安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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水樹奈々 声優史上初のオリコン首位を獲得

2009-06-09 23:43:39 | 芸能・スポーツ
水樹奈々 声優史上初のオリコン首位を獲得(J-CASTニュース)

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声優・水樹奈々さんの通算7枚目のアルバム「ULTIMATE DIAMOND」が2009年6月9日発表されたオリコン週間アルバムランキング(15日付)で首位に躍り出た。発売1週目で約7万4000枚売り上げた。オリコン41年の歴史で、声優が同ランキング首位を獲得するのはシングル、アルバムともに初。

水樹さんは1980年生まれの29歳。主な代表作は「NARUTO -ナルト-」(日向ヒナタ役)、「魔法少女リリカルなのは」(フェイト・T・ハラオウン役)など。高い歌唱力で、歌手としても高い人気を持っている。07年の前作「GREAT ACTIVITY」は同ランキング2位に入っていた。
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ついに、水樹奈々が快挙を達成した。声優では誰も成し遂げられなかったオリコン1位の快挙だ。

最近、1位の曲でも3万枚程度しか売れていないことがあり、音楽不況を実感させられるが、そんななかで7万枚以上も売れたのだ。単に「ほかの一般楽曲が売れないため相対的に浮き上がって1位になった」のではない。水樹奈々の実力で1位になったのだ。

おめでとう、奈々ちゃん。
多忙にかまけ、まだアルバム買ってない私を許してください。今週中には絶対買います。

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弱る太陽 活動200年ぶりの低水準

2009-06-08 23:39:01 | 気象・地震
弱る太陽 活動200年ぶりの低水準(朝日新聞)

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 太陽の活動が200年ぶりの低水準にまで落ち込んでいる。これまでのパターンだと再来年には活動の極大期を迎えるはずなのに、活発さの指標となる黒点がほとんど現れない。研究者も「このままだと地球はミニ氷河期に入る可能性がある」と慌て始めた。

 太陽の活動は約11年周期で活発になったり、静穏になったりというパターンを繰り返している。活動ぶりの指標が表面にシミのように見える黒点。黒点の周辺では爆発現象が多く起こり、黒点が多いほど、太陽の活動が活発だ。

 ところが、ベルギーの太陽黒点数データセンターによると、黒点の多さを表す「相対数」は08年が2.9で、過去100年で1913年の1.4に次ぐ2番目の少なさだった。今年はさらに減り、4月までの暫定値が1.2と、1810年の0.0以来の低水準に落ち込んだ。

 太陽から放出される陽子などの流れ(太陽風)も07、08年は過去数十年とまったく違う。静穏期の太陽風は遅い風が赤道に、速い風が北極と南極に集まるが、名古屋大太陽地球環境研究所の観測では、07、08年は赤道付近にも速い風が多く現れた。徳丸宗利教授は「太陽の磁場が弱まっている影響だろう」という。この磁場の弱まりも、黒点の減少と関係があるとみられる。

 太陽活動には数百年周期の変動も知られる。17~18世紀には約70年間、黒点がほぼ消え、欧州では英国のテムズ川が凍るなど「ミニ氷河期」に陥った。東京大宇宙線研究所の宮原ひろ子特任助教は「ここ1千年でも活動の極小期が5回あり、前回が1800年ごろ。歴史的には、そろそろ次の極小期に入ってもおかしくない」と指摘する。

 国立天文台の常田佐久教授は「X線や光も弱まっている。今後、再び黒点が増えても、従来のような活発さになると考える太陽研究者は少ない」と話す。(東山正宜)
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つい最近まで温暖化温暖化と言われ、今後地球の温度は上昇の一途をたどるのだという論調が支配的なこのご時世に、驚くべき結果である。しかし、地球も宇宙の中に存在しているのだから、外部から受ける影響と無縁ではいられない。よく言われる「地球全体で見れば温度は常に一定」というのも、太陽活動などの外部要因が常に一定という前提条件があってのことであり、太陽活動そのものの弱体化となれば、話は全く違ってくる。

