いま政治家たちは、国会で政治ごっこをやっています。この国に、「政治」はあるんでしょうか。私は、ないと思っています。どの党が出てくるにしても、言葉だけは厳しく相手を非難する。けれども、この大地震、大津波、それから原発事故という三重苦、かつてないほどの国難--この言葉は嫌いですけど--の非常な危機に直面しているときに、相手を攻撃するためにしか言葉をもたない、この政治の貧しさ。私はこのときに初めて、ものを言うのは、力があるのは市民だ、と考えることにしました。つまり、私たちです。
あの政治家たちは、たとえば、内閣不信任案に賛成するにしても反対するにしても、原発をどうするかという問題をきれいに回避しています。
この避難生活というものは、たとえば何年何月までと時間が区切られていれば、「あと何日」と勘定しながら耐えることができると思いますけれども、いま避難所で暮らしている人たちに、その年限がありますか。いつになったら自分の住んでいた元の場所へ帰って行くことができるか。それはない。原発事故で汚染されてしまって、雨になって降ったり、塵になって飛んでいった放射性物質は、全部大地に降りていくわけです。そこは、もしかしたら、チェルノブイリが25年経ったいまも人が住んではならないことになっている、そういう死の町と同じようなことになるかもしれないわけです。
その場合には、ちゃんと国が税金を使って、元の村や町をどこかに再建する。日本列島は狭いから場所が問題かもしれないけれども、それにしてもよく考えて、被害を受けていないところに新しい町づくり、村おこしをして、そこで働いて正当な賃金を得ることで生きていけるようにする。それをやるのが、私は文化国家というものの姿だと思います。
私が政治は駄目だなと思っているのは、何もそういう具体的なことがなくて、行き当たりばったりなことばかりするということです。
過去に原発というものがつくられた初期のころに、やはり、水があふれたりしてしょっちゅう事故がありました。全国の原発でいろいろな事故が起きているのを隠していることがありますれども、最初のころの事故の話を聞いたら、あふれた水--もちろん放射能を浴びた水--をホウキとチリトリで片づけたというんですよ。信じられないでしょう? でも。何十年か前にはそういうときがあったんです。
技術は進んできたかもしれないけれども、日本人は、というか人間はまだ、核が暴走したときにそれをコントロールして押しとどめるだけの技術や手段を持っていないということが、今度、はっきりわかったと思います。そんな危ないものが、もうずいぶん日本中にあります。景色のいいところだなぁと思うと原発があるというのは、過疎の、いわば貧しいところを狙って原発をつくってきたからです。そして、それを受け入れなければならなかった人々は、やはりつらかったと思いますね。
亡くなった小田実さんは、「ひとりでもやる。ひとりでもやめる」と言いました。彼は、そのとおりそれを実行し、(中略)
私は、そのひそみに倣うわけではないですけれども、「ひとりから始める」--。それ以外にないと思います。組織があって、「こうやろうぜ」と言ってやるのではないんです。一人ひとりが、自分で考えて、腹を立てたり、悲しんだりしながらでも、「私はこういうふうな政治がほしい」「こういう生活がほしい」と、自分のためだけではなくて、あの人のために、あの家族のためにと考えて、まずひとりがちゃんと考えるかたちができないと、弱いと思うんです。
でも、そういうふうに自立したひとりが増えていけば、その人たちのネットワークがどこかでできていきます。
これは一つのサジェスチョン(示唆)ですけれども、井上ひさしさんの、子ども向けにまとめられた『「けんぼう」のおはなし』(講談社)という絵本があります。私はそれを読んでいて、「あっ!」と思ったことがあるんです。そこを読みます。
「国会議員も大臣も、私たち国民が税金でやとっています」。これ、いい言葉じゃないですか(笑)。国会のことを見るとき、怒るときに、「私たちが税金で雇っている。あなたたちは雇われているのに、何をしているのか」と思えばいいんですよね。
こういうことを言うと、「共産主義」と言われそうだけれども、主義は何でもいいんです。ともかく、貧富の格差が大きいことは幸せなことではない。子どもたちに差別があることも、幸せなことではない。完全な平等はないかもしれないけれども、9条を守り、人権とか生活権というものをしっかり守ることで、一つになっていくことが重要なんです。
沖縄密約の外交文書の公表を求める裁判で、国が被告で、第一審は私たち原告25人が勝ったんですけれども、国が控訴して、いま第二審をやっています(二審敗訴、現在最高裁へ上告手続き中)。その資料を見て驚いたんですが、日本の外務省にあたるアメリカの国務省の高官が、こういうことを言っています。「いま、ベトナムで追い出され、そしてまたこの沖縄から追い出されるなどということは、絶対に認めることはできない。領地--彼らは沖縄を戦利品だと思っているわけです--が、平和裏に返っていくというようなことは、人類の歴史上ないことだ」という言葉です。
だから、日本とアメリカのいまの条約関係を変えない限り、沖縄の基地は永久になくなりません。そして本土の基地もなくなりません。でも、冷戦などはとっくに終わったことですし、変えるためのあたらしい話し合いをしていくべきだと思います。
私は、15、6歳にかけての難民生活でしたけれど、40歳ぐらいの感性で生きていました。生きているとは言えないような状態で生きていました。私はそのときに、「ああ、国というのは何もしないものだ」と思ったんです。私の戦後は、たぶんそこから始まりました。
