(1)目次
(a)はじめに(佐藤優)
(b)この本を手にとってくれた中・高校生のみなさんへ(佐藤優)
(c)第Ⅰ部 対談「子どもの教養の育て方」
第1章 「頭のいい子」はどう育つ? ~子どもを本好きにさせるには
第2章 「勉強のできる子」はどう育つ? ~受験を賢く乗り切るには
第3章 「やさしい子」「しっかりした子」はどう育つ? ~社会で生き抜く力を育てるには
(d)第Ⅱ部 「八日目の蝉」で家族と子育てを語る
第4章 佐藤優、「八日目の蝉」で親子問題を語る
第5章 座談会「佐藤優×井戸まさえ×4人の女性たち」
(e)おわりに(井戸まさえ)
(f)【特別付録①】本書に登場する書籍リスト
(g)【特別付録②】佐藤さん、井戸さん教えてください! ・・・・子育てにまつわる50の相談
(2)さわり
【注】以下は、特に断らないかぎり、佐藤優の発言要旨。
(a)はじめに
政治に国民の関心が集中すると、経済活動、文化活動が衰退し、社会が閉塞する。日本国家も弱体化する。この負のスパイラルを抜本的に改善するためには、「未来のエリート」の強化に取り組まなければならない。
今の日本には3つのエリートがいる。
①旧来のエリート・・・・古いシステムを動かすノウハウを持っている。公共事業による富の再分配、中央官庁による行政指導による調整。しかしその手法は21世紀には通用しない。
②偶然のエリート・・・・政治、社会の混乱期に、急速なキャリア上昇を行った人々。「小沢ガールズ」etc.。破壊力はあるが、複雑な旧来型国家メカニズムを動かす能力もなければ、未来の日本の社会像、国家観を描く力もない。悪いことに、競争が好きだから、パフォーマンスを重視し、ライバルの足を引っ張ることにエネルギーのほとんどを費やしている。
③未来のエリート・・・・停滞状況を抜本的に変化させるために創り出すべき存在。
(c-1)第1章【読書・読む力】・・・・高校生になると、読書能力という点では実はもう大人と変わらない。あとは、どういうものを読ませていくか、という方向性が問題になる。
高校生と大人が違うのは、学力からすると英語力と数学力くらい。あとは判断力と総合力。高校生に本をすすめるときは、判断力、総合力で大人と違うということを考えたうえで、あまり特定の見解、極端な見解を押しつけるものはよくない。それで刷り込みができてしまうから。バランスを考えて読書しなければならない。そのあたり、大人が丁寧なナビゲーションを考えなくてはならない。
(c-2)第1章【読書・読む力】・・・・図鑑でも読む訓練になる。ここで重要なのは編集者だ。プロの手が加わった、編集者の手が加わった文章を読む訓練をすることが大切だ。
編集者はジャッジメントの機能を持つ。基本的に編集者は保守的だ。だから、編集者の手がくっわったものに私的言語は成立しない。言語は公共圏のものだ、という暗黙のルールがあるから。インターネットのブログをいくら読んでも、日本語力は向上しない。
(c-3)第1章【話す力】<井戸まさえ>・・・・「話す力」は語彙力と直結する。政治家はある意味「話すプロ」だが、スローガンだけ重ねていっても人は振り向いてくれない。そこはいかに「リアリティ」を持たせるか、相手との「共有体験」を引き出すことができるか、そういうことが大事だ。
それと「ユーモア」。話す場合は、どこかで「笑い」という間がないといけない。その「ユーモア」を適切なときに、的確なボリュームで効果的に使えるかどうかは、大変高度な「教養」が必要とされる。
(c-4)第2章【大学受験】・・・・文学部で学んだことは、どういうところで役立つか? 未知の問題に遭遇したとき役立つ。<例1>民間の企業に行くとしたら、会社の業績が危ないんじゃないか。<例2>公務員だったら、官製談合を慣習でやっているのはまずいんじゃないか。・・・・そういうとき、どう判断するか。
それには教養とか、歴史的先例といった感覚が必要だ。大きな意味での論理の力と言ってもいい。
実学として役立たない勉強をいかにさせるか。換言すると、教養を身につけるということだ。それが将来のエリートになるためには非常に重要だ。
(d-1)第4章・・・・子育ては親子の問題だが、社会の関係性や構造といったところまで広がりを持っている。むろん親子の問題に還元する傾向が強いが、じつは親も社会の中でいろいろなしがらみの中で生きている。社会とものすごく関係している。
(d-2)第4章・・・・野々宮希和子は、刑務所から出所したとき、夢も希望もない。お金もない。何一つもってない。そういう状況で、あてもなく歩き、ふと駅前の食堂に入る。そこで一杯のラーメンを心からおいしいと思う。そのところからエネルギーが出てきて、まだ生きていけるような気がしてくる。