太陽活動の弱体化という事実を踏まえれば、「ミニ氷河期」への突入はじゅうぶんあり得る話である。テムズ川が凍った300年前は、日本国内でも冷害によって飢饉が繰り返し発生した時代でもある。テムズ川が北極海並みの水温になるわけだから、本当にミニ氷河期となった場合、世界の気温は平均で10度くらい下がるのではないか。日本で言えば、九州が北海道くらいの気候になり、北海道の冬は今のロシア並みの気候になるかもしれない。

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「17年間の人生返して」=捜査批判、声震わせ-釈放の菅家さんが会見

2009-06-05 23:15:27 | その他(国内)
「17年間の人生返して」=捜査批判、声震わせ-釈放の菅家さんが会見(時事通信)

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「今までの17年間の人生を返してもらいたい」。釈放された菅家利和さん(62)は千葉刑務所を出た後、千葉市内のホテルで記者会見し、「本当にうれしく思います」と語る一方で、「わたしは犯人ではありません」と声を震わせ、刑事司法に重い十字架を突き付けた。

 午後4時55分ごろ、会見場に姿を見せた菅家さん。支援者の大きな拍手に迎えられたが、刈り上げた頭に目立つ白髪やしわの深さが、拘置・服役生活の長さを物語った。冒頭では弁護人に促されるように話し、「この17年間犯人にされ、ずーっと我慢してきました」とうつむき加減。

 「突然、釈放すると言われたのでびっくりしました」。刑務所での最後の一日。午前中、工場から呼び出され告げられたという。「その時はキョトンとしていたが、そのうち良かったと思いました」と、控えめに笑った。

 しかし、事件に話が及ぶと、「当時の警察官、検察官は謝ってほしいと思います」「絶対に許すことはできません」。何度も語気を強め、「間違ったではすみません」と捜査を非難した。

 既に両親は他界。「警察に捕まって、おやじはショックで亡くなりました。2年前、母親が亡くなりました。母親はつらかったと思います」。墓前には「自分は犯人ではないので安心してもらいたいと早く報告したい」と語り、「生まれた(足利の)故郷に帰りたいですね」とぽつりと語った。また、女児の墓にも「おじさんは犯人じゃないよ」と伝えたいという。会見では、硬かった表情もほぐれ、徐々に笑顔も見られるように。支援者からヒマワリの花束を受け取ると照れるように笑い、大好きなコーヒーをホテルで飲んだ感想を「ひと味もふた味も違いますね」としみじみと語った。(2009/06/04-20:11)
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弁護側が求めていたDNA再鑑定に端を発し、19年前の足利事件は急展開した。弁護側が申請した鑑定人はもちろん、検察側鑑定人からも「少女の遺体に付着していたDNAが菅谷さんと別人」との鑑定結果が出され、再審開始に大きく道が開いたのだ。

現在、DNA鑑定の精度は向上し、誤差は1兆分の1よりも少ないといわれるが、事件当時のDNA鑑定は、他の証拠の補完として使えるかどうかすらも怪しいと言わねばならないほど精度は低かった。今回のえん罪は、そのような精度の低い鑑定にすがった捜査当局、及びその捜査結果に疑いも抱かず逮捕状を発し、有罪判決を言渡した裁判所に猛省を促すものとなるだろう。

捜査当局は、17年間も菅谷さんを無実の罪で収監し続けたことに対しけじめをつけるため、再審ではぜひ無罪の論告をみずから行うべきである。それとともに、このようなえん罪が発生した要因を詳細に調査し、再発防止を期さなければならない。

同時に、死刑制度のあり方を検討する必要があるのではないか。最近、「厳罰化」を求める世論もあり、死刑判決が多くなっている。しかし、警察庁出身の亀井静香代議士(国民新党)が、警察官僚としての実務経験も踏まえ「人間のやることには誤りがある。間違いであったとき、死刑執行が行われていれば取り返しがつかない」という理由で死刑廃止議員連盟の会長を務めているという事実はもっと重く受け止められていいのではないだろうか。

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天安門事件から20年

2009-06-04 23:29:30 | その他(海外・日本と世界の関係)
天安門20年 厳戒の朝(産経新聞)

