人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

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私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

【管理人よりお知らせ】放射線量測定を再開します

2011-09-23 17:05:44 | 運営方針・お知らせ
7月18日付記事にてお知らせしていた通り、当ブログでは線量計故障に伴い、放射線量測定を中止していましたが、新たに線量計を入手できたことから、放射線量測定を再開することにします。

再開後の新たな測定方法をお知らせします。

1.測定場所
福島県 西郷村転作促進技術研修センター(場所はこちら

7月まで測定を行っていた「八雲神社」と事実上同じ場所ですが、公共施設名で表示したほうが理解しやすいと思いますので、今後はこのように表示します。

2.測定方法
(1)使用する線量計 RADEX RD1503

(2)測定地点
7月までは、西郷村転作促進技術研修センターと同じ敷地内にある「八雲神社」の本殿前の土壌と、隣接する公園遊具下の土壌を測定していましたが、土壌・アスファルト舗装の両方で線量の変化を見る必要があること、公園の遊具が当初の想定ほど子どもたちに利用されていないことから、公園遊具下の土壌の測定は止め、今後は西郷村転作促進技術研修センター正門前のアスファルト舗装の上を新たに測定します。

この結果、測定地点は「八雲神社本殿前の土壌」と「西郷村転作促進技術研修センター正門前のアスファルト舗装」の2カ所になります。

(3)測定する高さ
以前と同様、高さ10cmと1m地点で測定します。

(4)測定方法
RADEX RD1503は、40秒ごとに線量を測定し、それまでの計測値との間の平均値を自動表示する仕様になっています。このため、同一測定地点の同一の高さで3回測定し、その平均値をその測定地点、高さにおける測定値とします。

(5)気象データの発表方法
7月までの測定では、気象データの発表は気象庁サイト掲載のデータを発表していました。しかし、気象庁サイトでは、当日中は最大風速のみの発表であり、1時間ごとの風速データの発表は翌日以降となります。こうした事情を考慮して、今後、風向・風速データは、yahoo!気象情報サイトに掲載のデータを使用することとします。

(6)測定値をご覧いただくに当たっての注意事項
7月までの測定では、線量計の数値を1分間見定めた後、その間の最高値を測定値として発表していました。今後の測定では、測定値の決定方法を(4)の通り改めます。このため、7月までの測定値と今後発表する測定値との単純比較はできませんのでご了承下さい。

また、この測定はあくまで民間測定であり、線量の正確さを保証するものではありません。当ブログで発表する測定値は参考程度の認識にとどめてください。ただ、同一の場所で、同一の測定器を用いた「定点観測」となりますので、時間の経過による線量の変化を見る上でひとつの材料を提供できるものと思います。

(7)その他
7月18日付の記事では、線量測定再開の際には測定場所を変えるかもしれないとお知らせしましたが結局、同一場所での計測再開としました。福島県内は、会津地方の一部を除けば、ほとんどの地域が放射線管理区域以上の状況にあります。公的機関や民間有志による測定の結果、早い時期に住民避難を要するような危険地域もほぼ特定されています。計測結果をどのように評価すべきかをめぐって激しい対立も生まれており、当ブログ管理人も住民防護を最大限重視すべきとの立場から活動していますが、新たな危険地域を探すという意味での計測を行う必要性はすでに薄れています。当ブログとしても、今後は、おおよその測定値と、その経時変化を見ることができれば十分だと考えています。

なお、当初は国産の線量計を購入する予定でしたが、注文から4ヶ月経っても入荷の見通しが立たないとの連絡を受けたため、外国製の購入に切り替え、最も流通している機種のひとつであるRD1503を購入することにしました。この線量計の測定範囲は0.05~9.99μSv/hですが、0.05μSv/h以下であれば安全なので測定の必要はなく、9.99μSv/hを越えるようであれば即時避難すべきであり、やはり測定は不要と考えています。そうした事情を考慮すれば、この程度の性能で十分だと思います。

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9.19明治公園集会 写真報告

2011-09-21 00:43:13 | 原発問題/一般

挨拶する大江健三郎さん


挨拶する山本太郎さん


会場を埋め尽くした参加者


子どもたちも「原発いらない」をアピール


続々と進むデモ隊


先頭に立つ著名人


交差点をデモ隊が進む

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9.19 反原発集会(明治公園)著名人の発言要旨

2011-09-20 23:25:07 | 原発問題/一般
9.19明治公園集会での各著名人の発言などが続々と報告されている。ぜひ記録に残しておくべきだと思うので、紹介する。

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国家公務員一般労働組合による報告

●「さようなら原発」への“結節点”と“出発点”となる今集会

――鎌田慧さん(ルポライター)

