語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【原発】継続的な被害調査の必要性 ~岐路に立つ原発「賠償」(2)~

2012年04月20日 | 震災・原発事故
(5)和解を遅らせる東電の消極姿勢
 若干の修正・改善はあるものの、やはり紛争審の指針を補償上限とするのが、東電の基本姿勢だ。だから、被害が指針の範囲に収まらない場合、きちんと補償されない可能性が残る(依然として大きな問題)。
 (4)の「自主避難」のように指針を広げさせるのも一つの手だが、あくまで「一般的な指針」であるため、個別事情に応じた判断は指針の守備範囲を超える。この場合、被害者が各自の状況にもとづいて東電に補償請求しなければならない。これはいささか困難だし、訴訟には費用と時間がかかる。
 そこで昨年9月、紛争審のもとに、「原子力損害賠償センター」が開設された。事務局は東京と郡山に置かれ、弁護士が和解の仲介業務を行う。解決までに要する期間の目安は3ヵ月程度とされた。
 が、開設以降半年間で1,000件の申し立てに対し、和解成立は10件に満たない。紛争審の指針を超えて和解案が踏みこむと、東電が回答を先送りするからだ。
 東電は、国からの資金援助を受けるにあたり、迅速な解決のため和解案を「尊重する」ことを約束している。東電の消極姿勢の転換が求められる。

(6)新法による東電救済の開始
 補償の財源をどこから持ってくるか。原子力損害の賠償に関する法律によれば、原子力事業者は損害賠償措置をとり、事故被害がその担保する額を超えた場合、国が事業者に対して必要な「援助」を行う。損害賠償措置で担保される額は、福島第二原発を含めても2,400億円までだ。今回の事故による賠償額は6兆円程度と言われ、損害賠償措置ではまったくカバーできない。そもそも、原培法がこのような事態をあくまで例外的にしか想定していなかったことに重大な欠陥がある。
 しかしともかく、国の「援助」措置が発動されることになった。このために新法が作られた。「原子力損害賠償支援機構法」だ。これにより、原子力損害賠償支援機構が設立された。これで、大手金融機関など東電の株主、債権者は、まったくの無傷ではないにせよ、守られることになった。

(7)東電「国有化」から電力改革へ
 現在、機構が東電に対して行っている援助は、返済義務のない資金交付だ(今年2月までに計1兆6,000億円)。しかし、支援機構法は、この資金の使途を被害補償に限定している。東電は、これ以外にも、事故処理、廃炉、除染等のため巨額の費用をまかなわなければならない。機構の交付する資金はそれには使えない。そこで、東電への資金注入(株式の引受)が浮上してきた。
 もう一つ、東電の経営を危うくする要因がある。東電がもつ原発は現在すべて停止しているが、これら動かせない原発は「不良資産」であり、建設時に借りた資金の返済や維持コストが容赦なくのしかかる。このままでは東電の債務超過は避けられない。電力会社などが、原発再稼働と電気料金値上げへと走るのは、このためだ。東電は、機構が被害補償の原資を交付してくれれば、原発再稼働と電気料金値上げで資金繰りを確保できると考えているようだ。
 柏崎刈羽原発が再稼働できないとすれば、東電は「債務超過」、「実質国有化」へといっそう傾くことになる。
 東電の「自力更生」も「実質国有化」も、電気料金か税金かという違いはあれ、結局国民負担を増大させるだけだ・・・・と思われるかもしれないが、両者の意味はまったく違う。前者は東電を温存させるだけだが、後者は「政治」の意思如何で、電力改革の可能性を広げることができるからだ。
 そのためには、国は腹を括らなければならない。国がこれまで原発を推進し、安全対策を怠ってきたのは明らかだ。国も今回の事故被害に対する責任は免れない。かかる責任が、東電に対する公的資金投入の根拠となるべきだし、過去の反省こそ政策転換の出発点に置かれなくてはならない。

(8)補償問題の「岐路」-継続的な被害調査を
 東電や政府は、最初から事故や被害を小さく見せようとしてきた。その最たるものが、政府の「事故収束」宣言だ。水俣病事件初期のように、原因究明が進むと、専門家も動員して加害者側から大規模な反論が展開され、事実が覆い隠されてしまう(宇井純のいわゆる「中和」)。事故「風化」のおそれも杞憂ではない。
 他方、被害者らの運動や世論の批判が、東電や紛争審を動かしてきたことも事実だ。東電は、当初、紛争審の指針の水準ですら補償を渋っていたが、姿勢の変更を迫られ、さらには上乗せ補償まで部分的にせざるを得なくなっている。
 被害の「忘却」か補償の「前身」か。事故後1年の状況は、まさにこの岐路だ。
 今後、避難対象区域の再編が予定されているが、あいかわらず年間20mSvが居住の基準とされている。住民の居住を認めたとしても、経済的条件やライフライン復旧の面から、帰還がスムースに進むか、不明だ。
 区域を縮小し、元の土地に戻るかは自己責任で判断せよ、というのでは、避難住民の放り出しにすぎない。「自主避難」の形を変えた再生産だ。
 被害がなくなるわけではない。ありようが変化するだけだ。被害者の生活再建を確実なものとするためにも、常に被害の実態に立ち戻らねばならない。継続的な調査が必要だ。

 以上、除本理史(大阪市立大学准教授)「岐路に立つ原発「賠償」」(「世界」2012年5月号)に拠る。
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