語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『あの原子炉を叩け!』

2010年02月21日 | ノンフィクション
 1981年6月7日、イスラエル空軍はバグダッド近郊に建設中のオシラック原子炉を空爆し、完璧に破壊した。イラクの原爆生産を阻むためである。表だった外交的努力、裏面の謀略活動を重ねたあげくの、最後の手段であった。
 イラクと交戦状態が続いていた。サダム・フセインの目的はイスラエルの破滅そのものにはなくて、イスラエルの破滅を手段としてアラブ世界の盟主となる点にあった。イ・イ戦争やクウェート侵入も、こうした目的から出てきた戦略の一つである。
 フセインの野望からすると単なる一手段にすぎなくとも、当のイスラエルにとっては、死活の問題であった。この小国は、原爆一発で滅び去る。フセインの冷酷さは、つとに周知の事実で、国内の最高権力者にのしあがるまで粛正につぐ粛正をおこなった。抵抗するクルド族には、生物兵器すら使用している。
 かくて、原子炉破壊ということになったのだが、兵の派遣は論外であった。空爆しかない。しかし、イスラエルとイラクの間にはシリア、ヨルダン、サウジアラビアがたちふさがる。航続距離が長すぎる。折りあしくイランの空爆が失敗し、対空兵器が強化された。ただでさえ、イラクは中東最大規模の戦闘機を保有しているのだ。
 最終的には、機外に油槽を増設したF-16が8機(爆撃)、F-15が6機(護衛)の構成で作戦が実施された。損失はゼロであった。
 クラウゼヴィッツが指摘するように、戦争は政治の延長である。この作戦はごく限定された局地戦であるがゆえに、かえってこの真理が明確に浮き上がる。
 本書は、一見エンターテインメントふうな訳題であるが、軍事的、技術的な解説も怠りないれっきとしたルポタージュである。事の性質上、イスラエル側に立って記述されているが、史料的価値は十分にある、と思う。

 ちなみに、A・J・クィネル『スナップ・ショット』の背景となっているのは、この作戦である。

□ダン・マッキンノン(平賀秀明訳)『あの原子炉を叩け!』(新潮文庫、1983)
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書評:『スナップ・ショット』

2010年02月21日 | ミステリー・SF
 1981年6月7日、バグダッド南西に位置するクワイタをイスラエル空軍の14機が急襲した。フランスの援助を受けて建設されたイラクの原子炉は、完璧に破壊された。
 たちまち、各国から非難の嵐がごうごうと沸きあがった。
 しかし、米国はほどなく矛をおさめる。サダム・フセインの野望、原爆製造の証左をイスラエルから突きつけられたからである。

 この歴史的事実の隙間に、A・J・クィネルは想像力を注入する。
 モサド機関員の活動である。ただの機関員ではない。表の世界でも著名な人物、むしろ本来は戦場カメラマンの第一人者であった。
 彼、デイヴィッド・マンガーは、ベトナムで遭遇した事件により心に傷をおい、カメラを捨てる。9年間の隠棲生活の後、おさない頃自分を捨てたと信じていた母の行動の意味を知り、ユダヤ人の血に目覚め、ユダヤ国家の危機回避のために挺身するべく決意する。
 これは、スパイ・マスターたるウォールター・ブラムじきじきのはたらきかけによるものであった。
 マンガーは、ウォールターを通じて出会ったルースのおかげで、ベトナムで受けた心的外傷(トラウマ)を克服する。二人は将来を約束する。
 かれは、カメラマンという公の顔を利用してイラクへ入国した。モサドが求める情報を首尾よく手に入れるが、秘密警察ムクハバラートは有能であった。拷問のはては、死しか残されていない。
 イスラエル国防軍は、原子炉爆撃を決定した。
 同時に、もう一件、世間には知られていない作戦を決行する。マンガー救出作戦である。

 A・J・クィネルは、フィクションに事実をたくみに取り入れる点で定評がある。
 本書も例外ではない。ベトナム戦争、中東紛争、スパイ組織が活写され、しかも単なる素材にとどまっていない。筋の展開上必要十分なだけ取りこまれている。
 ただし、事実を基盤としていても、本書はあくまでフィクションである。
 たとえば、本書ではモサド長官が原子炉爆撃の音頭をとっている。歴史的事実は逆で、イツアーク・ホフティ(イツハク・ホフィ)は原子炉爆撃反対派の急先鋒であり、爆撃推進派の副長官ナホム・アドモニと鋭く対立した。作戦が成功した結果、長官の座はアドモニに移った。
 著者がこうした事実を知らなかったはずはない。ただでさえ複雑なストーリーを錯綜させないために、あえて虚構をえらんだのだろう。

 背景が単純化された分、人間的側面に紙数が割かれ、小説として成功している。
 ストイックなマンガーの謎めいた行動、中盤に一気に明らかにされる凄惨な体験、石と化した9年間の後に訪れた恩寵のごとき回生。聡明さと豊かな情感をもち、ひとたび愛した男のためには生命をうしなう危険すらおかすルース。美食と煙草に目がなく、やたらとシェークスピアを引用したがるスパイ・マスター、ウォルター。そして、人々が織りなす人間模様、交情。
 本書は第一級の冒険小説、スパイ小説である。しかし、それだけではない。激変する歴史のなかを生き抜く個人という点でも、社会的条件に翻弄される恋愛という点でも、正統的な小説である。原著刊行から四半世紀へても、古さを感じさせないゆえんである。

□A・J・クィネル(大熊栄訳)『スナップ・ショット』(新潮文庫、1984)
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