きょうここに5万人集会を成功させることができました。きょうの集会は“これまでの結節点”であり、原発をなくしていくための“これからの出発点”でもあります。野田首相は国連に出席して原発の安全性を高めていくと演説するとしています。しかし、原発の安全性と信頼性はすでに破綻しています。それでも原発を再開することは国民に敵対する行為です。国民の8割が原発のない社会で生きたいと言っています。この声を無視して政治をできるわけはありません。

これまでどれだけの被爆者が発生しているのか?どれだけの原発労働者が被曝しているのか?これから分かってきます。その恐ろしい結果を私たちはきちんと認識し、その救済を少しでも早く始めていかなければいけません。そういう意味でもきょうの集会を力強く成功させ、救済運動も進めていきましょう。

脱原発運動は多くの人々の意識を変えていく運動でもあります。みなさん、核に依存して生きることは人類は絶対にできないのです。核と人類が共存できないということは、ヒロシマ、ナガサキそして今度のフクシマの原発事故でも証明されています。どうしてこれ以上の犠牲者をつくることができるでしょうか。私たちは原発に「さようなら」を言いましょう。この原発への「さようなら」はまた会いましょうなど再会を期することを含んだものではありません。もう絶対に会いたくないという意味での「さようなら」が原発に対する私たちのメッセージです。もう原発のある社会はいらない。そして、これから子どもたちに平和で幸せな社会を残すためにこそ頑張って行こうではありませんか。これからも様々な集会やデモに取り組み、1千万署名をひろげましょう。そして来年3月24日に日比谷野外音楽堂で1千万署名の集約集会を開きましょう。

●原発は必ず荒廃と犠牲を伴う

――大江健三郎さん(作家)

二つの文章を紹介します。一つは渡辺一夫さんの文章です。

狂気なしでは偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もあります。それはウソであります。狂気によってなされた事業は必ず荒廃と犠牲を伴います。真に偉大な事業は狂気にとらえられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって誠実に地道になされるものです。

この渡辺一夫さんの文章はいま次のように読み直されうるでしょう。

原発の電気エネルギーなしでは偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もあります。これはウソであります。原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います。

二つめの文章は、新聞に載っていたものです。原子力計画をやめていたイタリアがそれを再開するかどうか国民投票を行い、そして反対が9割を占めました。それに対して日本の自民党の幹事長が、「あれだけ大きな事故があったので集団ヒステリー状態になるのは信条としてわかる」と語ったそうです。もともとイタリアで原子力計画が一端停止したのは25年前のことです。チェルノブイリの事故がきっかけでした。それから長く考え続けられた上で、再開するかどうかを国民投票で決めることになった。その段階で福島原発事故が起こったのです。自民党の幹事長は「反原発というのは簡単だが生活をどうするのかということに立ち返ったとき国民投票で6割が原発反対だからやめましょうという簡単な問題ではない」と締めくくりました。原発の事故が簡単な問題であるはずはありません。福島原発事故による放射性物質で汚染された広大な面積の土地をどのように剥ぎ取るか?どう始末するのか?すでに内部被曝している多くの子どもたちの健康をどう守っていくのか?

いままさにはっきりしていることはこうです。イタリアではもう決して人間の命が原発によって脅かされることはない。しかし、私たち日本はこれからさらに原発の事故を恐れなければならないということです。私たちはそれに抵抗するという意思を持っているということを想像力を持たない政党の幹部とか経団連の実力者たちに思い知らせる必要があります。そのために私たちに何ができるのか。原発を推進する勢力に対抗するには集会やデモしかありません。しっかりやっていきましょう。

●「新しい原発安全神話」は許さない

――内橋克人さん(経済評論家)

注意しなければならないことがあります。それは「新しい原発安全神話」、「原発安全神話の改訂版」、「新版」、これが台頭しつつあるということです。つまり、「技術が発展すれば安全な原発は可能である」とする安全神話の改訂版が新たな装いを凝らして台頭しつつある点に注意をしなければなりません。

たとえば、地下深く原発を埋め込んで洞窟の中で原発を続けるというような計画などが企まれているということであります。地下の洞窟の穴に原発エネルギーをつくる装置を埋めてなおかつ原発を持ち続けたいというこの意図の裏には何があるのでしょうか?それは、私たちの国が「核武装」、「核兵器で再武装」することが可能となる潜在力を持ち続けたいとする政治的意図だと思います。合意なき国策がここまで進んできました。幾度も幾度も打ちひしがれた経験を私たちは生かさなければいけません。原発エネルギーではなくて命のエネルギーが輝く国にしようではありませんか。きょうその一歩が踏み出されます。「さようなら原発」、「こんにちは命輝く国」。世界を変える一歩一歩を歩き続けましょう。

