人生の晩年に若さをとり戻すファウストの願望は、万人の願いでもあるらしい。
第二、第三のファウストは、いつの世にも登場する。
本書の主人公ジェフも、第何番目かのファウストである。
ただし、若さをとり戻す願望は、作者にあって、ジェフにはない。いや、ないとは言わないが、本人の願望いかんにかかわらず、勝手に若くなるのである。
蘇るのはかつて自分が生きた過去の時代であり、前世の記憶を保っているのだから、もう一度人生をやりなおすことができる。当然、未来が予測できるから、賭博に確実に勝てるし、投資も過たない。つまり、経済的基盤の確立は容易で、億万長者への道はたやすい。
なんと恵まれていることか。
と考えるのは早計で、当事者には余人の知らぬ苦痛がある。冨は空しい、というのが最初の再生の結論だった。次の再生ではエピクロス的隠棲を選ぶ。
再生に前世の記憶が伴うと、一種の不老長寿である。よって不老長寿の悲哀も味わわねばならない。自分を知る人々が先立つ寂寥感である。これもまた、再生する者が受けとめねばならない苦痛である。
しかし、再生する者が自分以外にもあるならば、再生のつど再会して、二人して永遠に生きることができる。寂寥は生じない。
ジェフは、もうひとりの再生者、パメラと出会うことができた。永遠の愛を誓う。
再生してから再会するまでの苦労が、ストーリーに起伏をもたらす。
ただし、これだと小説が永遠に終わらないので、本書はひと捻りする。再生しても前世の記憶をとりもどすまでに若干の時間を要する、という設定なのだ。
さらに、もうひと捻りして、記憶が甦る時間が再生のたびに遅くなる、という設定も加えられている。最初18歳で過去の記憶に目覚めた主人公は、中年にならないと過去の記憶が目覚めなくなるのだ。そして、パメラもまた。
一定の年齢に死ぬ定めだから、だんだんと(記憶の)再生から死去までの時間が短くなってくる。甦る時期がだんだんと遅くなって、やがて再生から死まで数刻となり、ついに永久の死がやってくる。
二人のうちの一人は、他の一人よりも再生から死までのテンポが速い。よって、永久の死が他方より速くやってくる。とり残されることが確実な者の絶望は深い。
さいわい、本書には救済措置がほどこされているから、読者も主人公に同調して絶望するに及ばない。
余談ながら、小説の読書は、一種のリプレイといえるかもしれない。絵空事に没頭し、現実を忘れる人は、読みかえすたびに小説にえがかれた人生を再生している、ともいえるからだ。
その再生が、ジェフとおなじ運命をたどることになるか、別の運命が開けるかは、当該作品が再読に耐えるか否かによるだろう。
□ケン・グリムウッド(杉山高之訳)『リプレイ』(新潮文庫、1990)
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第二、第三のファウストは、いつの世にも登場する。
本書の主人公ジェフも、第何番目かのファウストである。
ただし、若さをとり戻す願望は、作者にあって、ジェフにはない。いや、ないとは言わないが、本人の願望いかんにかかわらず、勝手に若くなるのである。
蘇るのはかつて自分が生きた過去の時代であり、前世の記憶を保っているのだから、もう一度人生をやりなおすことができる。当然、未来が予測できるから、賭博に確実に勝てるし、投資も過たない。つまり、経済的基盤の確立は容易で、億万長者への道はたやすい。
なんと恵まれていることか。
と考えるのは早計で、当事者には余人の知らぬ苦痛がある。冨は空しい、というのが最初の再生の結論だった。次の再生ではエピクロス的隠棲を選ぶ。
再生に前世の記憶が伴うと、一種の不老長寿である。よって不老長寿の悲哀も味わわねばならない。自分を知る人々が先立つ寂寥感である。これもまた、再生する者が受けとめねばならない苦痛である。
しかし、再生する者が自分以外にもあるならば、再生のつど再会して、二人して永遠に生きることができる。寂寥は生じない。
ジェフは、もうひとりの再生者、パメラと出会うことができた。永遠の愛を誓う。
再生してから再会するまでの苦労が、ストーリーに起伏をもたらす。
ただし、これだと小説が永遠に終わらないので、本書はひと捻りする。再生しても前世の記憶をとりもどすまでに若干の時間を要する、という設定なのだ。
さらに、もうひと捻りして、記憶が甦る時間が再生のたびに遅くなる、という設定も加えられている。最初18歳で過去の記憶に目覚めた主人公は、中年にならないと過去の記憶が目覚めなくなるのだ。そして、パメラもまた。
一定の年齢に死ぬ定めだから、だんだんと(記憶の)再生から死去までの時間が短くなってくる。甦る時期がだんだんと遅くなって、やがて再生から死まで数刻となり、ついに永久の死がやってくる。
二人のうちの一人は、他の一人よりも再生から死までのテンポが速い。よって、永久の死が他方より速くやってくる。とり残されることが確実な者の絶望は深い。
さいわい、本書には救済措置がほどこされているから、読者も主人公に同調して絶望するに及ばない。
余談ながら、小説の読書は、一種のリプレイといえるかもしれない。絵空事に没頭し、現実を忘れる人は、読みかえすたびに小説にえがかれた人生を再生している、ともいえるからだ。
その再生が、ジェフとおなじ運命をたどることになるか、別の運命が開けるかは、当該作品が再読に耐えるか否かによるだろう。
□ケン・グリムウッド(杉山高之訳)『リプレイ』(新潮文庫、1990)
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