高山右近は、切支丹大名として知られる。茶人、利休七哲の一人でもあった。
摂津高山に生まれ、1564年に受洗(洗礼名ジュスト)。1585年、豊臣秀吉の治下に明石7万石を得たが、1587年に秀吉の伴天連追放令に抵触して改易された。加賀の前田利家に1万5千石で召し抱えられ、26年間仕えた。
徳川家康が発したキリスト教禁令が徹底されるに及んで捕縛され、1614年に国外追放となり、マニラへ到着後わずか40日で帰天した。
本書は、右近の晩年の1年間を描く歴史小説である。
囚人の日々に焦点をあてながら、その時々に触発される右近の回想を織りまぜることで、その人となりを浮き上がらせる。
全17章のうち計5章、宣教師クレメンテによる書簡は、いわばナレーターの役割をはたす。すなわち、右近の動向を同時代人の目で手短に語らせつつ、当時の切支丹をとりまく情勢を伝え、併せて世界史的視野で戦国時代末期から鎖国開始期の日本をスケッチする。
実在の人物を実名で主人公とする小説は、加賀乙彦には珍しい。すくなくとも長編/中編小説では初めてである。
加賀は、事実と真実(虚構)の区別に意識的な作家である。
加賀はいう、「作家は指で書く」と。プロットは前もってこしらえることができるが、ストーリーは書いていくうちに指先から紡ぎだされてくる。想像力はどんどんふくらんで、登場人物の深くて暗いこころの奥の微妙なひだまで分け入り、厚みのある人物像が造形されていく。
ドストエフスキー的混沌、破綻寸前でとどまる奔放な文体で精神の広大さを描く点が、加賀の魅力である。
しかるに、本書は、史実に即しているせいか、内面描写は抑制され、文体は端正、乱れがない。動乱の世を背景としていながら、全編、堅固な静謐がただよう。
だが、と思う。加賀は、異常な状況や(いまから見れば)異常な時代のなかの人間を描きつづけてきた。
初期の『荒地を旅する者たち』や『フランドルの冬』では状況への医学的知的な対峙、『帰らざる夏』では軍国日本の時代精神に翻弄される少年たちを主人公にすえた思考実験、『錨のない船』では開戦へむかう時代風潮への抵抗、『宣告』では組織からの逸脱、『湿原』では冤罪、そして大作『永遠の都』及びその続編の戦後編『雲の都』では変転する歴史の中をしぶとく生き抜く一族を描いてきた。
こうした流れのなかで本書をみれば、時代への抵抗をはっきりと打ち出している。科学者としては理想的な姿を描けなかった加賀は、カソリックの立場から、いわば理想型として『高山右近』を書いた。
政治的思惑から切支丹を禁じる幕府の政策を、主人公は断固として拒否し、信をつらぬく。拒否というより、理不尽な権力に対する不服従である。
要するに、かつてテーマとした「聖なる狂気」が、信仰に置き換えられたのである。
加賀乙彦は、精神科医としてパリに留学する前に刑務所の医務官をつとめた。本名の小木貞孝名義の『死刑囚と無期囚の心理』 (金剛出版、1974)がある。
殉教となるか追放となるか、裁断を待ち受ける囚人の日々が活写されているのも、むべなるかな。
□加賀乙彦『高山右近』(講談社 、1999、後に講談社文庫、2003)
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摂津高山に生まれ、1564年に受洗(洗礼名ジュスト)。1585年、豊臣秀吉の治下に明石7万石を得たが、1587年に秀吉の伴天連追放令に抵触して改易された。加賀の前田利家に1万5千石で召し抱えられ、26年間仕えた。
徳川家康が発したキリスト教禁令が徹底されるに及んで捕縛され、1614年に国外追放となり、マニラへ到着後わずか40日で帰天した。
本書は、右近の晩年の1年間を描く歴史小説である。
囚人の日々に焦点をあてながら、その時々に触発される右近の回想を織りまぜることで、その人となりを浮き上がらせる。
全17章のうち計5章、宣教師クレメンテによる書簡は、いわばナレーターの役割をはたす。すなわち、右近の動向を同時代人の目で手短に語らせつつ、当時の切支丹をとりまく情勢を伝え、併せて世界史的視野で戦国時代末期から鎖国開始期の日本をスケッチする。
実在の人物を実名で主人公とする小説は、加賀乙彦には珍しい。すくなくとも長編/中編小説では初めてである。
加賀は、事実と真実(虚構)の区別に意識的な作家である。
加賀はいう、「作家は指で書く」と。プロットは前もってこしらえることができるが、ストーリーは書いていくうちに指先から紡ぎだされてくる。想像力はどんどんふくらんで、登場人物の深くて暗いこころの奥の微妙なひだまで分け入り、厚みのある人物像が造形されていく。
ドストエフスキー的混沌、破綻寸前でとどまる奔放な文体で精神の広大さを描く点が、加賀の魅力である。
しかるに、本書は、史実に即しているせいか、内面描写は抑制され、文体は端正、乱れがない。動乱の世を背景としていながら、全編、堅固な静謐がただよう。
だが、と思う。加賀は、異常な状況や(いまから見れば)異常な時代のなかの人間を描きつづけてきた。
初期の『荒地を旅する者たち』や『フランドルの冬』では状況への医学的知的な対峙、『帰らざる夏』では軍国日本の時代精神に翻弄される少年たちを主人公にすえた思考実験、『錨のない船』では開戦へむかう時代風潮への抵抗、『宣告』では組織からの逸脱、『湿原』では冤罪、そして大作『永遠の都』及びその続編の戦後編『雲の都』では変転する歴史の中をしぶとく生き抜く一族を描いてきた。
こうした流れのなかで本書をみれば、時代への抵抗をはっきりと打ち出している。科学者としては理想的な姿を描けなかった加賀は、カソリックの立場から、いわば理想型として『高山右近』を書いた。
政治的思惑から切支丹を禁じる幕府の政策を、主人公は断固として拒否し、信をつらぬく。拒否というより、理不尽な権力に対する不服従である。
要するに、かつてテーマとした「聖なる狂気」が、信仰に置き換えられたのである。
加賀乙彦は、精神科医としてパリに留学する前に刑務所の医務官をつとめた。本名の小木貞孝名義の『死刑囚と無期囚の心理』 (金剛出版、1974)がある。
殉教となるか追放となるか、裁断を待ち受ける囚人の日々が活写されているのも、むべなるかな。
□加賀乙彦『高山右近』(講談社 、1999、後に講談社文庫、2003)
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