●放射性廃棄物の処理能力も持たない人間が原発を持つことの罪

――落合恵子さん(作家)

私はビートルズ世代で、ジョン・レノンのイマジンもよく聴いています。

想像してください。子どもはどの国のどの社会に生まれか選ぶことはできないのです。そして生まれてきた国に原発があってこの暴走があったことがいまの私たちの社会です。

想像してください。フクシマのそれぞれの子どもたちの今を。そしてこの国のそれぞれの子どもたちの今を想像してください。

スリーマイル島、チェルノブイリ、そしてフクシマ。あの原発大国フランスでもついこの間核施設の事故があり、ほとんどの情報を私たちが手に入れられない現実を生きています。今度はどこで、次は誰が犠牲になるのかとそのストレスを絶え間なく抱いて生きていくのはもういやだ。私たちはそれぞれ叫んでいきたいと思っています。

放射性廃棄物の処理能力も持たない人間が原発を持つことの罪深さを私たちは叫んでいきましょう。それは、命への、それぞれの自分自身を生きて行こうという人への国家の犯罪なのです。容易に核兵器に変わるものを持つことを、恒久の平和を約束した憲法を持つ国に生きる私たちは決して許容してはならないはずです。

想像してください。まだひらがなしか知らない小さな子どもが夜中に突然起きて「放射能来ないで」って泣き叫ぶような社会をこれ以上続けさせてはいけないはずです。私たちはこの犯罪に加担せず、暴力に対して私たちは非暴力を貫き、世界から原発と核が消える私たちのゴールに向かって歩みましょう。私たちは、あきらめません。慣れません。忘れません。歩き続けます。

●市民団体「ハイロアクション!福島原発40年」武藤類子さんの発言(同団体のサイトから)

みなさんこんにちは。福島から参りました。

今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に参りました。初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが原発いらないの声をあげようと、声をかけ合いさそい合ってこの集会にやってきました。
はじめに申し上げたい事があります。

3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆる事に取り組んできたみなさんひとりひとりを、深く尊敬いたします。

それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。

そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子供たち、若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心からあやまりたいと思います。本当にごめんなさい。



皆さん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。桃・梨・りんごと、くだものの宝庫中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。そのむこうを深い山々がふちどっています。山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。

3.11・原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。

大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。

すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。 毎日、毎日、否応無くせまられる決断。逃げる、逃げない?食べる、食べない?洗濯物を外に干す、干さない?子どもにマスクをさせる、させない?畑をたがやす、たがやさない?なにかに物申す、だまる?様々な苦渋の選択がありました。

そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、

・真実は隠されるのだ

・国は国民を守らないのだ

・事故はいまだに終わらないのだ

・福島県民は核の実験材料にされるのだ

・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ

・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ

・私たちは棄てられたのだ

私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。

でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。

福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。

・子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが・・・

・自分たちの未来を奪われまいと若い世代が・・・

・大量の被曝にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、  労働者たちが・・・

・土を汚された絶望の中から農民たちが・・・

・放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が・・・

・ひとりひとりの市民が・・・

国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと声をあげています。

私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。

私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに注目してください。政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。

もうひとつ、お話したいことがあります。

それは私たち自身の生き方・暮らし方です。 私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。原発はその向こうにあるのです。 人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。 私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。 ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な答えはわかりません。できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力があることを思いだしましょう。

私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。 そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。

たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。

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東京・明治公園での反原発集会に6万人~福島デモ隊、都民の拍手で迎えられる

2011-09-19 22:55:14 | 原発問題/一般
今日、東京・明治公園で「さようなら原発1000万人アクション」が開催され、主催者発表で6万人が集まった。航空写真を見る限り、主催者発表の数字は決して誇張ではない。沖縄で基地反対10万人集会が開かれてもてんで無関心だった東京でこれだけの人数が集まったことはまさに驚天動地だ。少なくとも70年安保以来、東京でこれだけの人が集まった集会・デモを私は知らない。

集会では、鎌田慧さん、大江健三郎さん、内橋克人さん、落合恵子さん、澤地久枝さん、フーベルト・ヴァイガーさん(FoEドイツ代表)、山本太郎さんが挨拶した。とりわけ最も若い山本さんの訴えが印象に残った。「メディアからもはや真実が伝わることはない。彼らは今なお命よりカネが大切なのだ」「デモにどんなに人が集まっても、どんなに多くの署名が集まっても効果は限定的。政治家にとって最も効果があるのは、それぞれの事務所に出向き、直接彼らの立ち位置、そして彼らがどうあるべきかを問うことだ」。その呼びかけは、事務所退社という形でみずから退路を断ってまで反原発の意思を貫くことを誓った者だけが持ちうる凄まじい気迫に満ちている。

