アルバム「メロディーズ」のツアー以来32年半、我が尊敬してやまない「歌う人間国宝」山下達郎は京都でコンサートをやらなかった。
理由はただ一つ。京都会館の舞台が狭く、セットが載らないうえに照明機材も入らなかったからだ。要するに京都会館は、欠陥ホールだったのだ。
私は大学1回生の1986年に初めて達郎のコンサートを観た。その時既に達郎は京都会館ではやらない事になっていたため、当たり前のようにフェスティバルホールまで出かけたのであった。
あれから32年半の歳月が流れ、京都会館は装いも新たに「ロームシアター京都」となり、舞台の奥行きは倍増。
セットが載るという事で、達郎も帰ってきてくれた。
京都の地元客に加え、ロームシアターのこけら落とし狙いで遠方からの客も加わりそれはそれは大変な盛り上がりだった。
その昔、「拾得」というライブハウスで客にボロカスに言われたトラウマがあるだけに、
「京都でウケるという事は、スゴい事なのです!」
と話していた達郎の言葉には、重みがある。
先日亡くなった村田和人は、達郎フォロワーとしてのみならずKBS京都ラジオで昔レギュラー番組を持っていたため、京都にファンが多い。
アンコールで追悼の「一本の音楽」を、悲しみを振り払うように敢えて荒々しく弾き語る達郎。
その歌声は、ロームシアターの天井を突き抜けて天国に届いただろうか…