語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『阿房列車』

2010年02月24日 | エッセイ
 阿房宮は、秦の始皇帝が渭水の南に築いた宮殿である。それが、宮の一字がとれたとたんに阿呆になる。
 阿房列車は、すなわち阿呆列車である。
 なんの用事もないのに、汽笛一声、揺られ揺られて列島のあちこちへ出かけ、車中でも宿でもしたたか飲んで、飲みつぶれて、名所見物もしないで帰ってくる。本書は、そんな話ばかり延々と書きつらねている。
 要するに、本書には見事になかみがない。徹頭徹尾、内容のない話を独特の語り口で読ませるのだ。

 偏屈を故意に前面に押しだして笑いをさそう点で、『阿房列車』は内田百の師、夏目漱石の『吾輩は猫である』の末裔である。
 もっとも、『猫』は、奇矯な高等遊民たち複数が屁のような気炎をあげ、無用の知識を際限なく放電するが、かたや『阿房』は、畸人は独り百先生のみ、教養はチラとかいま見せるていどだ。そのつつましさは俳諧的であり・・・・じじつ、百鬼園内田栄造は俳人でもあった。百は、郷里岡山県の百間川にちなむ俳号である。

 それにしても、著者の偏屈は筋金いりだ。
 偏屈の人は、理屈の人である。
 「これから途中泊まりを重ねて鹿児島まで行き、八日か九日しなければ東京へ帰つて来ない。この景色とも一寸お別れだと考へて見ようとしたが、すぐに、さう云ふ感慨は成立しない事に気がついた。なぜと云ふに私は滅多にこんな所へ出て来た事がない。銀座のネオンサインを見るのは、一年に一二度あるかないかと云ふ始末である。暫しの別れも何もあつたものではないだらう」
 理屈の人は、一献、たちまち酔狂に至る。

  「そら、こんこん云つてゐる」
   酔つた機みで口から出まかせを云つたら、途端にどこかで、こんこんと云つた。
  「おや、何の音だらう」
  「音ぢやありませんよ。狐が鳴いたのです」
   山系が意地の悪い、狐の様な顔をした。

 ヒマラヤ山系こと平山三郎は、当時国鉄本社職員で、百先生の気まぐれに毎回辛抱強くつきあった有徳の士。寡黙で動かざること山のごとく、「山系は行きたいのか、いやなのか、例に依つてその意向はわからない」茫洋たる人物だ。だが、どうしてどうして、平山三郎の回想録『実歴録阿房列車先生』ほかは、山系君と呼ばれる有能なサンチョ・パンサが付き添ってこそ『阿房列車』が無事に発着したことを示している。

□内田百『阿房列車』(旺文社文庫、1979、重版1984。『内田百集成1』、ちくま文庫、2002。『第一阿房列車』、新潮文庫、2003)
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コメント (2)
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