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 【北京=矢板明夫】中国当局が民主化を求める大学生らを武力弾圧した天安門事件から20年を迎えた4日、天安門広場や要人居住地の中南海周辺では、早朝から大勢の武装警察隊員が動員され、厳重な警戒態勢が敷かれた。

 天安門広場は5月末から、一般観光客の出入りが制限され、広場に入る際には空港並みの荷物検査を受けなければならなかった。3日夕方から夜にかけては完全立ち入り禁止に。武装警察隊員が広場の外側に並んで周辺を通行する自動車や人々に目を光らせ、物々しい雰囲気を漂わせた。

 20年前に民主化運動の中心となった北京大学でも、正門の近くに武装警察ナンバーの大型バスが数台停止。海外の民主化活動家が白い服を着て広場に集まることを呼び掛けていることから、当局の意向を受けた学生会が、4日に白い服を着て外出しないよう注意する通達を出した。
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(当エントリの以下の文章は、当ブログ管理人が月刊誌に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

6月4日と聞いて、皆さんは何を連想するだろうか。「虫歯予防デー」を連想する人が多いのではないかと思う。だがこの日は、忘れてはならない事件があった日である。天安門広場が惨劇の舞台となった天安門事件、民主化運動を中国政府が武力で鎮圧したあの事件からもう20年も経ったのだ。

中国の民主化運動のきっかけは、この事件の2ヶ月前、改革派のリーダーで、失脚していた胡耀邦・元中国共産党総書記の死去だった。胡耀邦氏の追悼と称して天安門広場に集まり始めた学生らが、やがて民主化要求を始める。さらに、学生たちの民主化要求に理解を示し、対話によって事態の収拾をめざそうとしていた趙紫陽・共産党総書記(当時)が「学生に対して弱腰」との理由で解任される。

この解任には、すべての役職を退いていた小平氏の意向が強く働いていた。小平氏は、事件当時、中国共産党中央軍事委員会主任を務める実力者だったが、政府のすべての役職を引退していた。しかし、実際には、この実力者のもとに党総書記や国家主席といった最高幹部が足繁く通い、指示を仰ぐという状況が日常化していた。当時の中国は、長年にわたって党・政府に尽くしてきた功労者が属人的権力を行使するという、きわめて遅れた政治体制だった。

こうした中で、学生たちの民主化要求は先鋭化し、ついにハンガーストライキにまで発展した。ハンストは収束の見通しが立たないまま、趙紫陽氏失脚後の5月20日、戒厳令発令。地方から人民解放軍部隊が北京に集結するのを見て、武力弾圧が近いと考えた天安門広場の学生たちは、撤収の是非を投票にかけた結果、撤収反対が9割を超えたという。

そして1989年6月4日、事態は急転する。中国メディアが学生たちを「暴徒」、民主化運動を「反革命暴乱」と規定、「暴乱平定」のため出動した人民解放軍の戦車が学生たちを蹴散らし、銃を乱射して多くの犠牲者を出したのだ。

犠牲者数は少なく見積もっても数十人、最も多い報道では6000人とも言われた。第2次大戦後はどこの国にも見られなかったような野蛮な政治弾圧だった。外国メディアが天安門広場に散らばった無数の遺体を映し出しているのに、「党の喉舌」(こうぜつ=宣伝機関)とされている国営メディアはそれでもなお「人民解放軍はひとりの市民も殺していない」とウソの発表を続けた。中国政府が公式に認定したこの事件の死者数は319人とされたが、私は今でもその数字が信じられない。

中国人民解放軍の前身とも言われる「八路軍」は、日本軍や国民党軍と戦いながら中国各地を転々とするなかで、「人民からは針一本といえども奪ってはならない」「敵階級から奪ったものは公有とせよ」に代表される高い規律で貧困層の支持を得、それが1949年の中国革命の基盤になったとされる。その八路軍を前身とし、「人民解放軍」を名乗る軍隊が「世界人民大団結万歳」のスローガンが掲げられた天安門広場で「人民」を無差別に殺害するなどという事態は、私の想像をはるかに超えていた。「中国政府はそれでも最後の一線だけは守るだろう」と、対話による事態収拾を望んでいた私はすべてが信じられなくなった。そして、この事件は、半年後にソ連・東欧を揺るがすことになる「ベルリンの壁」「東欧社会主義」の相次ぐ崩壊とあいまって、社会主義・共産主義を多少なりとも信じてきた人たちを失望のどん底に陥れるのだ。

