3・11によって、テレビや新聞といった大メディアが馬脚をあらわした。東電、保安院、政府が不都合を隠し、事態の深刻さをごまかした発表を鵜呑みにし、そのまま伝えた。そればかりか、時にはそれを守り、加勢した。福島第一原発事故直後、国内のあちこちで起こったデモなど反原発の動きをある時期まで一切報道しなかった。こうしたすべてが明るみに出た後も、大手メディアの体制は基本的には変わっていない。
福島原発事故報道の背景には、次の問題がある。
(1)「権力の動き=ニュース」という錯覚。
(2)専門性のある記者が育っていない。
事故直後にSPEEDIの情報を公開しなかったため、福島の人たちは避難すべきところに避難できず、浴びなくてもよい放射線を浴びてしまった。この衝撃的な事実は、政府の発表を待たねば報道できなかった。SPEEDIの存在に気づいている記者はいたに相違ないが、日本の新聞はデータ入手に全力を挙げなかった。
この背景に、政府が隠している情報を独自調査で明らかにする調査報道が伝統として根づいていないことがある。大手メディアが報道したのは、単純化して言えば、政府と東電の発表処理だ。権力側が発する情報を漏れなく報じたのだ。
放っておけば、権力は秘密主義に走る。これは、古今東西変わらない事実だ。ひょっとしたら権力側が隠している情報を探し出し、わかりやすく伝える。これが本来の報道だ。
ところが、福島第一原発事故では、調査報道とは正反対の発表報道が横行していた。
この点、むしろ週刊誌のほうが活躍していた。
<例>全国各地の放射線データ。文科省が集め、発表したデータでは、さほど危険でない数字が出ていた。ところが、「週刊現代」のスクープで数字が不正確であることが判明した。文科省のデータでは、地上10mとか20mの地点で測定されていて、実際に人間が行動する地上1mのデータとはまったく違った。
「週刊現代」のスクープを大新聞が後追いして報じた。「週刊現代」のスクープであるとは明示しないで。
新聞記者は、記者クラブにおける発表処理に忙しく、実際に街に出て何が起きているかを見たり聞いたりする体制になっていないのだ。
大手メディアは、記者クラブ経由の「大本営発表」をそのまま垂れ流すだけで、原発直後の危険性を正確に伝えなかった。
<例>事故直後から実際にメルトダウンが起き、専門家もその危険性を指摘していたにもかかわらず、政府・東電が否定したことから、大新聞は紙面上で「メルトダウン」という言葉を使うのを控えていた。「メルトダウン」という言葉を大新聞が一斉に見出しに使い始めたのは、事故発生から数ヶ月後、政府・東電が認めてからだ。史上最悪の原発事故が起きているときに、メディアは権力を監視せず、発表報道に終始した。
さらに、事故発生から10ヵ月ほどたって、野田総理が「冷温停止で原発事故は収束した」と発表した。誰もがアホらしいと思うこの発表を、大新聞はほとんどそのまま一面で伝えていた【注1】。
そして、一面を発表報道で埋める一方、中面で「本音では、それはどうかと思う」みたいなツッコミ記事を言い訳のように載せていた。
一番目立つ一面で政府発表を大きく伝えるのは、「権力の動き=ニュース」と考えているからだ。大新聞にとって「ニュースを正確に伝える」とは、実は「権力の動きを正確に伝える」という意味なのだ【注2】。
「権力=ニュース」という価値観が共有される世界では、特大ニュースとは、政府の政策など権力側の動きを誰よりも早く報じる「発表先取り型」だ。
記者の専門性欠如も問題だ。取材現場では2~3年で記者の担当分野がころころと変わる。15年や20年も現場で記者をやっていると、大抵はデスクに昇格してしまう。実質的に管理職になって現場から離れる。特定分野で数十年も経験を積んだ専門記者が取材現場にめったにいない。
記者として成功すると、経営幹部に抜擢される。経営者が記者の最終目標であるならば、記者としての専門性よりも車内事情にどれだけ詳しいか、といった要素のほうが重要になる。
逆に言えば、発表報道中心なら専門記者は不要だ。プレスリリースを読みやすく加工できればいい。「誰が、何を、いつ、どこで、なぜ、どのように」を詰め込む逆三角形のスタイルを覚えればいい。ここでは独自性を発揮する余地はそんなにない。政府・東電の説明どおりに書いていればそれですむ。専門的視点から反論する必要はないし、反論したくても反論する能力がない。
米国の新聞は違う。
