語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【原発】修正・改善を強いられる東電 ~岐路に立つ原発「賠償」~

2012年04月19日 | 震災・原発事故
 3・11から1年以上経て、「復興」は進みつつある。しかし、福島原発事故の被害回復は、放射能汚染にもはばまれて、思うようにはかどらない。
 原発事故の被害者たちが集まり、納得のいく補償を求めて東京電力と交渉したり、政府や議会に働きかける動きが強まっている。

(1)原発事故が「引き裂く」地域
 福島原発事故は、未曾有の環境被害をもたらした。足尾銅山鉱毒事件などの例と比べ、影響が同時的で広範囲に及ぶ。いくつもの町村が全住民と役場機能の移転を強いられ、自治体としての存亡の危機に立たされている。福島県の避難者数は16万人に及ぶ。
 避難対象区域の地域社会が受けた被害は、非常に深刻だ。地域が「引き裂かれる」背後に、本質的な被害構造・・・・原発事故によって地域を構成する諸要素が分断・解体され、住民がそれらの諸要素の間で理不尽な選択を迫られている点に地域社会が受けた被害の核心がある。
 地域経済学的「地域」は、一定の範域に「自然環境、経済、文化(社会・政治)」という複数の要素が一体のものとして存在することで、人々の生産・生活の場として機能する(「諸要素の束」)。原発事故によって、地域を構成する要素がバラバラに解体され、避難住民は、そのうちどれを重視して移住先を定めるか、選択を迫られた。役場移転先の近傍か、より安全な「環境」か、雇用機会か。原発事故は、住民たちに、本来ありえなかった「究極の選択」を強いている。その結果、「家族離散」が珍しくない。先行きの不透明さが、地域の崩壊をさらに深刻化させている。
 避難対象区域等の外側では、地域経済が一気に失われたわけではないし、自治体行政などの機能もそのままだが、だからこそ増幅される被害もある。「母子避難」となるケースが極めて多い。「経済」と「環境」の間で、家族が引き裂かれてしまうだの。

(2)加害者が補償範囲を決める異常
 「原子力損害の賠償に関する法律」は、補償対象となる被害の範囲を特には定めていない。これに関して「一般的な指針」を作るのが原子力損害賠償紛争審査会(紛争審)だ。
 紛争審の指針は、裁判等をせずとも補償されることが明らかな被害を列挙したもので、補償範囲としては最低限の目安にすぎない。にも拘わらず、加害者たる東電は、これを補償の「天井」であるかのように扱う。しかも、指針に書かれていない基準を勝手に決めて補償範囲を限定しようとしたり、指針に明示された被害の補償を先送りしようとした(→一部撤回)。
 東電は、昨年8月30日、独自の「補償基準」を示し、「本補償」の手続きを始めた。ここで問題なのは、東電が補償の基準を示し、請求内容の査定まで行っていることだ。<戦後日本の公害問題の経験に照らせば、「異常事態ともいえる。>
 加害者が補償の範囲や額を提示するのは、水俣病事件の「見舞金契約」を思わせる。大企業と被害者との圧倒的な力の差を背景に、患者たちの無知と貧困につけこんで、極端に定額の見舞金の代わりに損害賠償請求権を放棄させた「見舞金契約」は、熊本地裁判決(1973年)で公序良俗違反であり無効とされた。

(3)被害者の「手足」を縛る東電の請求書類
 東電は、「補償基準」の公表後、6万世帯に「本補償」の請求書類を送付した。だが、書類が膨大かつ煩雑、また、記入欄が東電の基準に従っているため、それ異議の被害について書き込むことが難しい。書類自体が、請求の範囲や額を限定するようになっているのだ。
 しかも、請求後に送付される「合意書」に、補償を受け取って以降は「一切の異議・追加の請求を申し立てることはありません」の一文があった。これも「見舞金契約」とよく似ている。
 これらの点に各紙社説等で批判が集中し、東電は問題の一文を撤回するなど改善策を示さざるを得なくなった。
 また、団体交渉を通じて、独自の請求書類により補償を認めさせる例も出てきている(農民運動全国連合会など)。
 そもそも、東電の「補償基準」の中身には、重大な問題があった。中間指針で補償対象と認められている項目や対象者が除かれたり、制限されたりしていた。<例>土地・家屋等への財産被害への対応が先送り。
 さらに、事業者向けの基準(9月21日発表)は、観光業の「風評被害」に関し、被害に対する地震・津波の寄与割合を2割として、それだけ補償額を減額する、とした。これは、強い反発によって、東電は6月以降分については減額を撤回せざるを得なくなった。
 このように、被害者らの運動や世論の批判を受け、しだいに東電の思うようには物事が進まなくなっている。

(4)紛争審を動かした被害者らの運動
 被害者らの批判の矛先は、紛争審にも向けられた。紛争審の中間指針は、避難対象区域等の外側については、農林水産物の出荷制限や風評被害を除いて、住民への補償にはほとんど触れていない。ために、「自主避難」をどう扱うかが最大の問題になった。
 事故直後、放射能汚染の危機が急迫していた時期に住民が「自主避難」したのは相当な理由があった。では、一定期間経過後、汚染の状況が明らかになった段階ではどうか。
 日本弁護士連合会は、年間被曝量が少なくとも5.2mSv超の地域に住む子どもや妊産婦の避難には合理的理由がある、とし、電離放射線障害防止規則による管理区域の定めを援用する。そもそも通常時の一般市民の年間被曝量が1mSvで規制されているのだから、これを超える場合には個別の状況に応じて避難の合理性が認められる、と。
 避難対象区域等の外の住民が自らの被害について声をあげ始め、10月20日、紛争審は12月6日、この問題に関する中間指針の追補を決定した。これにより、避難対象区域等の周辺23市町村の住民が、新たに補償の対象になった(18歳以下の子どもと妊婦が一人あたり40万円、その他が8万円)。
 この追補は、いくつかの問題を残した。(a)避難の有無に拘わらず、区域内の住民を一律に補償対象とした。「自主避難」に特段の合理性を認めない、ということだ。(b)金額や区域設定についても検討の余地がある。「自主避難者の多くの場合、対本の金額では実際の避難費用に届かない。(c)福島に留まった人からしても妥当な額か、疑問だ。
 以上のような問題はあるものの、被害者らの運動が紛争審の議論に「風穴」をあけた意義は大きい。
 東電は、指針の水準に加えて「自主的」に上乗せする例も部分的にみられるようになった。

 以上、除本理史(大阪市立大学准教授)「岐路に立つ原発「賠償」」(「世界」2012年5月号)に拠る。
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