語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『旅行者の朝食』

2010年02月10日 | エッセイ
 米原万里の本は、なかみを読まないでも買って損をしない。
 本書は、飲食に関してあちこちに書き散らした雑文をまとめたものだ。豊富な海外体験(ロシア、東欧)、博引旁証(調べ魔)にはいつものことながら感心させられる。その独特の切り口、語り口は一見シニックだが、暖かい。

 表題ともなっている「旅行者の朝食」は、ロシア人が好む小咄だ。
 ある小咄に登場する「旅行者の朝食」という言葉に、ロシア人はクックッと笑うが、理由がわからない。ある時、別の小咄を聞いて疑問が氷解した。「旅行者の朝食」という非常にまずい缶詰があるらしい(ソ連がまだ健在な頃のこと)。
 彼女は「ちょっと感動した。まずくて売れ行きが最悪な缶詰を生産し続けるという厖大な無駄と愚行を中止するか、缶詰の中身を改良して美味しくするために努力するよりも、その生産販売を放置したまま、それを皮肉ったり揶揄する小咄を作る方に努力を惜しまない、ロシア人の才能とエネルギーの恐ろしく非生産的な、しかしだからこそひどく文学的な方向性に感嘆を禁じ得ないのだ」

 こんな小咄もある。
 旅先の森で大きな熊に襲われた旅行者が絶体絶命の場面で天に祈る。
 「この恐ろしいけだものに敬虔なキリスト教徒の魂を授けたまえ」
 すると、あら不思議。熊は両前足を合わせ、祈りはじめたのだ。
 「天にまします我らが父よ・・・・美味しい朝食を恵んで下さいましてありがとうございます」

 旅行者の願うように熊はキリスト教徒の魂を授かり、敬虔に祈りをささげるのだが、その祈りの内容たるや、旅行者にとって不都合きわまるものなのであった。権力に下の宗教を揶揄して、痛烈きわまりない。
 全文読まないと妙味が十分に伝わらない。本屋で立ち読みしてもよいから、pp.36-37をぜひ一読していただきたい。

□米原万里『旅行者の朝食』(文春文庫、2004)
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