3コースに分かれてデモ隊が出発する。私は福島県関係者として、デモ隊の先頭を切ることになった。ふと後ろを振り返ると、どこが終わりなのか見当もつかないほどの長い長い列。そして、デモ隊が道路に出ると信じられないことが起きた。歩道を歩いていた市民から、デモ隊に拍手が送られたのだ。

私は、そうした都民の拍手を少なくとも4~5カ所で確認した。「頑張れよー」という男性の声も聞いた。歩道橋の上からも、手を振る都民がいる。観光バスの中から手を振る観光客もいた。

私がデモというものに初めて参加したのは、もう10年以上前。所属労働組合の小さな賃上げ要求デモだった。気勢の上がらないデモ隊に冷淡な市民。規制する警察の声だけがやたらうるさい。名古屋時代、自衛隊のイラク派兵反対デモでは、「バカ野郎!自衛隊は復興支援に行っているんだ!」と酔っぱらいから罵声を浴びせられたこともある。日本人のデモに対する意識なんてその程度のものだと思っていたし、「今度もせいぜい集まって2~3万人だろう」とどこか醒めている自分がいた。

都民のこの拍手は何を意味しているのか。同情? 連帯? もし同情なら、そんなものは要らない。それよりも支援がほしい。子どもたちを、今なお1μSv/hもの被曝にさらされている福島から避難させてほしいのだ。

都民から送られる拍手を聞きながら、ぜいたくな消費生活を謳歌したい東京の欲望こそがこの事態を引き起こしたのだと、東京を恨んだ自分の狭量さを反省した。「原発を止めれば停電が起きる」という政府・電力資本・マスコミ一体のキャンペーンは無残にも崩壊したが、その影には東京都民の涙ぐましい節電への努力があった。薄暗い駅、蒸し暑いオフィス、止まった自動販売機…そうした不便に耐えながら、今回、東京都民はよく頑張ってくれたと思う。ありもしない電力不足キャンペーンを打ち破るために、東京都民が福島の苦しみを思いながら懸命に闘ってくれていたことを知った。都民から送られる暖かい拍手の前に、私の東京へのわだかまりは氷解した。

戦後66年。放射能とともに負けた日本は、今度は自分自身の放射能で自分自身を汚すという、66年前に勝るとも劣らない愚行を起こした。しかし同時に、何かが変わりつつある胎動も今日、確かに感じ取った。66年を経ても閉ざされ続けた民主主義への扉。過去何度か開きかけては閉じ、また開きかけては閉じるを繰り返してきた、厚くて重い、錆び付いた扉。その扉が今日、ほんの少しだけ、開いた。

「まだ希望はある」。そう思わせてくれるに十分な6万人の人波だった。もう一度、東京と福島が力を合わせて、今度はこの扉を力いっぱい開きたい。

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【別冊宝島 食品の放射能汚染完全対策マニュアル】発売されました! ぜひご覧ください

2011-09-16 22:12:18 | 書評・本の紹介
宣伝になってしまいますが、別冊宝島1807 食品の放射能汚染完全対策マニュアル~「0ベクレル」の食卓を目指すためのバイブル(水口憲哉・明石昇二郎 編著)が9月16日に発売されました。

「本邦初! 一般家庭の献立と外食メニューを実際に測ってみました」コーナーに、我が家の食材を提供しました。結果は、このコーナーに記載されているとおり、放射性物質は検出されず、いずれも0ベクレルとの結果が得られました。

検査を依頼してみて思うのは、産地にこだわりさえすれば内部被曝をゼロに近づけることは可能だということです。ただし、2011年産食材が出回り始めるこの秋以降は、いつまで持つかという不安もありますが…。実際、汚染地域産しか売られていないため、我が家の食卓から消えた食材もあります(ほうれん草・牛乳はその最たる例)。重要なのは、3.11以降の日本はそれまでと違うという認識を持てるかどうかだと思います。食べたいものを我慢してでも内部被曝は減らすべきだと考えます。米に関しても、あってもなくても同じような「暫定基準値」以下でございますとの証明しかないものを主食として毎日食べるのはやめた方がいいと思います。

いずれにせよ、私のやり方が間違っていなかったとの証明が得られた意味は大きいものがあります。食品からの内部被曝を避けたいと思っていらっしゃる皆さま、内部被曝をゼロに近づけられる食材・産地選びの参考に是非ご覧いただきたいと思います。

