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語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『まっぷたつの子爵』

2010年02月03日 | 小説・戯曲
 1716年、オーストリア対トルコの戦争で、メダルド・テッラルバ子爵は砲弾でまっぷたつに分断された。そして、それぞれ半身のまま二人の人間として生き続ける。
 不思議なことだが、本書にはほかにもたくさんの不思議な、または奇妙な人物が陸続と登場する。
 メダルド子爵の父親アイオルフォ老子爵がそうだ。鳥だけを生きがいとし、大きな鳥籠の中にベッドを持ち込んで昼夜わかたず暮らすのだ。
 あるいは、聖器と聖典を失ったユグノーたちの。
 あるいは、また、領主の悪意から追放された者を受け入れるハンセン氏病患者の集落。
 そして、心を傷めつつも能率的な絞首台を製造するピエトロキュード親方に、患者をちっとも診ようとしないで人魂を追いかける医師トロレニー博士。

 メダルドの右半身は悪行のかぎりを尽くし(悪半)、左半身は聖者のごとく善行に勤しむ(善半)。
 善半を含めて、双方とも住民から蛇蝎のごとく嫌われる。善も極端になると人間の域をはみだすのである。
 両者が同じ一人の娘パメーラに惚れこんだ。当然、決闘だ。
 ところが、あーら不思議、彼らが剣を突く位置は、相手の欠けている半身の箇所、つまり自分の身体があるべき箇所ばかりなのだ。
 当然、決闘はケリがつかない。ケリは、二つの半身が合体することでついた。
 かくて、善半および悪半はひとりの人間となった。二は一に帰し、完全な体を有するにいたっただけではなかった。「しかも彼にはひとつになる以前の経験があったから、いまでは充分に思慮ぶかくなっていた」

  *

 1952年に原著が刊行された本書は、『木のぼり男爵』(1957年原著刊)、『不在の騎士』(1960年原著刊)とともに「われわれの祖先」三部作をなし、その嚆矢である。
 善悪に引き裂かれた人間をメダルド子爵に仮託する。俺は一個の他人である、とアルチュール・ランボーはいったが、善人のうち悪人が棲み、悪人のうちに善人が棲む。善悪の両面をもつのが人間だ。善一点ばりの人間は、悪のみの人物と等しく薄っぺらな人格でしかない。清濁併せ呑み、内面の戦いがあるからこそ、思慮深くなる。
 メダルドは一個人ではなく、原著刊行当時左右の政党の間で揺れ動いていたイタリアを諷するものかもしれない。右であれ左であれ、わが祖国・・・・。カルヴィーノは、「かろうじてパルチザンに参加するのに間にあった」世代の一人であった。

□イタロ・カルヴィーノ(河島英昭訳)『まっぷたつの子爵』(『文学のおくりもの2』、晶文社、1971)
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書評:『なぜ「表現の自由」か』

2010年02月03日 | 批評・思想
 法学家の文章の大半は読んでさほど楽しくないが、何事も例外はある。
 たとえば、奥平康弘。本書の著者である。
 著者の文章は、本書のような学術書にあっても、講義、講演と同じように、ポキポキと折れるような、訥々と呼んでもよい、雄弁とは言いがたい、屈折した、目につきにくいものを漏れなくすくい上げようとするかのような、微妙な論点は繊細に語る文体である。だが、論旨は常に明快だ。
 著者は『事件』『サッコとヴァンゼッティ』ほかを収める『大岡昇平集 第6巻』(岩波書店、1983)の解説で、『事件』を刑事訴訟法の教材として格好だ、という斯界の評価を伝えている。『サッコとヴァンゼッティ』について、大岡昇平が主に依拠した文献以外の資料にも言及しているのは、プロの法律家として驚くことではないが、シェークスピアほかの文学も読みこなしている気配が解説文の節々にうかがわれて、こちらは驚くべきだ。その文章が読みやすいのもむべなるかな。