□鶴見俊輔/澤地久枝/奥平康弘/大江健三郎『原発への非服従 ~私たちが決意したこと~』(岩波ブックレット、2011)のうち澤地久枝「ひとりから始める」から抜粋引用した。
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あの政治家たちは、たとえば、内閣不信任案に賛成するにしても反対するにしても、原発をどうするかという問題をきれいに回避しています。
この避難生活というものは、たとえば何年何月までと時間が区切られていれば、「あと何日」と勘定しながら耐えることができると思いますけれども、いま避難所で暮らしている人たちに、その年限がありますか。いつになったら自分の住んでいた元の場所へ帰って行くことができるか。それはない。原発事故で汚染されてしまって、雨になって降ったり、塵になって飛んでいった放射性物質は、全部大地に降りていくわけです。そこは、もしかしたら、チェルノブイリが25年経ったいまも人が住んではならないことになっている、そういう死の町と同じようなことになるかもしれないわけです。
その場合には、ちゃんと国が税金を使って、元の村や町をどこかに再建する。日本列島は狭いから場所が問題かもしれないけれども、それにしてもよく考えて、被害を受けていないところに新しい町づくり、村おこしをして、そこで働いて正当な賃金を得ることで生きていけるようにする。それをやるのが、私は文化国家というものの姿だと思います。
私が政治は駄目だなと思っているのは、何もそういう具体的なことがなくて、行き当たりばったりなことばかりするということです。
過去に原発というものがつくられた初期のころに、やはり、水があふれたりしてしょっちゅう事故がありました。全国の原発でいろいろな事故が起きているのを隠していることがありますれども、最初のころの事故の話を聞いたら、あふれた水--もちろん放射能を浴びた水--をホウキとチリトリで片づけたというんですよ。信じられないでしょう? でも。何十年か前にはそういうときがあったんです。
技術は進んできたかもしれないけれども、日本人は、というか人間はまだ、核が暴走したときにそれをコントロールして押しとどめるだけの技術や手段を持っていないということが、今度、はっきりわかったと思います。そんな危ないものが、もうずいぶん日本中にあります。景色のいいところだなぁと思うと原発があるというのは、過疎の、いわば貧しいところを狙って原発をつくってきたからです。そして、それを受け入れなければならなかった人々は、やはりつらかったと思いますね。
亡くなった小田実さんは、「ひとりでもやる。ひとりでもやめる」と言いました。彼は、そのとおりそれを実行し、(中略)
私は、そのひそみに倣うわけではないですけれども、「ひとりから始める」--。それ以外にないと思います。組織があって、「こうやろうぜ」と言ってやるのではないんです。一人ひとりが、自分で考えて、腹を立てたり、悲しんだりしながらでも、「私はこういうふうな政治がほしい」「こういう生活がほしい」と、自分のためだけではなくて、あの人のために、あの家族のためにと考えて、まずひとりがちゃんと考えるかたちができないと、弱いと思うんです。
でも、そういうふうに自立したひとりが増えていけば、その人たちのネットワークがどこかでできていきます。
これは一つのサジェスチョン(示唆)ですけれども、井上ひさしさんの、子ども向けにまとめられた『「けんぼう」のおはなし』(講談社)という絵本があります。私はそれを読んでいて、「あっ!」と思ったことがあるんです。そこを読みます。
「国会議員も大臣も、私たち国民が税金でやとっています」。これ、いい言葉じゃないですか(笑)。国会のことを見るとき、怒るときに、「私たちが税金で雇っている。あなたたちは雇われているのに、何をしているのか」と思えばいいんですよね。
こういうことを言うと、「共産主義」と言われそうだけれども、主義は何でもいいんです。ともかく、貧富の格差が大きいことは幸せなことではない。子どもたちに差別があることも、幸せなことではない。完全な平等はないかもしれないけれども、9条を守り、人権とか生活権というものをしっかり守ることで、一つになっていくことが重要なんです。
沖縄密約の外交文書の公表を求める裁判で、国が被告で、第一審は私たち原告25人が勝ったんですけれども、国が控訴して、いま第二審をやっています(二審敗訴、現在最高裁へ上告手続き中)。その資料を見て驚いたんですが、日本の外務省にあたるアメリカの国務省の高官が、こういうことを言っています。「いま、ベトナムで追い出され、そしてまたこの沖縄から追い出されるなどということは、絶対に認めることはできない。領地--彼らは沖縄を戦利品だと思っているわけです--が、平和裏に返っていくというようなことは、人類の歴史上ないことだ」という言葉です。
だから、日本とアメリカのいまの条約関係を変えない限り、沖縄の基地は永久になくなりません。そして本土の基地もなくなりません。でも、冷戦などはとっくに終わったことですし、変えるためのあたらしい話し合いをしていくべきだと思います。
私は、15、6歳にかけての難民生活でしたけれど、40歳ぐらいの感性で生きていました。生きているとは言えないような状態で生きていました。私はそのときに、「ああ、国というのは何もしないものだ」と思ったんです。私の戦後は、たぶんそこから始まりました。
□鶴見俊輔/澤地久枝/奥平康弘/大江健三郎『原発への非服従 ~私たちが決意したこと~』(岩波ブックレット、2011)のうち澤地久枝「ひとりから始める」から抜粋引用した。
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