「風評被害」のほとんどは実害です。生産者と消費者の闘いに持ち込み、反原発運動の分断を図る政府の策動に与せず、今後も当ブログは生産者・消費者双方が納得できる食品測定を要求していきます。

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北海道・日高地方中部での地震について(続報)

2011-09-14 23:19:22 | 気象・地震
この1週間あまり、本当に忙しかった。宮城・福島の被害調査をしたいという調査団の受け入れや、福島現地と結んだskype中継への出演等々。白河に住むようになってから平和な日々を送っていたのに、原発事故が縁で新たな人間関係が生まれたりするのだから皮肉なものだ。

さて、9月8日付記事にて紹介した日高地方中部での地震だが、この地域での地震が歴史的に少ないこともあり、評価が難しい。いろいろ検討した結果、現時点では十勝沖地震に直ちに結びつくものではなく、むしろ東日本大震災の影響の「最北限」だというのが私の見解である。

もう一度、気象庁プレスをご覧いただきたい。この記事の5ページ地図に周辺地域での過去の地震の震央が落とし込まれているが、このうち、プレート境界での地震と呼んでいいのは1968年と2003年の地震である。1962年と1982年の地震は、震央が内陸部に寄りすぎていて、プレート境界型地震という判定は下しがたいように思われる。むしろ北米プレート内部における活断層型地震とすべきだろう。その意味では、北米プレートが太平洋プレートに押される形で発生した歪みが地震につながったものと考えられる。

気になるのは、2003年に発生した十勝沖地震の規模がM7.1と、プレート境界型地震にしては小さすぎると思われることだ。プレート境界型地震ならM7台後半~M8程度の規模になるのが通常である。2003年の地震でプレート境界の地震のエネルギーが完全に放出されていない可能性がある。1962年の地震の6年後にやや震源を南に変えて地震が発生しており、2003年の地震で放出されなかったエネルギーが新たな地震をもたらすおそれもありそうだ。

いずれにしても、東日本大震災の影響は北海道にも確実に及んでいる。東日本全体が北米プレートの上なのだから当然である。北海道には東日本からの被災者の移住も多いと聞いているが、自分たちには無縁だと安穏としないで怠りなく警戒をしてほしい。

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北海道・日高地方中部で震度5強の地震

2011-09-08 01:02:33 | 気象・地震
平成23年9月7日22時29分頃の日高地方中部の地震について(気象庁報道発表)

もう夜も遅いので詳細は明日以降、書くことにしますが、プレスを見て気になることが1点あります。それは、発震機構(地震のメカニズム)が北東-南西方向への逆断層型であるという点。地震そのものは北米プレート内部で起きたものですが、北東-南西といえば、北海道沖で北米プレートと太平洋プレートが接しているプレート境界の方向と同じです。

根拠はありませんが、これまで長年地震を観察してきた者として嫌な予感がします。地殻のずれた方向がプレート境界と平行だからです。数日後、北海道沖を震源とする巨大地震が来て、「9月7日の地震はやっぱり前兆だったね」なんてことにならなければよいのですが・・・。

最近、北米プレート内部が異常に活発化しているという事情もあり、しばらくは厳重な警戒が必要だと思います。沿岸部に用もなく近づくことは避けた方が賢明でしょう。

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【告発キャンペーン2】「消費者は数値発表しても理解できない」と言い放った宮城県知事の数々の愚行

2011-09-04 19:04:53 | 原発問題/一般
しばらく間が開いてしまったが、告発キャンペーンその2では、村井嘉浩・宮城県知事を取り上げる。まずは、問題の記者会見の内容をご覧いただこう。

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宮城県知事定例記者会見(2011.8.22)

●県産牛出荷停止の一部解除について
◆Q(記者)
 検査証明書の表記には検出値も表記するのか、あるいは食品衛生法の基準を下回っていると、安全であるというざっくりとした表記になるのか。どのようになるのか。

■村井知事
 安全であるということだけでよろしいかと思っております。健康上全く問題のない数値であるわけですので、詳細な数値を出したところで消費者の皆さんは理解ができないわけでありますから、安全か安全でないかということだけはっきりと証明すれば十分だというふうに思っております。正式には、牛肉の放射性物質検査結果通知書といったような形で添付をしたいと考えております。(1キログラムあたり)500ベクレル以下であるということであります。その証明書がついていれば(1キログラムあたり)500ベクレル以下で、どれだけ食べても全く問題がないということであります。
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「詳細な数値を出したところで消費者の皆さんは理解ができない」とは恐れ入る。よくぞここまで平然と言ってくれるものだ。我ら消費者はそれほどまでに愚民なのか。それほどまでに「風評」とやらに踊らされる鼻持ちならない奴らだということなのか。

