人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

夏休み~釧路を旅する(3)

2013-09-07 22:51:19 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
2泊3日、釧路旅行の最終日。今日は、釧路湿原ノロッコ号に乗車し、車内から再び釧路湿原を見ることにするが、お目当ての「釧路湿原ノロッコ2号」の釧路発車は10時56分。ホテルを9時前にチェックアウトしたものの、駅に行くには早すぎ、観光地を1ヶ所回るには短すぎる中途半端な空き時間だったので、日本唯一の運炭鉄道、太平洋石炭販売輸送臨港線を見に行くことにする。

太平洋石炭販売輸送臨港線は、現在、日本で唯一、最後に残った運炭鉄道だ。1986年に一部区間が部分廃止となり、現在の姿となった。釧路市の春採駅と同市知人駅を結ぶわずか4.0kmのミニ鉄道だ。東釧路駅で国鉄と接続していた時期もあり、国鉄と同じ1067mm軌間を採用している。

原則として土日・祝日は運行していないとされるが、今日は土曜にもかかわらず運転士が弁当を持って(?)機関車に乗り込むのが見えた。ただ、太平洋石炭販売輸送はわずか4.0kmの鉄道だ。今すぐ発車するのであれば昼食を持って乗り込む必要はないから、発車はまだ当分先と判断した。周囲を見渡すと、臨港線を俯瞰できそうな小高い丘があり、登れることがわかったので、この丘の上から撮影を試みた。サムネイル写真は、そこから撮影した太平洋石炭販売輸送臨港線だ。



撮影後は釧路駅に戻り、釧路湿原ノロッコ2号を待つ。夏のシーズン入りを前に、6月20日から休みなしで運転されてきた釧路湿原ノロッコは、わずかに身体を休めるため、9月4~6日の3日間のみ運休。今日からまた10月31日まで休みなしだ。今日は土曜ということもあり、指定席券は売り切れで入手できなかったが、早めに駅に行って並べば自由席はたいてい座れるという。10時過ぎに駅に行くと、早くも先客がいたので並ぶ。あいにく展望車は取れなかったが、1号車の一般座席車に座ることができた。以前、只見線トロッコの展望車に乗っていて風邪を引いた妻は、展望車は寒いのでこちらの方がいいという。

釧路湿原ノロッコ2号(釧路駅にて)


釧網本線を行くノロッコ号の車内からは、釧路湿原を拝むことができる。雑木林の中にエゾシカが3頭見えると、乗客から歓声が上がった。雑木林の切れ間から一瞬、カヌーが姿を現す。

塘路駅からは再び釧路湿原ノロッコ1号で釧路駅に戻る。昨夜宿泊した「ラスティングホテル」の駐車場に、ノロッコ号乗車の間、マイカーを駐車させてもらえたのはありがたかった。ホテル側に礼を言い、車で帰宅。

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夏休み~釧路を旅する(2)

2013-09-06 22:12:05 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
釧路2日目。いよいよ今日は最大の名所、釧路湿原を巡る。まずはカヌーに乗ることにする。ホテル阿寒湖荘を朝9時頃チェックアウトし、車で約2時間もかかる塘路本村キャンプ場へ。カヌーはここから出る。



午前11時。「道内からのお客さんは珍しいですね。本当はもっと道内の方にこそ楽しんでもらいたいんですが」と係員の男性が言う。私たちが道内に今年4月、転勤してきて、3月までは本州にいた、と言うとなんだか納得したような表情だった。

塘路本村キャンプ場横のカヌーポートから塘路湖に漕ぎ出す。湖内は逆風の上、漕ぎ始めたばかりで慣れないこともあって遅々として進まないが、釧路川に入ると追い風になり、漕ぎ方に慣れてきたこともあって快調に進む。釧網本線の鉄橋をくぐるが閑散線区のため列車はやってこない。

正午前、カヌーを漕いでいると、雑木林の向こう側から釧網本線の列車の音が聞こえてきた。通過時刻から判断して、釧路発川湯温泉行き4730Dだろう。

正午を過ぎたので、湿原内の浅瀬に乗り上げる形でカヌーを止め昼食。再び釧路川に漕ぎ出す。釧路湿原内の釧路川では動力のついた船舶の乗り入れは禁止されていて、カヌーがほぼ唯一の交通手段という。

釧路川に戻ってしばらく経った頃、雑木林の向こう側からまた釧網本線の列車の音が聞こえてきた。あいにく列車の姿は見えないが、網走発釧路行き3727D(快速「しれとこ」)だ。