<例1>ウィリアム・ブロード記者(ニューヨーク・タイムズ)は、30年以上も科学記者を続け、多数の著作を発表していながら、なお第一線で活躍している。原発問題、環境問題にも詳しく、広範なネットワークを築いているから、政府・東電の発表のどこがおかしいかも鋭く指摘していた。書く記事も、深く掘り下げたニュース解説で、非常に長い。
対照的に、日本の新聞記事は発表をコンパクトにまとめて、正確にわかりやすく伝えているが、その発表が何を意味するか、踏み込んで書いていない。
<例2>ジュディス・ミラー記者(ニューヨーク・タイムズ)は、ピュリッツアー賞受賞歴もあるベテラン記者だ。イラク戦争前、大量破壊兵器がある、と匂わせる記事を何度も書いた。ブッシュ大統領やチェイニー副大統領、ライス国務長官が「大量破壊兵器はある」とイラク戦争を正当化したが、その根拠にしたのがミラーの記事だった。ところが、ミラー記者のネタ元は、ブッシュ政権高官なのであった。まさにマッチポンプだ。ミラーは、「御用記者」のレッテルを貼られ、新聞界から追放された。同業他社から徹底的に批判された。ニューヨーク・タイムズも長い検証記事を掲載し、過去の大量破壊兵器がらみの記事の問題点を洗い出した。多くはミラーの記事だった。
【注1】夜討ち、朝駆けは体力がないと続かない仕事だ。逆に言えば、頭はいらない。そのほうが権力にとって都合がよい。頭でっかちの記者だと、「その情報はほんとうか?」と考える。権力側にしてみれば、そんな記者を相手にしていると、言ったことが思ったとおりに伝わらない。記者は権力と一体化しているのだ。だから、総理発言の背景に何があるのか、深く考察しなくなっている。
【注2】報道において、容疑者以外は匿名だ。捜査当局は匿名だから、間違っていることが明らかになっても責任を負わない。権力側にある裁判官についても、ほとんど報道されない。報道されても名前だけだから、匿名と変わらない。検事も同様。権力側に気に入ってもらわなければ情報をリークしてもらえなくなるから、権力側を匿名にしておくことで恩を売っておく・・・・こんな論理がマスコミ側にはある。権力迎合型報道だ。そして、最も匿名性の中で生きているのは、メディアだ。無署名記事は、馴れ合いを生む土壌になっている。
以上、インタビュイー:牧野洋(ジャーナリスト/翻訳家)/インタビュアー:渋谷陽一「なぜ日本のメディアは「報道の責任」を問われないのか」(「SIGHT」2012年SPRING)に拠る。
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福島原発事故報道の背景には、次の問題がある。
(1)「権力の動き=ニュース」という錯覚。
(2)専門性のある記者が育っていない。
事故直後にSPEEDIの情報を公開しなかったため、福島の人たちは避難すべきところに避難できず、浴びなくてもよい放射線を浴びてしまった。この衝撃的な事実は、政府の発表を待たねば報道できなかった。SPEEDIの存在に気づいている記者はいたに相違ないが、日本の新聞はデータ入手に全力を挙げなかった。
この背景に、政府が隠している情報を独自調査で明らかにする調査報道が伝統として根づいていないことがある。大手メディアが報道したのは、単純化して言えば、政府と東電の発表処理だ。権力側が発する情報を漏れなく報じたのだ。
放っておけば、権力は秘密主義に走る。これは、古今東西変わらない事実だ。ひょっとしたら権力側が隠している情報を探し出し、わかりやすく伝える。これが本来の報道だ。
ところが、福島第一原発事故では、調査報道とは正反対の発表報道が横行していた。
この点、むしろ週刊誌のほうが活躍していた。
<例>全国各地の放射線データ。文科省が集め、発表したデータでは、さほど危険でない数字が出ていた。ところが、「週刊現代」のスクープで数字が不正確であることが判明した。文科省のデータでは、地上10mとか20mの地点で測定されていて、実際に人間が行動する地上1mのデータとはまったく違った。
「週刊現代」のスクープを大新聞が後追いして報じた。「週刊現代」のスクープであるとは明示しないで。
新聞記者は、記者クラブにおける発表処理に忙しく、実際に街に出て何が起きているかを見たり聞いたりする体制になっていないのだ。
大手メディアは、記者クラブ経由の「大本営発表」をそのまま垂れ流すだけで、原発直後の危険性を正確に伝えなかった。
