1716年、オーストリア対トルコの戦争で、メダルド・テッラルバ子爵は砲弾でまっぷたつに分断された。そして、それぞれ半身のまま二人の人間として生き続ける。
不思議なことだが、本書にはほかにもたくさんの不思議な、または奇妙な人物が陸続と登場する。
メダルド子爵の父親アイオルフォ老子爵がそうだ。鳥だけを生きがいとし、大きな鳥籠の中にベッドを持ち込んで昼夜わかたず暮らすのだ。
あるいは、聖器と聖典を失ったユグノーたちの。
あるいは、また、領主の悪意から追放された者を受け入れるハンセン氏病患者の集落。
そして、心を傷めつつも能率的な絞首台を製造するピエトロキュード親方に、患者をちっとも診ようとしないで人魂を追いかける医師トロレニー博士。
メダルドの右半身は悪行のかぎりを尽くし(悪半)、左半身は聖者のごとく善行に勤しむ(善半)。
善半を含めて、双方とも住民から蛇蝎のごとく嫌われる。善も極端になると人間の域をはみだすのである。
両者が同じ一人の娘パメーラに惚れこんだ。当然、決闘だ。
ところが、あーら不思議、彼らが剣を突く位置は、相手の欠けている半身の箇所、つまり自分の身体があるべき箇所ばかりなのだ。
当然、決闘はケリがつかない。ケリは、二つの半身が合体することでついた。
かくて、善半および悪半はひとりの人間となった。二は一に帰し、完全な体を有するにいたっただけではなかった。「しかも彼にはひとつになる以前の経験があったから、いまでは充分に思慮ぶかくなっていた」
*
1952年に原著が刊行された本書は、『木のぼり男爵』(1957年原著刊)、『不在の騎士』(1960年原著刊)とともに「われわれの祖先」三部作をなし、その嚆矢である。
善悪に引き裂かれた人間をメダルド子爵に仮託する。俺は一個の他人である、とアルチュール・ランボーはいったが、善人のうち悪人が棲み、悪人のうちに善人が棲む。善悪の両面をもつのが人間だ。善一点ばりの人間は、悪のみの人物と等しく薄っぺらな人格でしかない。清濁併せ呑み、内面の戦いがあるからこそ、思慮深くなる。
メダルドは一個人ではなく、原著刊行当時左右の政党の間で揺れ動いていたイタリアを諷するものかもしれない。右であれ左であれ、わが祖国・・・・。カルヴィーノは、「かろうじてパルチザンに参加するのに間にあった」世代の一人であった。
□イタロ・カルヴィーノ(河島英昭訳)『まっぷたつの子爵』(『文学のおくりもの2』、晶文社、1971)
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不思議なことだが、本書にはほかにもたくさんの不思議な、または奇妙な人物が陸続と登場する。
メダルド子爵の父親アイオルフォ老子爵がそうだ。鳥だけを生きがいとし、大きな鳥籠の中にベッドを持ち込んで昼夜わかたず暮らすのだ。
あるいは、聖器と聖典を失ったユグノーたちの。
あるいは、また、領主の悪意から追放された者を受け入れるハンセン氏病患者の集落。
そして、心を傷めつつも能率的な絞首台を製造するピエトロキュード親方に、患者をちっとも診ようとしないで人魂を追いかける医師トロレニー博士。
メダルドの右半身は悪行のかぎりを尽くし(悪半)、左半身は聖者のごとく善行に勤しむ(善半)。
善半を含めて、双方とも住民から蛇蝎のごとく嫌われる。善も極端になると人間の域をはみだすのである。
両者が同じ一人の娘パメーラに惚れこんだ。当然、決闘だ。
ところが、あーら不思議、彼らが剣を突く位置は、相手の欠けている半身の箇所、つまり自分の身体があるべき箇所ばかりなのだ。
当然、決闘はケリがつかない。ケリは、二つの半身が合体することでついた。
かくて、善半および悪半はひとりの人間となった。二は一に帰し、完全な体を有するにいたっただけではなかった。「しかも彼にはひとつになる以前の経験があったから、いまでは充分に思慮ぶかくなっていた」
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1952年に原著が刊行された本書は、『木のぼり男爵』(1957年原著刊)、『不在の騎士』(1960年原著刊)とともに「われわれの祖先」三部作をなし、その嚆矢である。
善悪に引き裂かれた人間をメダルド子爵に仮託する。俺は一個の他人である、とアルチュール・ランボーはいったが、善人のうち悪人が棲み、悪人のうちに善人が棲む。善悪の両面をもつのが人間だ。善一点ばりの人間は、悪のみの人物と等しく薄っぺらな人格でしかない。清濁併せ呑み、内面の戦いがあるからこそ、思慮深くなる。
メダルドは一個人ではなく、原著刊行当時左右の政党の間で揺れ動いていたイタリアを諷するものかもしれない。右であれ左であれ、わが祖国・・・・。カルヴィーノは、「かろうじてパルチザンに参加するのに間にあった」世代の一人であった。
□イタロ・カルヴィーノ(河島英昭訳)『まっぷたつの子爵』(『文学のおくりもの2』、晶文社、1971)
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