暫定基準値にしても、年間20mSvの内部被曝を前提としたものであり、どれだけ食べても全く問題がないというのは明らかな間違いだ。これに対して全く追及もしない記者クラブメディアも完全に死んでいる(私は、今回の原発震災における最大の敗者は、実は記者クラブメディアだと思っているが、それに対する論評は別の機会に譲る)。

いずれにせよ、この発言に怒らなければ認めたことになる。宮城県民よ、決起せよ。

●自衛隊、松下政経塾出身―戦争と新自由主義路線の権化

この知事の経歴を見てみよう。大阪府豊中市生まれ。1984年3月、防衛大学校を卒業し、同年4月から自衛隊へ。1992年に退官後、松下政経塾に入塾し、1995年卒業…。

戦争と新自由主義を絵に描いたようで、経歴を見るだけでも吐き気がするが、この知事は自治体のトップとしてもこの経歴にふさわしい(?)数々の愚行を続けてきた。そのいくつかをご紹介しよう。

(1)県民監視のファシズム体制
2011年1月、村井知事は、性犯罪の前歴者などに衛星利用測位システム(GPS)端末の常時携帯義務付けやDNA提出などを義務づける県条例の改正を行う方針を表明した。当然ながらこの方針は「監視社会化」だとして県民の反発を呼び起こした。河北新報(2011.1.23付け)によれば、仙台市内の女性は「人間同士の信頼感をなくす表面的手法」と反発している。そのほかにも「プライバシーの侵害」「独裁国家のようだ」「監視すれば物事が解決できると考えるのはあまりに安易」と県民からの評価は当然とはいえ、最低だった。

(2)避難所に食料も届かない県民がいる中、被災者そっちのけで増税を推進

宮城県が気仙沼市など沿岸7市6町の避難所332カ所を対象に4月に行った栄養量調査によると、9割でカロリーが不足し、7~8割でタンパク質とビタミンが欠乏していた。震災から2カ月近く経っても、宮城県では多くの避難所で食事の絶対量が不足し、提供量は1日平均1546キロカロリー。厚生労働省の摂取目標(2千キロカロリー)の77.3%にとどまっているという実態があった(2011年5月7日付け「河北新報」社説)。避難所によっては、5月になっても1日3食配布されないところも見受けられたという。

避難者がこのような困窮の中に置かれているときに、村井知事は菅政権が立ち上げた「復興構想会議」のメンバーとして、ほとんど地元を留守にしていた。しかも、このとき村井知事が東京で議論していたのは復興増税である。震災で家も仕事も失った被災者を援助するどころか、村井知事は新たな負担さえ課そうとしているのだ。

この復興増税構想は、さすがに達増拓也・岩手県知事の反対により先送りとなったが、村井知事はまだ導入をあきらめていない模様だ。

(3)農林漁業をグローバル資本に売り渡す「特区構想」を推進

村井知事が震災の「復興」を名目に打ち出したのが「水産業特区」構想である。これは、壊滅的被害を被った漁業再建のために特区を設けるというものだが、その狙いはずばり水産業への民間企業(株式会社)の参入だ。震災のどさくさに紛れ、かねてからの野望だった「農林漁業の資本への売り渡し」を実現しようとするものである。

漁業者は当然、これに強く反対したが、抵抗は思わぬところからも出た。県議会で自民党議員が相次いで反対を表明したのだ。「収益性の高い水産業を目指すなら、漁業者の主体性と理解をベースに進めるべきだ」(須田善明議員)、「なぜ平時ではないこの時期に出るのか。漁業者は船も漁具もなくした。特区を言えば言うほど漁業者の元気はなくなる。多額の債務を何とかすることが大事だ」(仁田和広議員)などの理由で特区構想を批判した。

一方、農業関係の書籍を多数出版してきた農文協は、2011年9月号の「農文協の主張」で、特区構想に対し、より本質的な批判を加えている。特区構想は「規制緩和路線」であり、漁業の集約化とは、(ある漁民の漁具を捨てさせ、それを一部の漁民に集約するという意味において)「農業・漁業をあきらめる」人をつくる政策であり、「経団連の火事場泥棒的「復興・創生」プラン」であると看破している。ぜひ農文協のこの主張に耳を傾けていただきたい。

●出るべくして出た暴言

以上、村井・宮城県知事の数々の愚行を紹介した。石原都知事・橋下府知事も真っ青の監視・ファシズム路線、住民不在の増税路線、宮城県の貴重な産業であり命の源泉である第一次産業を経団連に売り渡す新自由主義路線…。我々が批判し、徹底対決しなければならないすべての醜悪な路線を体現し、突き進んでいるのが村井嘉浩という男なのだ。冒頭に紹介した消費者を愚民扱いする暴言も出るべくして出たと言うべきだろう。

