
もうコレが聴きたくて、大げさに言えば30年以上待っていた。今日ようやく、Amazonで届いた。
2013年12月30日に65歳の若さで急逝した、私にとって音楽の父である大滝詠一のセルフカバー集「DEBUT AGAIN(デビュー・アゲイン)」である。
もちろん大滝さん本人がリリースを望んだワケではなく、大滝さんの遺品をスタッフが整理していた中から偶然発見された
「他のアーティストに提供した曲の、大滝さん本人が歌ったバージョン」
を中心に集めたものである。
この中には曲提供の際「こんな風に歌って下さい」と聞かせたデモテープもあるし、数少ないライブ音源もある。
しかし中でも興味深いのは、女性に提供した曲なのにわざわざ大滝さんのキーに合わせて録音したバージョンもあるのだ。コレらは、明らかにデモテープではない。ひょっとして、何かのタイミングでリリースするつもりだったのか?
大滝詠一は、そのペンネーム「多羅尾伴内」のように、歌手・作詞家・作曲家・編曲家・エンジニア・DJ・評論家と7つの顔、あるいはそれ以上の顔を持っている。
ゆえに彼のアルバムは、彼自身の総力戦だ。大滝詠一が投げて、打って、走る作品ばかり。
それゆえに、大滝詠一を語るうえでその分厚いサウンドやアメリカン・ポップスへの造詣の深さばかりが語られ、ボーカリスト大滝詠一が語られる事はあまりなかった。もっと言えば、あのクルーナー唱法すなわち低く抑えて情感を込める歌い方が好きではなかった、という人も少なくない。やれコブシを回し過ぎだの、鼻にかけ過ぎだのとばかり言われた記憶がある。
私なぞ、それこそ中学生時代からかぶれたように大滝さんや達郎ばかり聴いていたので、何を歌ってもそのどちらかのモノマネ(にもなっていない)なのだ。どうしてくれようか(笑)。
ボーカルの上手さはカバー曲を歌った時に鮮明になる、と云われる。その意味で徳永英明や門倉有希などは、本当に上手いのだ。
カバーというのは、私に言わせれば喧嘩だ。すなわちオリジナルの歌手の声がさんざん耳にこびり付いている聴き手の感性に喧嘩を売り、勝たねばならないのがカバーである。その意味で天童よしみほど上手い人が、暮れの紅白で美空ひばりのカバーばかり歌わされては「ひばりとは、やっぱり違う」と言われてしまう。当たり前過ぎて気の毒だ。
ところが、大滝詠一に限ってはむしろ逆。彼が提供した曲はメロディラインからサウンドから大滝節が炸裂しまくっているため、
「この曲の、大滝さんバージョンを聴いてみたい…」
とファンはリリース当初から思い続けていたのだ。
それらの30年越しの回答、がこのアルバムである。
小林旭の朗々とした声が耳にこびり付いているからこそ、この「熱き心に」の心細げな歌唱を聴いてほしい。
鈴木雅之がいい声であるのはよくよく分かっているのだが、それでもこの「Tシャツに口紅」を聴いてほしい。
81年の「ヘッドフォン・コンサート」で一度だけ歌われた「風立ちぬ」を聴いてほしい。松田聖子では表現出来なかった世界がそこにある。
まるで30年以上探していた、ジグソーパズルの最後の一欠片が埋まったような思いになれるアルバムである…