 本書は、著者が専門とする憲法学の見地から、表現の自由に係る日米の判例のいくつかに対して詳細な評釈をくわえる。
 それは、単なる評釈にとどまらない。全編、わが国に適正な「表現の自由」を実現せんとする情熱が流れている。
 困難は、当然、あった。
 「第4章 選挙運動の自由と憲法 -日本のばあい-」に、こんな話がある。
 公職選挙法第138条第1項に戸別訪問禁止の規定があり、1950年、最高裁がこれは憲法違反ではない、と裁決した。ところが、1967年、1968年に2つの下級裁判所がこの「社会通念」にチャレンジする判決をくだし、これに刺激されて著者は「戸別訪問禁止制度は違憲だ」とするエッセイを発表した。当時は珍しい主張だったので、この種の裁判の証人としてしばしば呼ばれた。主尋問の後、検察側の反対尋問で衝いてきたのは「憲法学会の通説はどうか、宮沢俊義教授のような憲法学の権威はこの点をどう解釈しているか」というもの。奥平説は特異な謬見にすぎない、という印象を裁判官へ与えるための問いで、彼は孤立無援の焦燥を感じた。
 当時の憲法学会では、戸別訪問禁止が憲法違反に当たらないことは当然の理(“take it for granted”)だった。
 しかし、その後、少なくとも学界に関するかぎり、「戸別訪問禁止は違憲だ」とする説が増え、文献の上では合憲論が減った。かつて合憲説を疑わなかった学者も、自説を修正した(たとえば小林直樹、芦部信喜)。証人出頭にあたっても、検察側はもはや「学界の通説いかん」のごとき反対尋問は行わなくなった。
 少数意見は、通説へと転換したのである。

 「表現の自由」は天から降ってきたわけではないことを私たちに自覚させる一例だ。
 そして、わが日本人が「表現の自由」にいかに鈍感であるかも。
 著者は、後年、本書では書きつくせなかった米国の「表現の自由」を詳述するべく新たな本を刊行する。「アメリカにおける権利獲得の軌跡」の副題をもつ『「表現の自由」を求めて』(岩波書店、1999)がそれである。もちろん、日本における「表現の自由」を見据えた上での作業だ。

□奥平康弘『なぜ「表現の自由」か』(東京大学出版会、1988)
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書評:『おかしな男 渥美清』

2010年02月03日 | ノンフィクション
 「おかしな男」には、喜劇人という意味と畸人という意味とが含まれている。可笑しな男、変な男。役者・渥美清は可笑しな男として知られるが、本書ではその比重はごく軽い。
 本書の主眼は演じられた寅さんではなくて、人間・渥美清に置かれているからだ。渥美清こと田所康雄は畸人であった。

 経歴からして尋常ではない。的屋の経験があり、門前に立てば、その家の者は黙って金を包んだ。それほどの迫力があった。
 他方、中学生の時にグレて、卒業していない。だから、アルファベットを読めない。台本にabcがでてくると、田所康雄は底力のある小声でたずねた。そして、abcにふりがなをふった。
 歴然たる学力不足を自覚していた田所は、屈折した心の回路をへてインテリ好みに傾く。後年、羽仁進に登用されて田所は満足する。
 著者、小林信彦とのなれそめも、このあたりに理由がある。
 田所と著者との出会いは、1961年夏のこと。以後、亡くなるまで付きあいが続いた。まだ20代の会社員だった著者は、平日、田所のアパートで夜明けまで語り明かしたこともある。
 田所は、片肺を切除していたから、体力の維持にひと一倍気をつかった。こうした事情もあって、公人の顔と私人の立場とを厳しく区別した。この性向は晩年まで続き、没後の密葬を選択させる。私生活に招き入れられた点で、著者は例外的な存在となった。

 当然、豊富なエピソードにこと欠かないが、本書はエピソードの単なる羅列ではない。
 たとえば、田所には芸に天賦の才があったが、まめに芝居や映画をみて腕をみがいた。芝居や映画の批評は抜群に面白く、物まねは神技の域に達していた。酒が飲めないのに、えんえんと語り続けてひとを飽かせない。 

 ここで著者は、同じく飲めないのに話術がたくみな植木等と比較するのだが、このあたりに批評眼がひかる。
 小林信彦の作品のすべてについて通じるが、やわらかな、ほとんど話し言葉に近い、くだけた文章だ。書き手の自我はほとんど無と化し、透明になり、言葉だけが定着され・・・・それでいて、言うべきことはきちんと言う。
 本書は、伝記ではない。回想録である。たしかな記憶と克明な覚書をもとに、田所康雄という個性的な役者の実像が浮き彫りにされた。さらに、田所康雄/渥美清をとりまく映画界、テレビや芝居に関わる数奇な人間模様が描かれている。

□小林信彦『おかしな男 渥美清』(新潮社、2000、後に新潮文庫、2003)
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