赤膚山元窯、古瀬堯三窯と背後の五条山
「衣だに 二つありせば あかばだの
山にひとつは かさましものを」
伊勢物語121段
昨日の昼過ぎ、雨が降り始めた中、
赤膚山元窯、古瀬堯三(ふるせぎょうぞう)窯に、
一回限りの講座「赤膚焼を作ろう)で、お邪魔しました。
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ご自宅でしょうか?
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第八代古瀬堯三さん自ら、話を始められました。
「奈良絵で有名な赤膚焼そのものには、
何ら制約はなく、自由なんです」と。
そして天正年間大和郡山城主、豊臣秀長公により
尾張常滑の陶工 与九郎を招いて開窯させたのが始まりで、
一時衰退した後、天明年間に柳澤保光(堯山)公が
当窯の祖である治兵衛を京都から呼び寄せ
再興させたというお話に続きます。
堯三の名は、柳澤堯山の一字「堯」の字を頂だかれており、
現在は八代めになります。
父(八代、治兵衛)は7年前に亡くなり
私が将来八代目を継ぐべく修業中と・・・
実はこの方、おじさんではなく、女性で気さくな話しぶり、
親近感が持てますね。
良い目をされておりました。
窯は大(江戸後期)中(昭和初期)小(昭和後期)と
三つの登り窯をもたれており、すべて使用可能なため、
登録有形文化財(大、中)なんです。
大
中で奥に小
小は顔に見えませんか?
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特に一番大きな窯は、現在発掘調査中で、
前方は、耐火煉瓦を新しくされておりました。
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後方の古い部分(調査中)
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赤膚焼の名前の由来は、先の柳澤公なのは知っていましたが、
五条山近辺の赤い陶土(鉄分だそうです)を使って焼くため、
釉薬のかかっていない素肌の部分、茶碗だったら高台の辺りに、
温かみのある仄かな赤みを指すところからだそうです。
HPより
五条山へ登る途中(高低差で15m程度)
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10年分の土だそうで、こうして放置しておくと
アクが抜け、熟成?、使える土になるのだそうです
一部は近所の宅地開発(近くまで住宅が迫っています)で、
使える部分をもらってきたそうです。
くぼんだ所
五条山頂上近くから、若草山も。
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藤の花がきれいです。
?
雨が激しくなる中、作陶を!
手回しロクロははじめて、
紐が上手く同じ太さになりません
でも撒いてゆくしかなく、高低差が
30秒程度の修正で、見違えるようになります。
さすが
二時間があっという間
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出来上がりは3か月後になります。
何を作ったかは秘密。
「衣だに 二つありせば あかばだの
山にひとつは かさましものを」
伊勢物語121段
昨日の昼過ぎ、雨が降り始めた中、
赤膚山元窯、古瀬堯三(ふるせぎょうぞう)窯に、
一回限りの講座「赤膚焼を作ろう)で、お邪魔しました。
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ご自宅でしょうか?
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第八代古瀬堯三さん自ら、話を始められました。
「奈良絵で有名な赤膚焼そのものには、
何ら制約はなく、自由なんです」と。
そして天正年間大和郡山城主、豊臣秀長公により
尾張常滑の陶工 与九郎を招いて開窯させたのが始まりで、
一時衰退した後、天明年間に柳澤保光(堯山)公が
当窯の祖である治兵衛を京都から呼び寄せ
再興させたというお話に続きます。
堯三の名は、柳澤堯山の一字「堯」の字を頂だかれており、
現在は八代めになります。
父(八代、治兵衛)は7年前に亡くなり
私が将来八代目を継ぐべく修業中と・・・
実はこの方、おじさんではなく、女性で気さくな話しぶり、
親近感が持てますね。
良い目をされておりました。
窯は大(江戸後期)中(昭和初期)小(昭和後期)と
三つの登り窯をもたれており、すべて使用可能なため、
登録有形文化財(大、中)なんです。
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小は顔に見えませんか?
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特に一番大きな窯は、現在発掘調査中で、
前方は、耐火煉瓦を新しくされておりました。
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後方の古い部分(調査中)
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赤膚焼の名前の由来は、先の柳澤公なのは知っていましたが、
五条山近辺の赤い陶土(鉄分だそうです)を使って焼くため、
釉薬のかかっていない素肌の部分、茶碗だったら高台の辺りに、
温かみのある仄かな赤みを指すところからだそうです。
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五条山へ登る途中(高低差で15m程度)
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10年分の土だそうで、こうして放置しておくと
アクが抜け、熟成?、使える土になるのだそうです
一部は近所の宅地開発(近くまで住宅が迫っています)で、
使える部分をもらってきたそうです。
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五条山頂上近くから、若草山も。
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藤の花がきれいです。
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雨が激しくなる中、作陶を!
手回しロクロははじめて、
紐が上手く同じ太さになりません
でも撒いてゆくしかなく、高低差が
30秒程度の修正で、見違えるようになります。
さすが
二時間があっという間
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出来上がりは3か月後になります。
何を作ったかは秘密。