気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

天皇誕生日に平城京跡で

2016-12-23 15:50:35 | 日記
天皇誕生日、暖かな朝を迎えましたが、退位の意向の
「おことば」を一国民として今一度考えてみなくては。
しかし昨日の糸魚川の大火災には大変驚きました。
強風にフェーン現象も重なったそうで、お見舞い申し
上げるとともに、新潟県下はもちろん近隣各県からも
駆けつけられた消防、自衛隊の皆様、ご苦労様です。
怖いものの代表として「地震・雷・火事・親父」といわれますが、
昨今は親父から女房??フフッ
その昔、地震・火事・疫病・不作などの天変地異により、
天皇は年号を改めたり、遷都をされたりされましたが、
しかし、実際は・・・
平城京についてはどうなのでしょうか?
藤原京から710年に平城京に遷都された理由は定かではなく、
(衛生面や構成上の欠陥、藤原不比等の考え等)
740年に兵乱や災害が頻発した為などの理由で恭仁京、
難波京や紫香楽宮へ転々と遷都され、平城京は一時的に
放棄されました。権力闘争を機に仏教で国を守る方針で、
745年再び平城京に遷都され長岡京まで38年間続きました。
今の平城京跡を紹介します。
30年前奈良市に来た当時、平城京跡は一面の原っぱ、
遺構展示も仮屋根で、虫取り・凧揚げなどで遊ばせに、
よく来ておりましたが、1998年に朱雀門が復元された頃
 
第一大極殿から一直線の朱雀門を眺めます。

でも子供が成人するにつれ、通り過ぎるだけ。
2010年第一次大極殿が復元されてからは、
今度は孫と一緒に。
 第一次大極殿
この高御座に、天皇がお座りになられていたのですね。
高御座(復原)
この第一次大極殿は、国家的な儀式をおこなう建物で、
遷都された恭仁京では大極殿、山城国分寺金堂にと
建て替えられたが、882年に焼失しています。
845年に再度奈良へ遷都された時には第一次跡は使われず、
東南東へ200m移動した第二次大極殿跡へ移っており、
現在は基盤だけ整備されております。
第二次大極殿跡
理由は、この場所に日常の政務をおこなう大安殿があり、
大安殿の大極殿への建て替えにより、国家の儀式と
日常の政務、二つの機能を統合した新しい形の大極殿が
誕生したとみられております。(奈良文化財研究所より)

近くに、当時の宮内省が復元されています。
  
古の昔に思いを馳せてみるのも・・・。