語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【映画談義】『パリ空港の人々』

2010年02月27日 | □映画
 「異常な状況における正常な反応は、異常な行動をとることである」と、精神科医ヴィクトル・フランクルは喝破した。フランクルのいわゆる異常な状況は、アウシュビッツ収容所であった。
 この映画の主要登場人物がおかれている異常な状況は、入国も(フランス以外の国に)出国することもできないまま滞在を余儀なくされているパリ空港である。

 カナダとフランスの二重国籍を持つ図像学者(ジャン・ロシュフォール)は、いまのところローマに居をかまえている。なかなかの国際人だが、細君(マリサ・パレデス)はスペイン人と、ますます国際的だ。
 くだんの先生、カナダはモントリオールの空港で寝こんでいるうちに、パスポートに財布、靴まで盗まれてしまった。
 細君が待ちうけるシャッル・ド・ゴール空港まで、なんとか辿りついたのはよいが、入国管理局の担当官から待ったをかけられた。二重国籍をなまじ持つから怪しまれるし、時期がわるかった。12月30日の日曜日、しかも深夜である。行政機関は休みだから、顔写真で確認することができない。すったもんだの挙げ句、空港内のトランジット・ゾーンに眠るはめに陥った。
 さて、学者先生、このゾーンで思いもよらぬ人々と出会って度肝をぬかれる。入国も出国もできない人々が、とある部屋で日常生活を送っていたのだ。迎えにくるはずの父親をひたすら待ちうける少年、ギニア出身。国籍を剥奪されたグラマー・ガール。どこへ行っても入国を拒否される元軍人。・・・・といった人々がひっそりと、一日や二日ではなく一年、二年と暮らしていた。

 じつに悲劇的な状況なのだが、観客の目には喜劇と映る。その理由のひとつは、ロシュフォールのとぼけた山羊づらだ。黙って眺めているだけでおかしくなるし、その飄々たる演技がこれに輪をかける。
 彼をとりまく人々のキャラクターもいい。それぞれがたくましく、しかも相互に繊細な気くばりをみせる。ちゃんと食べ物を、ワインも、シャワーさえ確保している。一同、滑走路に棲息するウサギを捕えて食糧にしたりもする。空港の台所をちゃっかり使わせてもらっているのだ。
 かの学者先生、最初は唖然とするが、すんなりと彼らの暮らしに適応する。おかげで、一文なしでも食うに困らない。3日間も空港内で寝起きする。
 皆とともに、警備の隙をついて空港を抜け出し、夜空の下のパリを散策しさえもする。長期間パリ空港で暮らしながらまだパリの街なみをみたことのない少年のために。
 まるで髪結いの亭主的な立場だが、じじつロシュフォールは『髪結いの亭主』(仏、1990年)の主人公を演じているが、おかしいのは、困った状況の中で余裕しゃくしゃくの旦那とは逆に、自由な状況の中にある細君がおお騒ぎすることだ。入国管理局から旦那との接触を断固拒否されては怒りくるい、安ホテルに泊まる仕儀になって、いっそうエキサイトする。ラテン系の血ははげしい。

 この映画は、深刻に考えれば難民問題に関わり、感覚的にとらえればカフカ的状況に関わるが、「パリ空港の人々」はあくまであっけからんとして明るい。日はまた昇るのである。
 ストーリーは奇想天外。人情を繊細かつ自然体でみせつつ、観客の微笑をひきだす演出は絶妙だ。
 そして、この映画、悲劇と喜劇とはヤヌスの両面であり背中あわせの関係にあることを、つくづくと感じさせる。

 余談ながら、この映画の発想の元、イラン人難民マーハン・カリミ・ナセリに対して、スピルバーグ監督映画『ターミナル』(米、2004)の関係企業からも映画化権の支払いがあったらしい。

□『パリ空港の人々』(仏、1993年)
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