だが、中国共産党指導部の中では、彼らなりに整理ができていたのだろう。「共産党一党独裁の廃止」を要求するような連中は「外国勢力と結びついた小ブルジョア」であり、「敵階級」と規定して差し支えない連中であるから、人民解放軍は遠慮なく彼らへの「革命的暴力」を行使して構わないというのがおそらく彼らの「公式の教義」であろうと思われる。

しかし、そのような規定自体が根底から間違っている。天安門に集まった学生の多くは労働者の家庭の出身であり、将来は労働者として社会に出なければ食べていけない、という意味において労働者階級以外ではあり得なかった。その学生たちに人民解放軍が武器を向けたこの事件は、図らずも中国の共産党支配がどのような性格のものであるかを明らかにしたのである。

それは、この年の秋、国民の支持を失って一気に崩壊することになる東ヨーロッパの社会主義体制と同じ性格のものだった。そのころの東ヨーロッパは停滞と混迷という以外に表現のしようがないもので、ろれつも回らなくなった老いぼれの「最高指導者」が変わり映えのしない西側非難だけの演説をし、その無内容な演説に思考停止した党員たちが「万雷の拍手」を送るというどうしようもないものだった。その上、当時の社会主義国では、死亡以外の理由で最高指導者が交代することはまずなかった。ソ連でも、存命中に失脚したのはニキータ・フルシチョフただひとりで、後は全員が死亡か病気による交代だった。

こうした現実を見せつけられた中国の若者が、政治的自由を求めて天安門に集ったのは、当然の成り行きだったと私は思っている。もしも私が中国に生まれていたら、間違いなくあそこにいただろうと思うくらいに、私は当時、自分と同年代だった学生たちへのシンパシーを感じていた。天安門に集い、党中央から説得に乗り込んできた趙紫陽総書記と直接対話した学生たちにとって、「自由」はあともう少し手を伸ばせば届きそうなところまで事態は進展していた。しかし結局、党中央は学生たちに対し、最も野蛮な暴力で応え、自由への希望は散っていった。あの日、天安門からの撤収の是非を投票という民主主義的手段で決めた学生たちに対し、武力弾圧を一介の老人の一声で決定した党中央。そのどちらが正しかったかはいうまでもないだろう。

それから20年、一介の実力者が党中央を通じて属人的権力を行使するという二重権力構造は確かに消滅した。ソ連・東ヨーロッパの社会主義体制が「死」以外の理由で最高指導者を交代させられなかったのに対し、中国共産党は一定の期間が経過すれば党総書記も国家主席も交代させており、その意味ではルール化された統治であると言えなくもない。しかし、そうしたルール化された統治はあくまでも中国共産党内部の話であって、「党」対「人民」という視点で見た場合、20年前とそれほど事態は変わっていない。「ルール化された集団指導体制をとる一党支配の党」が国民の上に君臨するという図式にいささかの変化もないのである。

昨年の北京五輪直前には、チベットで暴動も発生したが、漢民族と明らかな格差があるにもかかわらず放置されている少数民族はなにもチベットだけではない。新彊ウイグル自治区を中心に生活するウイグル族(トルコ系)、寧夏回族自治区を中心に生活する回族(イスラム系)など、少数民族はすべて経済格差と抑圧にあえいでいる。

中国共産党それ自体も変質し、私営企業家の入党を認める党規約改正もすでに行われた。「資本家階級」の入党を認める政党が階級政党であり続けられるはずもなく、その実態は今や資本主義国の国民政党と変わらないといえよう。中国共産党が、経済開発のために独裁を維持する現在の姿は、発展途上国が先進国になるための経済成長の過程でどの国にも起こってきた「開発独裁」の中国的形態であるというのが私の現状認識である(この見解には異論を持つ方もいるかもしれない)。