被災地という特殊事情はあるにせよ、これらの愚行の数々は、もはや私の受忍限度をはるかに超えている。この未曾有の事態にこのような知事しか持ち得なかった宮城は不幸と言うしかないが、一方、このような人物を選んだ宮城県民にも責任がある。宮城県政を県民の手に取り戻すために、このような不遜な男はただちに追放してもらいたい。

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【重要】昨日の記事に対する反論への回答

2011-09-04 18:19:53 | 原発問題/一般
昨日公表した、【重要】文部科学省による土壌モニタリング結果公表~福島市はやはり強制避難レベルだったに対して、「チェルノブイリでの避難区域は放射性セシウム137の数値だけを当てはめて決定されたものであり、放射性セシウム134を含めて計算するのはおかしい。脱原発派ならそのくらい認識していないと原発推進派の笑いものになる」という趣旨の批判がツイッター上で寄せられた。みずからを脱原発派と名乗る人からの「内部批判」であり、建設的な批判でもあろうかと思うので、これに対する回答として私の考えを示しておきたい。

まず、前提として次の3つの事実を挙げる。

1.チェルノブイリでは、放射性セシウム134と137の比率は1:2であったのに対し、福島ではこの比率はほぼ半々と推定されている(参考資料)。

2.放射性セシウム134の半減期は2年、137は30年である。

3.ウクライナで住民の避難基準が作られたのは事故から5年後の1991年に入ってからである。

ウクライナ政府が避難基準を作ったのは1991年である。この時点で事故から5年が経過しており、(原子炉から環境中への新たな放射能漏出がないと仮定すれば)、セシウム134は事故直後の4分の1以下に減少しているはずである。しかも、1及び2から推定されることは、避難基準が作られた当時、放射性セシウム134の量は、セシウム137に比べて10分の1以下に減少していたと推定される(セシウム137は5年間ではあまり減少しない)。ウクライナ当局は、この時点で「セシウム134については考慮する必要がない」と考え、セシウム137の量だけで避難区域を決めたのではないかと想像できる。

これに対し、福島は放射性セシウム134と137の比率がほぼ半分である上、事故直後の段階であり、半減期が短いセシウム134もまだ環境中に多く存在している。しかも、放射能の環境中への漏出は止まっていないのだから、いくらセシウム134の半減期が短いといっても、想定通りの速度で環境中の放射能濃度が低下するかは全くわからないのである。

セシウム134が大量に環境中に存在し、しかも原発から新たな放射能が供給され続けている現時点の福島で、チェルノブイリのようにセシウム134を除いた値で避難基準を決定することが合理的なのか、という疑問は当然、提起されなければならないだろう。

私はこの問いに適切でないと答える。住民防護の観点からすれば、すでに目の前に存在するとわかっている危険をあえて除外することは害悪でしかない。最大限、判明している危険を基準に避難基準を決めることが最も望ましいのだ。

私としては、以上の理由から「福島市は強制避難レベルにある」という結論を変更する必要はないと考えている。

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【翻訳記事】「日本の住民の健康危機」/IPPNW(核戦争防止国際医師会議)記者会見

2011-09-04 17:48:16 | 原発問題/一般
原文はこちら

IPPNW(核戦争防止国際医師会議) 記者会見

「日本の住民の健康危機」

ベルリン:2011年8月15日、午前11時

IPPNW(核戦争防止国際医師会議)
医学博士 ヴィンフリード・アイゼンベルクの見解:小児科医 青少年医学、IPPNWの核エネルギー・研究チーム

従来 日本では、主に土壌中のセシウム137の放射能汚染と環境中のガンマ線による外部被曝の数値が、使用されている。けれどもそれよりもずっと重要なのは、呼吸する空気、飲食を介して放射線核種を摂取した結果、長期的に内部被曝に曝されることである(体内被曝)。

私は、小児科医であるので、とりわけ日本の東北地方の子どもたちの危険について、立ち入って議論する。成長期にある有機組織は、成長の終わった有機組織よりも細胞分裂の頻度が高いため、子どもたちは、大人にくらべて何倍も放射能感受性が高い。細胞分裂期の細胞は、(これは疑問の余地がないことだが)平穏期の細胞よりもイオン化された放射線によってはるかに強く危険にさらされる。子どもが、小さければ小さいほど、成長は早く、細胞分裂の数は、多い。つまり、最初の妊娠12週の胎児の胚は、もっとも大きな放射線による損傷リスクを背負っている。一つの胚にとってこれより下なら危険はないという限界値は、存在しない。また赤ん坊、幼児、児童も、成人に比べて、放射能によって著しく強く危険にさらされている。

