語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【原発】なし崩しの原発再稼働に抗えないメディア ~監視するアーカイブ~

2012年04月14日 | 震災・原発事故
(1)低線量被曝の時代へ
 <メディアにとり上げられないかぎり、存在しないことにされてしまう。逆に、ありあまる映像と情報が何かを隠してしまう。そういうメディア状況に私たちは生きている。>
 今年3月11日、テレビ画面から、被災地の映像が洪水のように茶の間に溢れ出た。そのほとんどが被災地への「同情」と「励まし」の言葉に彩られ、それ以外のものを見ることは稀だった。
 この1年を通して、メディアが隠したのは、首都圏の後背地にされた東北の現実と、自らも被曝地帯に組み込まれた首都圏の姿だ。

(2)ニュースにならないニュース
 3月11日、民衆の代表機関たる国会議事堂を「人間の鎖」が取り囲んだ。両手を広げる場面はなかったから、それだけ多数が集まったわけだ。テレビ好みのスペクタクルが展開されたにも拘わらず、その夜のニュース映像では、わずかNHKの43秒が確認できただけだ。60年安保以上に歴史的な意味を持つ原発事故と放射能汚染を引き起こしながら、原発再稼働を“なし崩し”に進めようとする政府に対する抗議が、なぜかくも軽く扱われるのか。
 この集まりには、将来の子どもたちが生きるに値する世界を残したい、という大人たちの切なる思いが込められていた。マスメディアは、これを倫理的行動としてあえてニュースに取り上げようとする知恵も勇気もなかったことになる。
 「絆」という言葉にあれほど反応したメディアが、なぜ「鎖」という言葉には鈍感なのか。

(3)子どもたちは告発する
 「ふくしま子ども集団疎開裁判」の原告たる子どもたちは、空間被曝線量の積算が年間7~22mSvに達する状態で暮らしている。この裁判は、昨年6月24日に福島地裁郡山支部に仮処分申請が提出されてから12月16日に原告の主張が却下されるまで、一度もマスメディアで報道されなかった【注1】。これらをわずかに知りうるのは、市民メディア(YouTube や Ustream)を介してだ。
 メディアの無関心に対抗して、原告弁護団は2月26日、東京日比谷で、「世界市民法廷」を開催した。評決を下す陪審員は、会場の観客だった。議論の中心は、長期低線量被曝の時代に子どもたちの健康をどう守るか、という市民的な課題だった。郡山の子どもたちが通う学校周辺では、年間5mSv(チェルノブイリ原発事故の強制移住区域と同じ線量)が計測される。
 危険を未然に防ごうとする働きかけに一向に耳を傾けない公権力は、基本的人権と子どもの権利に対する侵犯者=憲法違反者ではないか。大人たちがあとう限りの倫理を発揮すべき場面ではないか。メディアはその仲介のためにこそ存在するのではないか。

(4)それでも再稼働か
 NHKの「追跡! 真相ファイル 低線量被ばく 揺らぐ国際基準」(2011年12月28日放送)【注2】が原発推進派から批判を受けている。
 推進派の批判に対して、反対に、市民の側から多数の抗議が送られている、という。
 郡山の裁判でも、原告側が主催した世界市民法廷でも、年間の空中被曝線量が100mSv以下では症例が報告されていないので癌発生との因果関係は考えられない、という山下俊一・福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの意見について、論議が集中した。
 当の山下は、「通販生活」2012年春号のインタビューで、これまでの論調を少し変え、100mSv以下の被曝防護原則たる「閾値なし直線モデル」という考え方を支持している、と述べた。直線モデルを認めるならば、放射線被曝線量をできるだけ抑えるという結論にならざるをえない。
 山下は続けていう。「低線量被曝が持続する状況下で住民の健康を守っていくためには、長期的で定期的な健康診断をやり続けるしかない」。
 この発言はズレている。被曝線量軽減のために危険な場所からの避難を呼びかけるべきなのに、福島県民の健康管理調査の充実を提唱している。「データ収集」が頭の中を占めているとしか思えない。<この人物の言葉の迷走はいつも除染派や再稼働派に利用されてきた。>

(5)アーカイブは記憶を保存する
 NHKは、(4)の番組も含め、「脱原発」とみられる多くの放送を世に送ってきた。例えば、2006年にNHKスペシャル「汚染された大地で チェルノブイリ20年後の真実」。小児甲状癌・・・・事故5年後の急増、10年後の100倍増(ピーク)。低レベル放射線地帯に20年近く在住の大人・・・・甲状腺癌や白血病の急増。国家予算の20%を除染に費やしたベラルーシでは、ルカシェンコ大統領が農民を帰還させるための新しい住宅を準備して、「事故を忘れることはいいことです。代わりに私たちが覚えておきますから」。
 <なんという言い草だろう。どこの国にも権力のために、民衆の命を平気で売り飛ばす薄情な政治家はいるものだ。>
 NHKは、この放送を「公開アーカイブス」として誰でも視聴できるようにしている。
 <それからわずか6年後、「脱原発依存」を初めて語った首相の次の首相は、脱原発のひと言も口にせず、ただ再稼働に向けて動いている。これは“なし崩し”という日本のお家芸の極みである。アーカイブはそうした“騙し”を監視する役割を持つ。>
 <アーカイブは、それを保持する者の現在と未来を縛る。事実は確かに語られたのであって、なかったことにはできないのである。>

 【注1】「【震災】原発>メディアで異変、脱原発世界会議、ふくしま集団疎開裁判
 【注2】「【震災】原発>原子力ムラ、NHKを攻撃 ~東電OBの暗躍~

 以上、神保太郎「メディア批評第53回」(「世界」2012年5月号)の「(1)“なし崩し”の原発再稼働に抗えないメディア」に拠る。

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