ国際社会における米国の地位のさらなる低下は免れないだろう。
これだけの政治的要素を見るだけでも、2024年は今年とは比べものにならないほど激動の1年になると思う。私たちにとって最も大切なことは、機能不全に陥っている各国政府と国際機関に対し、人々の命と暮らしを尊重するよう強く要求していくことだ。2020年代後半がどのような時代になるかは、来年おそらく決まるだろう。
注)宗教法人に対する解散命令請求としては「アレフ」(旧オウム真理教)に対するものがあるが、こちらは破壊活動防止法に基づく団体としての解散命令請求であり、認められた場合、法人格の剥奪だけでなく、団体としても解散となり、個人としての宗教活動しかできなくなる点が異なっている。なおこの際は、公安審査委員会で解散命令請求が棄却されたため、いわゆるオウム新法を政府が新たに制定した。オウム真理教の後継団体(「アレフ」「山田らの集団」など)に対する公安調査庁による監視や聴聞などは、このオウム新法に基づくものであり、破防法に基づいて付与された権限ではない。
(2023年11月19日)