こうした関連において、IPPNWは、日本政府は、さもないと多くの地域で、幼稚園や学校を閉鎖しなければならなくなるという理由で、行政当局が2011年4月20日に幼稚園の園児と児童の年間被曝量を20ミリシーベルトに上げてしまったことを非難する。20ミリシーベルトは、我が国もそうであるが、たいていの国において核施設の従事者の上限値に該当する。一般人にとっては、該当する放射線値は、年間1ミリシーベルトである。公的に子どもたちに年間20ミリシーベルトを強要することは、我々の見解からしても責任の負えないことである。

われわれの医師組織は、日本においても核施設からの放射能の漏出の限界値を再び年間1ミリシーベルトに確定するように要求する。妊娠している人や子どものいる家庭は、この放射能限界値を超えた地域から避難しなければならない。破損した原発からの距離との関連のみで、避難区域を定義することは、健康管理の諸条件にかなわない。

グリーン・ピース等による多くの測定によって確かめられた海水、魚、土壌、農産物の放射線含有量に基づけば、日本の東北地方においては来年中に 放射能に起因する多様な疾病が生ずることを覚悟しなければならない。チェルノブイリ後に北ウクライナと南ベラルーシで観察された諸事例に照らして、福島県で暮らしている、現在0歳から5歳の子どもたちは、おそらく3-5年後には、甲状腺ガンの増加に見舞われるだろう。境を接した宮城県、岩手県、山形県、新潟県、群馬県、栃木県、そして茨城県の子どもたちも、福島第一原発からの距離や風向き降雨に応じて、罹病率は減ることはあったとしても、同様に(病気に)襲われるだろう。勿論放射線被曝にあっては年齢と共に、潜伏期は増すものではあるが、現在比較的年長の子どもたち、若者、成人においても、より頻繁に甲状腺ガンという診断がくだされるであろう。時期を得たヨード剤の服用は、地震と津波のために、準備されていなかった。ヨード剤は、少なくと放射能と接触する数時間前、できれば1-2日前に投与される時にのみ、甲状腺を保護する。後になって安定したヨード剤を投与しても、もはや役に立たない。

該当する地域での子どもたちの白血病もおそらく、すでに2016年から、はっきりとより頻繁に現れてくるであろう、と懸念される。白血病(血液のガン)は、他のガン種に比べてイオン化された放射線と強い相関関係がある。2011年12月以後に予想される新生児にあっては、チェルノブイリ後に記録されている染色体異常と先天性の奇形の増加を、覚悟せねばならない。

これ以降の年月には、福島周辺では、子どもたちばかりでなく、すべての人が、放射能の結果に悩むことになろう。放射能は、決してガンや遺伝上の突然変異ばかりでなく、ガンではない様々な疾病、たとえば、免疫の機能不全、心臓病、脈管疾患、神経医学的疾患、内分泌系の疾患、早い老化の原因となる。

食品や水から放射性の核分裂生成物を摂取してしまうことから住民を守るためには、信頼できる、持続的な測量が必要である。行政当局は、この任務を明らかに十分なやり方では、果たしていない。さらに、人々は情報操作に関して過去に何ヶ月かに体験したすべてのことから判断して、行政当局の測定結果をもはや信じていない。

オーストラリアのIPPNWの医学者で、メルボルン大学のティルマン・ラフ教授は、数日前、福島を訪れた際に、放射能と健康についての情報に、大きな欠陥があることを身を持って知った。市民たちは、どうしたら被曝を少なくできるのかについて、とくに助言を求めてきた。なるほど人々は、更なる避難が必要だろうと思ってはいたが、彼らは、長期的に帰って来られないことを分かっていなかった、という。

ティルマン・ラフは、著しく汚染された地域の住民と福島第一原発のすべての作業員の包括的な記録簿を要求する。記録簿は、個人の被曝量のグラフを含むべきで、また持続的な健康の監視も計画に入れるべきである。すべてのデータと結果は、独立系の国際的な専門家によって鑑定され、時をおかず公表されるべきである。

独立した測定を保証するために、IPPNWは、「47プロジェクト」の目標を支援し、できるだけ早く各県に独立した測定所が、設置がされるように尽力するだろう。IPPNWのドイツ支部は、連帯の証として、また独立した測量が、住民のしあわせのために必須であると確信して、47プロジェクトに5000ユーロを用立てることを決定した。われわれは、それによって更なる測定所を、設置できることを願っている。

 ヴィンフリード・アイゼンベルク博士

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