<例>事故直後から実際にメルトダウンが起き、専門家もその危険性を指摘していたにもかかわらず、政府・東電が否定したことから、大新聞は紙面上で「メルトダウン」という言葉を使うのを控えていた。「メルトダウン」という言葉を大新聞が一斉に見出しに使い始めたのは、事故発生から数ヶ月後、政府・東電が認めてからだ。史上最悪の原発事故が起きているときに、メディアは権力を監視せず、発表報道に終始した。
さらに、事故発生から10ヵ月ほどたって、野田総理が「冷温停止で原発事故は収束した」と発表した。誰もがアホらしいと思うこの発表を、大新聞はほとんどそのまま一面で伝えていた【注1】。
そして、一面を発表報道で埋める一方、中面で「本音では、それはどうかと思う」みたいなツッコミ記事を言い訳のように載せていた。
一番目立つ一面で政府発表を大きく伝えるのは、「権力の動き=ニュース」と考えているからだ。大新聞にとって「ニュースを正確に伝える」とは、実は「権力の動きを正確に伝える」という意味なのだ【注2】。
「権力=ニュース」という価値観が共有される世界では、特大ニュースとは、政府の政策など権力側の動きを誰よりも早く報じる「発表先取り型」だ。
記者の専門性欠如も問題だ。取材現場では2~3年で記者の担当分野がころころと変わる。15年や20年も現場で記者をやっていると、大抵はデスクに昇格してしまう。実質的に管理職になって現場から離れる。特定分野で数十年も経験を積んだ専門記者が取材現場にめったにいない。
記者として成功すると、経営幹部に抜擢される。経営者が記者の最終目標であるならば、記者としての専門性よりも車内事情にどれだけ詳しいか、といった要素のほうが重要になる。
逆に言えば、発表報道中心なら専門記者は不要だ。プレスリリースを読みやすく加工できればいい。「誰が、何を、いつ、どこで、なぜ、どのように」を詰め込む逆三角形のスタイルを覚えればいい。ここでは独自性を発揮する余地はそんなにない。政府・東電の説明どおりに書いていればそれですむ。専門的視点から反論する必要はないし、反論したくても反論する能力がない。
米国の新聞は違う。
<例1>ウィリアム・ブロード記者(ニューヨーク・タイムズ)は、30年以上も科学記者を続け、多数の著作を発表していながら、なお第一線で活躍している。原発問題、環境問題にも詳しく、広範なネットワークを築いているから、政府・東電の発表のどこがおかしいかも鋭く指摘していた。書く記事も、深く掘り下げたニュース解説で、非常に長い。
対照的に、日本の新聞記事は発表をコンパクトにまとめて、正確にわかりやすく伝えているが、その発表が何を意味するか、踏み込んで書いていない。
<例2>ジュディス・ミラー記者(ニューヨーク・タイムズ)は、ピュリッツアー賞受賞歴もあるベテラン記者だ。イラク戦争前、大量破壊兵器がある、と匂わせる記事を何度も書いた。ブッシュ大統領やチェイニー副大統領、ライス国務長官が「大量破壊兵器はある」とイラク戦争を正当化したが、その根拠にしたのがミラーの記事だった。ところが、ミラー記者のネタ元は、ブッシュ政権高官なのであった。まさにマッチポンプだ。ミラーは、「御用記者」のレッテルを貼られ、新聞界から追放された。同業他社から徹底的に批判された。ニューヨーク・タイムズも長い検証記事を掲載し、過去の大量破壊兵器がらみの記事の問題点を洗い出した。多くはミラーの記事だった。
【注1】夜討ち、朝駆けは体力がないと続かない仕事だ。逆に言えば、頭はいらない。そのほうが権力にとって都合がよい。頭でっかちの記者だと、「その情報はほんとうか?」と考える。権力側にしてみれば、そんな記者を相手にしていると、言ったことが思ったとおりに伝わらない。記者は権力と一体化しているのだ。だから、総理発言の背景に何があるのか、深く考察しなくなっている。
【注2】報道において、容疑者以外は匿名だ。捜査当局は匿名だから、間違っていることが明らかになっても責任を負わない。権力側にある裁判官についても、ほとんど報道されない。報道されても名前だけだから、匿名と変わらない。検事も同様。権力側に気に入ってもらわなければ情報をリークしてもらえなくなるから、権力側を匿名にしておくことで恩を売っておく・・・・こんな論理がマスコミ側にはある。権力迎合型報道だ。そして、最も匿名性の中で生きているのは、メディアだ。無署名記事は、馴れ合いを生む土壌になっている。
以上、インタビュイー:牧野洋(ジャーナリスト/翻訳家)/インタビュアー:渋谷陽一「なぜ日本のメディアは「報道の責任」を問われないのか」(「SIGHT」2012年SPRING)に拠る。
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