約2時間の行程に終わりが近づいてきた。釧路川を下ったカヌーは釧網本線・細岡駅近くのカヌーポートに到着。出発したのは塘路駅近くのカヌーポートだったから、JRでひと駅近く下ったことになる。

カヌー業者の車で出発地に戻る途中、「釧路湿原を一望できる細岡展望台という場所がありますよ。ぜひ行ってみてはいかがですか」と係員が言うので、それに従うことにし、車で細岡展望台を目指す。

細岡展望台は、細岡を名乗りながら細岡駅ではなく、釧路湿原駅のほうが近い場所にあった。そこから見た釧路湿原(サムネイル写真)はまさに雄大な風景だった。

細岡展望台から望む釧路湿原


釧路湿原駅


釧路湿原駅に進入するキハ54系気動車。列車は、釧路湿原14:51発釧路行き4733D


釧路駅。駅ビルの食堂街の名称が「STATION DINER 946」というのにはちょっと笑った。946はもちろん、釧路と読む


この日は、釧路駅前のラスティングホテルに宿泊。チェックイン後、夕食に繰り出す。この季節は、釧路港に秋刀魚が揚がり始める季節で、もちろんお目当ては秋刀魚、それも刺身である。

秋刀魚と言えば、都会の消費者は焼いて食べるものだという認識で、刺身で食べるというイメージは湧かないだろう。秋刀魚は、水揚げされると傷みが早いため、消費地まで輸送する間に鮮度が急速に落ちてしまい、生で食べることはできないとされる。秋刀魚を刺身で食べることができるのは、水揚げ港とその周辺、限られた地域だけの特権なのだ。

釧路港近くに炉端焼きの店を見つけたので入る。ここで食べる秋刀魚の刺身は絶品だった。

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夏休み~釧路を旅する(1)

2013-09-05 21:31:21 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
今日から、夏休みを利用して、今が最もよい季節である釧路を旅することにする。本来なら乗りつぶしを兼ねてJRを使いたいが、最近のJR北海道はいつ、どこで火を噴いて止まるやら全くわからないし、ゲリラ豪雨によるダイヤの混乱も常態化している。もはや(受験など)人生の一大イベントの時に安心して使える交通機関でなくなりつつある。高速バスのほうが安定した交通機関なのだから話にならない状態で、今回も車を利用することにする。

初日は自宅から、一部道東自動車道を走り、現時点での終点、本別ICで降り一般道を走る。初日は釧路市丹頂記念公園でタンチョウを見る(サムネイル写真)。タンチョウは本来、冬が本番だが、この公園では飼育されたタンチョウを1年中見ることができる。

車で自宅から釧路までほぼ5時間かかったこともあり、丹頂記念公園を見たところで夕方になった。今日の日程はここまでとし、今日の宿であるホテル阿寒湖荘に入る。「夜の釧路は~雨になるだろう~」という歌もあるが(「北の旅人」石原裕次郎)、この日の釧路は行楽日和のよい天気だった。

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【管理人よりお知らせ】福島原発告訴団が汚染水問題で東電を再び告発

2013-09-03 23:40:39 | 原発問題/一般
管理人よりお知らせです。

本日(9月3日)、福島原発告訴団は、現在も続いている福島第1原発からの汚染水漏れに関し、東京電力の旧・現経営陣ら32人を「人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律」違反の罪により、福島県警察本部に刑事告発しました。

詳細は、福島原発告訴団サイトによりご確認ください。同告訴団のプレスリリースも読むことができます。

告訴団のサイトでも触れられていない点について、当ブログで念のため補足しておきたいと思います。

福島原発告訴団は、すでに昨年、福島地方検察庁に対し、東京電力を同法違反のほか、業務上過失致死傷罪で告訴・告発をしていますが、今回は汚染水問題という現在進行形の問題による全く新しい告発です。

昨年の告訴と異なる点は、前回が「告訴・告発」であるのに対し、今回は告発のみとしたこと、また告訴状の提出先を福島地検から福島県警へ変更したことです。その理由は以下のとおりです。

1.告訴から告発とした理由

一般に、法律用語としての「告訴」は、犯罪の直接の被害者が加害者について申し立てるものであるのに対し、告発は直接の被害者ではない第三者が被害者のために行うものです。

前回は、福島県民はじめ被災者が受けた被曝や、避難による死亡の被害について、被害者が中心になって申し立てるものであったため告訴としました。これに対し、今回は汚染水の海洋漏出により被災者は直接の被害を受ける立場ではありません。直接の被害者は海の環境であり、また漁に出られなくなり生活に支障を来した漁民です。加害者の犯罪行為を申告する福島県民は被害者ではなく第三者の立場となるため、告発となりました。

