安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

戻ってきた「当たり前の暮らし」に思うこと

2013-04-08 22:30:54 | 日記
福島から北海道への転居に当たって、私たちは、家財道具の多くを処分せざるを得なかった。もともと古いものがあったこと、鉄筋コンクリート造で結露のひどい住宅だったため、腐食やカビで多くの家具が傷んでいたことも理由だが、最大の理由はやはり放射能である。

原発事故以来、私たちは放射能被曝を防ぐための10箇条を策定し、実行してきた。しかし、この10箇条の9番目「外部に接する窓やドアは開放しない」に関しては実行できたとは言い難かった(それ以外の9項目はほぼ完璧に実行できた)。暖房器具の使用に伴って換気は必要だし、何よりも2011年、12年と白河では記録ずくめの猛暑となったことにより、夏の間ずっと窓は全開状態だった。大気中の放射性物質により、室内も相当汚染されていることは明らかだった。

表面がザラザラしていて凹凸の激しいものは、放射性物質がこびりつきやすい性質を持っている。そこで、家具のうち表面がザラザラしているものはほとんど処分した。それ以外のものは、北海道上陸後に丁寧に拭き掃除をすることを条件に、必要最小限のものを持ち込んだ。食器、調理用具も大半を処分し、新たに買い直した。

このようにして迎えた北海道での新生活。外に出るのにマスクをする必要がない、水道水をそのまま飲めるといった当たり前のことが福島ではできなかった。それができることの喜びが、改めて湧いてきた。

近くのイオンでも、売っている食材はほとんどが北海道産。ほうれん草も北海道産が出ていたので、久しぶりに買った。原発事故以降、福島のスーパーでは、危険といわれる東北、関東産以外のほうれん草はついに1度も見ることがなかった。最も長い間、我が家の食卓から遠ざかっていたのがほうれん草だった。放射能汚染を気にすることなく、食材を買えるというのがいかにありがたいことかを思い知らされた。

当ブログ管理人は、福島時代、仕事に準じた所用で2週間~1ヶ月に1回程度、大阪に行く生活をしていたが、大阪のスーパーでも、関西の周辺県で生産された安全な食材をいつでも買うことができる。関東、東北にいると感覚が麻痺してしまうが、「汚染地産の食材しか選択できない」という異常事態に置かれているのは、実は関東、東北だけである。

しかし、少し考えてみれば当然のことで、野菜などの生鮮食品は荷痛みが激しいから、遠距離輸送をすると輸送コストはかかるのに鮮度は落ちてしまう。わざわざ関西や北海道まで、コストをかけ、鮮度を落として輸送したところで、輸送コストがなく新鮮な地元産食材に対抗できるはずがないから、結局、生鮮食品ほど地元で消費されることになる。放射能汚染のひどい関東、東北産の食材は、結局は関東、東北で「地産地消」されるしかない…資本主義社会の基本である費用対効果とはそういうものである。

福島にとどまったまま、測定活動など様々な活動をしている多くの人がいる中では言いにくいことだが、北海道に来てこのような食品流通の事情を見ていると、結局は「福島からも首都圏からも、逃げたもん勝ち」のような気がする。
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