だが、このような過渡的形態である開発独裁がいつまでも続くはずもなく、インドネシアのスハルト政権がそうであったように、いずれは汚職と腐敗による「内圧」と民主化要求という「外圧」がリンクするときが来るだろう。そのときが一党独裁体制の終わりになるに違いないが、少なくとも私は世界人口の4分の1を占める巨大なこの国の混乱を望んではいない。中国共産党がこの事件をきちんと検証し、複数政党制や自由選挙などの制度を段階的に導入しながら、安定的な社会運営という内外からの要請にも応える形でソフトランディングしてくれることを願っている。

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ようやく沈静化した新型インフル騒動を総括する

2009-06-03 22:05:36 | その他(国内)
新型インフルエンザ騒動で冷静さを欠く日本人とメディアの異常(ダイヤモンド・オンライン)

本当に「騒ぎすぎ」だったのか (ITpro)

と、「騒ぎすぎ」「そうとは言えない」という両論をご紹介したが、説得力があるのは前者の上杉氏の言説のほうだ。やはり日本のメディアは騒ぎすぎだと思う。

2005年、「小泉新自由主義改革」信者にあらずんば人にあらずと言わんばかりの「大政翼賛選挙」の片棒を担いだマスコミの、その後の劣化は目を覆うばかりだ。

正直なところを言えば、マスコミがもっとしっかりしてくれていれば、私ごときがこのようなブログを立ち上げることもなかっただろう。私がこのブログを立ち上げ、「社会・時事」カテゴリを設けようと考えたのは、この国のマスコミの行く末に真剣な危機感を感じたからである。

「危機感」というのはこうである。すなわち、日本のマスコミは、報道がある一方に偏り始めると、徹底的に報道がその1点に集中し、それ以外のことはこの世に存在しないかのような、それ一色の報道となる。ごく最近の例だけ見ても、新型インフル騒動と、公園で酔って裸で逮捕された芸能人を巡る騒動が典型的だ。たかが芸能人の裸踊りごときを、公共放送までがトップニュースで伝えるという事態は、明らかに常軌を逸しているし、その陰で真に報道されるべき出来事が報道されなかったことによって社会が受ける損失には計り知れないものがある。さらに言えば、こうした「視聴率は取れるが物事の本質ではない部分への1点集中」が、現在の社会で最も問題とされ、あるいは議論の対象とされるべき本質的な事柄から世間の関心を逸らすための決定的な役割を果たしている点において、マスコミの罪は最も大きく、かつ深いといえるのである。

ただ、こうした「物事の本質でない部分への1点集中」が最近になって出てきた傾向かと言われれば、必ずしもそうではなく、日本のマスコミの興奮体質は昔からあった。1978年、野球界のルールを無視し、巨人が「空白の1日」を利用してドラフトの枠外で江川卓選手との契約を強行しようとした事件(いわゆる「空白の1日」事件)の際は、江川選手と巨人を追及しようとしたマスコミが興奮状態となり、ついには騒動の渦中にいるはずの江川選手本人が記者会見で「皆さん興奮しないでください」と発言するという、前代未聞の事態となったのである。

この出来事は、「怪童」と言われた江川選手の強心臓ぶりを示すエピソードとして日本社会を駆けめぐったが、一方では「正義」を振り回して上滑りするマスコミの滑稽なピエロぶりをも浮き彫りにした。日本のマスコミが「パパラッチ」化し、劣化スパイラルに入ったのは、「ロス疑惑」に関し、当時は一私人に過ぎなかった三浦和義氏(個人)を追い回すようになったあたりからだろう。

その後、今日に至るマスコミの凋落ぶりはご覧の通りである。

これまで公式に表明したことはないが、当ブログが「社会・時事」カテゴリで記事を書くときは、大手マスコミが取り上げた話題を大手マスコミと同一の論調で取り上げることはしないという大原則を持っている。大手マスコミが取り上げない出来事を取り上げる、大手マスコミと同じネタを取り上げるときは彼らと全く違った視点で論ずる。それが基本原則である。だから当ブログはマス(=多数)メディアではあり得ないし、読者はせいぜい100人もいれば充分という姿勢で臨んでいる。当ブログの試みが成功するかどうかはわからないが、「パパラッチ」化したマスコミに不満を持つ一個人によるささやかなジャーナリズム再生運動として、気概を持って進んでいきたいと思っている。

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