語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】読書人はなぜ歴史を好むか

2010年02月26日 | ミステリー・SF
 「なにが書いてあるの?」
 「14世紀のことだ」
 彼は黙っていた。薪の端から樹液が流れ出て下の熱い灰の中に落ちた。
 「なんで1400年代のことを書いた本を読むの?」
 「1300年代。20世紀が1900年代であるのと同じだ」
 ポールが肩をすぼめた。「だから、なぜそんなことについて読むの?」
 私は本をおいた。「当時の人々の生活がどんなものだったか、知りたいのだ。読むことによって、600年の隔たりをこえた継続感を得られるのが好きなのだ」

  *

 『初秋』に出てくる会話である。スペンサーは、両親から放任されている子どもを預かり、二人して自然の中で暮らす。シンプルな生活の一夜、少年が尋ね、スペンサーが答える場面である。
 継続感とは、14世紀のどこかの社会にスペンサーもまた属している、という感覚だろう。
 試みに、わが国の、たとえば田中優子『江戸の想像力』をひもといてみるとよい。継続感が感じられるならば、あなたは江戸の住民の資格をもつ。
 スペンサーは、「自立というのは自己に頼ることであって、頼る相手を両親からおれに替えることではないんだ」などと子どもに教えさとす独立自尊の男だが、ある共同体への(その共同体が過去のものであっても)帰属感とすこしも矛盾しない。むしろ、目前にはない共同体への帰属感をもつことで、独立の意識はより堅固になるのかもしれない。

 ロバート・ブラウン・パーカーは、米国マサチューセッツ州出身の作家。1973年、『ゴッドウルフの行方』でデビューし、スペンサー・シリーズ第4作『約束の地』でMWA賞最優秀長編賞を受賞した。2010年1月18日没。

【参考】ロバート・B・パーカー(菊池光訳)『初秋』(早川書房、1982。後にハヤカワ・ミステリ文庫、1988)
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書評:『消えたイワシからの暗号』

2010年02月26日 | ノンフィクション
 イワシは、安くてうまい。養殖のハマチやウナギの飼料にもなる。
 そのイワシが獲れなくなった。日本のマイワシの年間漁獲量は、448.8万トン獲れた1988年を境に年々減少して、1997年にはわずか28.4万トンに落ちこんだ。
 だが、2020年代にはふたたびイワシは豊漁となる、と著者は予測する。ただし、これは日本海側の話で、太平洋側は少し先にずれる。

 こう予測する根拠は何か。
 太平洋側ではマイワシ・サンマ・マサバ、日本海側ではマイワシ・マアジ・マサバが大衆魚の代表である。これらは、同時には繁栄しない。いずれかの種が他をおさえて君臨する。君臨する種は、入れ替わる。ごっそりと。この現象が魚種交替である。
 魚種交替は、次のようにして起きる。ある年に魚食性プランクトンが大量に発生すると、この時に主役の種の仔魚が大量に食われる。そこへ次に主役となる種が入りこむ。
 寿命6年の魚の場合、仔魚は生後2-3か月のうちにほとんどがプランクトンに食われる。成魚まで生き残るのは、1万尾のうち1尾しかいない。そのプランクトンを成魚が食べる。魚とプランクトンは、共生関係にある。
 ある種が異常繁殖することで、魚類全体が安定的に繁栄する。つまり、Aという魚種がダメならBがある、という多角経営によって全体のリスクを小さくする合理的な戦略が自然界にはある。著者は、本書を書く過程でこの見方に到達した、という。そして、これは単なる戦略の解明ではなくて、漁獲量予測の重要なヒントになっている。
 7人の研究者によるブレインストーミング、そこから生まれた複数の魚種交替予測モデル、調査、統計を駆使した予測・・・・の詳細は、本書にあたっていただくしかない。

 漢字を少なめにおさえた文体、豊富な雑学、読みやすい語り口。全編、軽いユーモアがほのかに漂う。たとえば、魚類分類にふれていう。「グループとしてもっとも大きいのはスズキ目であろう。魚の世界でもスズキさんが多い」
 新しい水産学の知見をわかりやすく伝える上質の科学啓蒙書である。少年少女から市井の読書人まで、安心しておススメできる。単なる食いしんぼも含めて。
 ちなみに、著者は科学サイエンティスト(魚類生態学)。元水産庁の職員で、東北区水産研究所資源管理部長を最後に定年退官した。

□河井智康『消えたイワシからの暗号』(三五館、1999)
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