奈良、興福寺は現在、中金堂の再建がされておりますが、
6月には工事用の大屋根が除かれるそうで、
この屋根まで登り、見学できるのは今のうち

北円堂の横から入ります。
大屋根で覆われております。

説明してくださるのは、一階では
奈良文化財研究所主任研究員、
馬場 基さん(日本古代史・木簡学・交通史)
”興福寺は、龍の住む土地にあり、
伝説では、中金堂の下は竜宮で、南大門が出口といわれ、
豊臣秀吉は、この出口を塞ぐ意味で、中金堂の前に
中門を造営したそうです。
その証拠は、発掘時に五色の瓦が出土しています”
こんな話から始まりました。
二〇〇〇年ごろに発掘調査されており、
714年ごろ建立なのですが、いままでに七回も建て替えれており
基壇は、山を削り(これだけの土を除くのは、大工事で、
藤原氏の凄さが)、上部50㎝は叛築で、高さ1.3mにされ
地震でかすかに動いた跡しかなく、非常に強かったそうです。
でも文化財保護法では、この基壇を保護しなければなりません。
30㎝の土の保護層で守られ、その上にコンクリートの基礎で。

一階の屋根付近まで登ります。


鬼瓦で、段ボールで作られた風鐸が、面白いですね。

二階の大屋根にまで登ってきました。


大屋根左右になにか作られております。

この説明をしてくださるのは、
興福寺執事 辻 明俊さん

中金堂は、再建ですが、元は消失しているので、新築扱い
つまり現在の建築基準法に則らなければなりません。
文化財って大変なのですね。
柱36本はアフリカ(カメルーン)で、カナダひばを使われており、
何年もかけ、値段が高くならないように買い集めたそうです。
なかなか、お話が面白くつい聞きほれてしまいます。
庇の柱にこんなにも塗がされております。

外を眺めますと

降りて、五重塔を眺めて、中金堂が完成すれば
南大門の再建・・・
伽藍が出来上がる日はいつになるのでしょう

良い2時間、本当にありがとうございました。
6月には工事用の大屋根が除かれるそうで、
この屋根まで登り、見学できるのは今のうち

北円堂の横から入ります。


大屋根で覆われております。

説明してくださるのは、一階では
奈良文化財研究所主任研究員、
馬場 基さん(日本古代史・木簡学・交通史)
”興福寺は、龍の住む土地にあり、
伝説では、中金堂の下は竜宮で、南大門が出口といわれ、
豊臣秀吉は、この出口を塞ぐ意味で、中金堂の前に
中門を造営したそうです。
その証拠は、発掘時に五色の瓦が出土しています”
こんな話から始まりました。
二〇〇〇年ごろに発掘調査されており、
714年ごろ建立なのですが、いままでに七回も建て替えれており
基壇は、山を削り(これだけの土を除くのは、大工事で、
藤原氏の凄さが)、上部50㎝は叛築で、高さ1.3mにされ
地震でかすかに動いた跡しかなく、非常に強かったそうです。
でも文化財保護法では、この基壇を保護しなければなりません。
30㎝の土の保護層で守られ、その上にコンクリートの基礎で。


一階の屋根付近まで登ります。



鬼瓦で、段ボールで作られた風鐸が、面白いですね。


二階の大屋根にまで登ってきました。




大屋根左右になにか作られております。

この説明をしてくださるのは、
興福寺執事 辻 明俊さん

中金堂は、再建ですが、元は消失しているので、新築扱い
つまり現在の建築基準法に則らなければなりません。
文化財って大変なのですね。
柱36本はアフリカ(カメルーン)で、カナダひばを使われており、
何年もかけ、値段が高くならないように買い集めたそうです。
なかなか、お話が面白くつい聞きほれてしまいます。
庇の柱にこんなにも塗がされております。





外を眺めますと



降りて、五重塔を眺めて、中金堂が完成すれば
南大門の再建・・・
伽藍が出来上がる日はいつになるのでしょう

良い2時間、本当にありがとうございました。