2.告発先を変更した理由

告訴団は、告発先を福島地検から福島県警に変更した理由について「事故当時、いのちがけで人命救助や避難誘導の任にあたってくださった警察官のみなさんなら、私たちの訴えを真摯に受け止めていただけると信じてのことです」と説明しています。もちろんそのことも理由のひとつですが、最大の理由は、私たちの再三の要請にもかかわらず、強制捜査も行わないまま不起訴処分にしようとしている検察庁を、国民のための適正な捜査機関と見なすことがもはや不可能だからです。

私は、告発状提出にも、本日の会見にも参加していませんが、田中龍作ジャーナルの記事によれば、代理人の河合弘之弁護士は、検察庁について「東電に何をやっても許されるという慢心を与えてしまった。検察庁、恃(たの)むに足りず」と発言したとのことです。

私たち(告訴団)の基本方針は、国民全体の奉仕者であるべき公務員にその立場と職責を自覚させ、適切な法の執行者としての捜査機関を蘇生させることを通じて企業犯罪の摘発と正常化を目指すことにあります。告訴団について、「国家権力にお願いをしてどうするのか」という批判があることも承知していますが、企業犯罪に対し、権力を持たない市民が徒手空拳で闘っていくことには限界があります。犯罪企業に対して法を執行することのできる唯一の存在である捜査機関を、国民の奉仕者として取り戻していく運動は、理論的、政治的、法的いずれの面からも正当性を持っているものと確信しています。わたしたちは、引き続き、東電に対する責任追及の手を緩めることなく闘っていきたいと思います。

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英、対シリア軍事行動を断念 これは市民の闘いの勝利だ

2013-09-01 09:23:08 | その他社会・時事
英、対シリア軍事行動を断念=米は方針堅持、単独介入検討(時事通信) - goo ニュース

歴史は再び繰り返すのか。何もかもが「あの時」とそっくりである。イラクが「大量破壊兵器」を持っているという不確実な情報だけを頼りに、米英軍を中心とする多国籍軍がイラクに戦争を仕掛けたあの時に…。

しかし、時代は確実に前進していたようだ。リンク先記事にあるとおり、英議会下院が英国軍のシリア攻撃への参加を求める政府動議を僅差ながら否決。英国がシリア攻撃に参加しない見通しになったのである。

英国議会は、キャメロン首相の与党・保守党と自民党で過半数を占める。政府提案を否決するためには与党から一定数の造反票が必要だが、今回、保守党からかなりの造反が出た模様だ。

当ブログは、英国議会の勇気ある決定に謝意を表明すると同時に、大手メディアが決して伝えることのない重要な事実を指摘しておかなければならないと考える。それは2つのことである――第1に、英国がイラク戦争への参加が正しかったかどうか、検証委員会を作って自分で検証した国であるということ。第2に、英国政府にイラク戦争参加についての検証を迫ったのが市民の闘いであったことだ。

英国では、イラク戦争参加について検証を行うため、独立の検証委員会が作られた。この調査委員会は、北アイルランド省事務次官を務めたジョン・チルコット氏が委員長を務めたことから「チルコット委員会」と通称されている。検証委員会は、参戦の決断を下したトニー・ブレア首相や、ゴードン・ブラウン財務相らを証人喚問するなどして参戦の経緯などを調査した。ブレア元首相は、検証委員会に対し「参戦の決断を間違っていたとは思わない」と強弁したが、検証委員会に証人喚問されたことで、ブレア元首相の権威は失墜した。

チルコット委員会のイラク戦争検証の取り組みにはなお不十分な点も多くある。それでも今回、英議会下院が英政府のシリア攻撃参加動議を否決した背景に、「ブレアのように戦争終了後、喚問されたらたまらない」という議員たちの恐れがあるとしたら、それはイラク戦争の検証を行うよう政府に強く要求し続け、ついにそれを実現させた英国市民たちの闘いの力であることを私たちは改めて想起したいと思う。たとえ米仏の参加でシリア攻撃自体は行われたとしても、このことは輝かしい結果として、世界の反戦運動の歴史に残ることは間違いない。

なお、英国におけるイラク戦争検証委員会については、「レファレンス」(国立国会図書館発行)2010年6月号掲載「オランダ及び英国におけるイラク戦争検証の動向」をご覧いただきたい。

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