「書評ふうの短いエッセイ」を全70編おさめる。選択された本のジャンルは文学にやや偏るが、歴史、経済、政治、科学も含む。文学は、小説がおおいが、詩歌、ミステリーにも目くばりされている。また、対談集も論じる。
単行本の刊行の時期をほぼおなじくする『本のなかの本』【注1】と、評された本が部分的に重複する。しかし、本書の各編の字数は『本のなかの本』のそれの倍になっているから、その分、引用は豊かに、要約は懇切に、批評はていねいになっている。名著のさわり集成としても読める。
どのページを開いても著者が読むことを楽しんでいるさまがじんわりと伝わってくる。市井の読書人が本業をはなれて楽しむ本、というのが選択基準らしい。だから、一読後、さっそくネット書店、ネット古書店を検索して発注したくなる。
かつて、おおいに満足して読了した本が褒められていると、同志よ、とつぶやきたくなる。
たとえばロバート・キャパ『ちょっとピンぼけ』【注2】。「男の中の男」とタイトルにある。自伝にそって活躍のあとをたどりつつ、さわりを引用してキャパのひととなりを活写する。
「しかし、『ちょっとピンぼけ』の最大の魅力は、窮地におちいるたび、それを機知に富んだ寸描でさらりとかわす、軽妙な、あるいは洒脱な語り口である」
著者は、文章にうるさいひとだ(うるささが高じて『文章読本』【注3】を書いた)。名文に目の肥えたひとが拾い出す名文、その文体の特徴の指摘は、なるほどと思わせる。
自伝全体の褒め方も、尋常ではない。「作家、画家、写真家たちの書く自伝は一個の独立した著作として読まれる以上に、しばしば、その本職である小説や絵や写真の仕事についての脚注として興がられる」。しかし、「少なくとも私にとっては、この一巻の書こそロバート・キャパというたぐいまれな男の本文であって、彼の撮った数千葉の写真はその脚注にとどまる」。
もとより世評高い写真の価値は動かない。だが、それほど知られていない自伝の価値は写真以上にある、と強調しているのだ。ちょっとしたレトリックである。
著者独自の文章美学は、よいと評価する作家の発言でもうのみにしない。
戦前ドイツ・オーストリアの批評家フランツ・ブライの『同時代人の肖像』【注4】をとりあげて(「洒脱な人物スケッチ」)、カフカをスケッチした箇所を引用して評する。「さりげない印象記と見えて、しかし的確に要点をおさえたこの一節は、今日なお、いやむしろ今日だからこそ、カフカに関する最良の手引きとするに値する」
こう評価しながら、ブライのカール・クラウスに対する点の辛さに疑問を呈して、別に一編をあむ(「アフォリズムの粋」)。
「ここでクラウスの人柄や批評活動全体を云々する資格は私にはないけれども、『アフォリズム』一巻に関する限り、ブライの危惧は当たっていないとしないわけにはいかない。余事は知らず、警句作家としてのクラウスの天稟はまぎれもない」
書評家向井敏の面目躍如というところ。世間の通念をひっくりかえし、それだけの説得力をもって議論をすすめていく。たしかに、著者が引用したクラウスのアフォリズム【注5】を読むと、テレビに映る政治家のまばたきが気になったりする。すなわち、
「モラルは見つめるとまばたきする」
【注1】向井敏『本の中の本』(毎日新聞社、1986。後に中公文庫)
【注2】ロバート・キャパ(川添浩史/井上清一訳)『ちょっとピンぼけ』(ダヴィッド社、1956。後に文春文庫)
【注3】向井敏『文章読本』(文藝春秋社、1991。後に文春文庫)
【注4】フランツ・ブライ(池内紀訳)『同時代人の肖像』(法政大学出版局、1981)
【注5】カール・クラウス(池内紀訳)『アフォリズム』(法政大学出版局、1978、カール・クラウス著作集第5巻)
□向井敏『書斎の旅人』(中公文庫、1993)
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単行本の刊行の時期をほぼおなじくする『本のなかの本』【注1】と、評された本が部分的に重複する。しかし、本書の各編の字数は『本のなかの本』のそれの倍になっているから、その分、引用は豊かに、要約は懇切に、批評はていねいになっている。名著のさわり集成としても読める。
どのページを開いても著者が読むことを楽しんでいるさまがじんわりと伝わってくる。市井の読書人が本業をはなれて楽しむ本、というのが選択基準らしい。だから、一読後、さっそくネット書店、ネット古書店を検索して発注したくなる。
かつて、おおいに満足して読了した本が褒められていると、同志よ、とつぶやきたくなる。
たとえばロバート・キャパ『ちょっとピンぼけ』【注2】。「男の中の男」とタイトルにある。自伝にそって活躍のあとをたどりつつ、さわりを引用してキャパのひととなりを活写する。
「しかし、『ちょっとピンぼけ』の最大の魅力は、窮地におちいるたび、それを機知に富んだ寸描でさらりとかわす、軽妙な、あるいは洒脱な語り口である」
著者は、文章にうるさいひとだ(うるささが高じて『文章読本』【注3】を書いた)。名文に目の肥えたひとが拾い出す名文、その文体の特徴の指摘は、なるほどと思わせる。
自伝全体の褒め方も、尋常ではない。「作家、画家、写真家たちの書く自伝は一個の独立した著作として読まれる以上に、しばしば、その本職である小説や絵や写真の仕事についての脚注として興がられる」。しかし、「少なくとも私にとっては、この一巻の書こそロバート・キャパというたぐいまれな男の本文であって、彼の撮った数千葉の写真はその脚注にとどまる」。
もとより世評高い写真の価値は動かない。だが、それほど知られていない自伝の価値は写真以上にある、と強調しているのだ。ちょっとしたレトリックである。
著者独自の文章美学は、よいと評価する作家の発言でもうのみにしない。
戦前ドイツ・オーストリアの批評家フランツ・ブライの『同時代人の肖像』【注4】をとりあげて(「洒脱な人物スケッチ」)、カフカをスケッチした箇所を引用して評する。「さりげない印象記と見えて、しかし的確に要点をおさえたこの一節は、今日なお、いやむしろ今日だからこそ、カフカに関する最良の手引きとするに値する」
こう評価しながら、ブライのカール・クラウスに対する点の辛さに疑問を呈して、別に一編をあむ(「アフォリズムの粋」)。
「ここでクラウスの人柄や批評活動全体を云々する資格は私にはないけれども、『アフォリズム』一巻に関する限り、ブライの危惧は当たっていないとしないわけにはいかない。余事は知らず、警句作家としてのクラウスの天稟はまぎれもない」
書評家向井敏の面目躍如というところ。世間の通念をひっくりかえし、それだけの説得力をもって議論をすすめていく。たしかに、著者が引用したクラウスのアフォリズム【注5】を読むと、テレビに映る政治家のまばたきが気になったりする。すなわち、
「モラルは見つめるとまばたきする」
【注1】向井敏『本の中の本』(毎日新聞社、1986。後に中公文庫)
【注2】ロバート・キャパ(川添浩史/井上清一訳)『ちょっとピンぼけ』(ダヴィッド社、1956。後に文春文庫)
【注3】向井敏『文章読本』(文藝春秋社、1991。後に文春文庫)
【注4】フランツ・ブライ(池内紀訳)『同時代人の肖像』(法政大学出版局、1981)
【注5】カール・クラウス(池内紀訳)『アフォリズム』(法政大学出版局、1978、カール・クラウス著作集第5巻)
□向井敏『書斎の旅人』(中公文庫、1993)
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