はじめの戦車模型づくり

老眼に悩みながらもとにかく完成させることを目指します! 2009年3月8日開設

KF51 PANTHER アミュージングホビー1/35 #2 車体の組立終了

2024-03-19 23:57:55 | KF51 PANTHER アミュージングホビー1/35

前回、次はレオパルド2R1の塗装をすると書いたのですが、
組立途中で時間を空けるとボケが進んでいる恐れから、段取りを間違える可能性があるので引き続きKF51 PANTHERを組み立てることにしました。

 

▼車体の組立が終わりました。
アミュージングホビーのキットは今回初めて組んでみましたが、特にトラップもなくパーツの合いも良く組みやすかったです。
パーツ数もそれほど多くないので、ドラゴンのような超絶精密キットではありません。
しかし連結履帯を採用しているのにも関わらず、転輪、誘導輪、起動輪などの車体への取り付け方法などはポリキャップも無く、ただシャフトに差すだけという詰めの甘いところがあります。
リモートサブウエポン (砲塔上部の機銃) 、360度視界センサーは、砲塔の穴へただ差し込むだけとなっていて、回転はしますが注意しないと落下させてしまいます。
昨今は一万円を超える価格が多い海外メーカーの中では、魅力的な商品を実売価格6,000円弱〜8,000円位で提供してくれのは助かりますが、詰めの甘さと大まかな部分が少しあります。
まあ、文句ではなく自分はカタチになれば嬉しいタチなので、精密度が高く値段も高いよりは、そこそこの内容で値段が安い方が嬉しいです。

 

それでは組立作業を振り返っていきましょう。

▼忘れないうちにエッチングパーツへタミヤのメタルプライヤーのスプレーを吹いておきます。

 

▼組み立てる前に、砲塔、車体を仮組みしています。
砲塔の上下は、ほぼ隙間なく組めるようです。修正要らずで助かりますね。

 

▼車体上下の合いも問題ありません。
砲塔を車体に乗せてみました。PVで見た姿が目の前でカタチになると改めてその未来的なスタイルがわかります😄

 

▼三分割されている砲身の合わせ目に隙間があいたので、ラッカーパテで修正しました。

 

▼車外機銃 (リモートサブウエポン) は一部に3Dプリンター製パーツを使います。
組立中、弾薬帯を折ってしまいました(矢印部)😢。折れやすいのわかっていて注意したのですが、機銃本体に少し無理に付けようとしたら簡単に折れてしまいました。
なんとか繋いで接着していますが、段差が付いてしまいました。まあ遠目でみればもう少しマシなので我慢します😢

 

▼私の組立が下手な可能性もありますが、機銃を支える台座の貼り合わせ精度はよくありませんでした。
ラッカーパテで隙間を埋めています。

▼パテ埋めして修正作業中に、エッチングパーツが外れました💦

▼かなり大きな隙間でした。

▼パテ埋めです😄

 

▼砲塔後部のフックは、0.6mm真鍮線に替えました。

▼以前に仕入れたフックベンダーで、真鍮線を折り曲げています。

 

▼KF51 PANTHERの前照灯は、革新的なスタイルです。PVをみてもLEDライトのような感じですが、キットはクリアパーツ一枚で処理されています。
かなり細かいので、塗り分けが大変そうです😅 ここはマスキングしていません。基本塗装後、塗り分けようと思います。

 

▼センサーの細部もクリアパーツ1枚で表現されているので、実車を参考にして塗り分けようと思います。

 

▼ペリスコープ類はマスキングテープでマスキングしておきました。

 

▼斜め前方からのショット。同軸機銃の銃口はスライド金型により最初から空いています。

 

▼残るは連結履帯の組立となりました。

今回はここまでです。次回は履帯を組み終えたいと思います。

 

▼おまけ
昼過ぎ、クルマで横浜市立図書館へ本を返却してきました。
その際、花粉がボディにびっしりと付いていました。
写真はちょっと見にくいですが、かなりの量でルーフ全体が黄色いまだらとなっています😱

車で家からドアtoドアで行ったので、なんとか花粉症はそれほど出ずに済みましたが、当分は外出はなるべく控えたいです。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

コメント (7)
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北条氏康の家臣団

2024-03-19 13:25:35 | 読書

本書は北条氏康が、戦国大名・小田原北条家の三代目当主になってから、四代目当主を嫡子の氏政に譲ったことを経て、その死去後までの、およそ三十年少しを対象に、氏康・氏政を支えた一門・家老に焦点をあてて、北条家の政治・軍事動向における、大名家執行部にみられた人員構成とその変遷の状況を述べてきたものである。(本書あとがきより)

小田原北条家は五代百年続いた。その中の三代から四代目の変遷であるので中核の三分の一が書かれていることになる。

氏康は家督を氏政に譲ったからといって、家の運営から全く退くのではなく、氏政を補佐するよりはむしろ前面に立って指示をしていたことが本書からわかる。

度々攻め込んでくる武田信玄に対し、軍事面で拠点となる城の在城主に氏康は指示を出していた。

領国の運営と外的への備えそして防御を、当初は氏康と氏政の二大当主の形態で巧みに行っていることが、一門・家老・寄親などの配置や代替わりと絡めて本書はわかりやすく書かれている。

戦国大名家の中では内訌(家督争い)がなかったことが、五代百年続いた大きな理由であるのは間違いないと思うが、当主の代替わりに伴う家老などの家臣も大きな争いなどを起こさずに代替わりできたことも重要な要素だと本書を読んでわかった。

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