誰か強い男が出てきて助けてくれる、といったような、誰かに助けてもらうのではなく、自分の中から変わっていく力が出てこないと、結局変わっていかない。自分が自分を助ける。こういうメッセージがある。
お遍路は、自分の外側からの働きかけによって、自らにある内側の力が発現することで、変容していく。これを哲学の言葉では「生成」という。
(d-3)第5章<今中明子>・・・・(d-2)の「自分の中から変わっていく力」がポイントではないか。どんな状況に置かれても、自分の軸がしっかり形成されていれば、そこから生きていく力が生まれる。あとは「外から促す力」で、いろいろな人との人間関係の中で自分を伸ばしていけるのではないか。
(d-4)第5章・・・・今の社会を建て直していくとか、自分自身の人生をやり直せるかどうかは、信頼が確立できるかどうかによって決まる。一回崩れてしまった信頼は、同じ人との間では取り戻せないかもしれないけれども、別の人との間で信頼をちゃんと確立することができるかどうか、ということだ。
そして、その信頼関係は、一回確立すると、伝染していく。人がいろいろいな場で生き残るときのポイントが、信頼のメカニズムだ。
ただ、それが外に対して開かれていないと、今度はカルト的になる。
(d-5)第5章・・・・教育の最終的なところは、社会人の教育でも、子どもの教育でも、結局は「信頼醸成」に尽きる。どうやって信頼される人間になるか、あるいは人間を信頼できる人間になるか、というのは、どうやって騙されない人間になるか、ということと「裏と表」だ。信頼について勉強する、信頼関係を構築できる、ということは、だまされない、人をだまさない、ということと合わさっている。
すると、血がつながっているか、つながってないか、ということは、実は二次的な問題だ。
(d-6)第5章・・・・インテリになるため、教養をつけるためには、二つの道がある。
第一、学術。論理によって自分の置かれている社会的な位置を知って、言語化していく。
第二、小説によって、自分の社会的に置かれている位置を感情で追体験する。
(g)Q11【ホームステイの経験でよかったこと】<井戸まさえ>・・・・人生は、自分で自分を楽しませる方法、チャンネルをいくつ持てるかで決まる。それが本であり、映画、音楽、友人関係、家族であったりする。そのときに、「自分自身で楽しむ」というのは価値観を変える言葉だった。
(3)所見
子育ては、家庭の機能であると同時に、社会の機能である。子どもを持たない佐藤優は、作家として発言することで、佐藤なりに社会の機能を果たしている。本書もその一つ。
佐藤は、本文でも語るように、次世代への「知の継承」についていつも考えている。それが、子ども向けの本もよく読んでいる理由だ。
□佐藤優/井戸まさえ『子どもの教養の育て方』(東洋経済新報社、2012.12)
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(a)はじめに(佐藤優)
(b)この本を手にとってくれた中・高校生のみなさんへ(佐藤優)
(c)第Ⅰ部 対談「子どもの教養の育て方」
第1章 「頭のいい子」はどう育つ? ~子どもを本好きにさせるには
第2章 「勉強のできる子」はどう育つ? ~受験を賢く乗り切るには
第3章 「やさしい子」「しっかりした子」はどう育つ? ~社会で生き抜く力を育てるには
(d)第Ⅱ部 「八日目の蝉」で家族と子育てを語る
第4章 佐藤優、「八日目の蝉」で親子問題を語る
第5章 座談会「佐藤優×井戸まさえ×4人の女性たち」
(e)おわりに(井戸まさえ)
(f)【特別付録①】本書に登場する書籍リスト
(g)【特別付録②】佐藤さん、井戸さん教えてください! ・・・・子育てにまつわる50の相談
(2)さわり
【注】以下は、特に断らないかぎり、佐藤優の発言要旨。
(a)はじめに
政治に国民の関心が集中すると、経済活動、文化活動が衰退し、社会が閉塞する。日本国家も弱体化する。この負のスパイラルを抜本的に改善するためには、「未来のエリート」の強化に取り組まなければならない。
今の日本には3つのエリートがいる。
①旧来のエリート・・・・古いシステムを動かすノウハウを持っている。公共事業による富の再分配、中央官庁による行政指導による調整。しかしその手法は21世紀には通用しない。
②偶然のエリート・・・・政治、社会の混乱期に、急速なキャリア上昇を行った人々。「小沢ガールズ」etc.。破壊力はあるが、複雑な旧来型国家メカニズムを動かす能力もなければ、未来の日本の社会像、国家観を描く力もない。悪いことに、競争が好きだから、パフォーマンスを重視し、ライバルの足を引っ張ることにエネルギーのほとんどを費やしている。
③未来のエリート・・・・停滞状況を抜本的に変化させるために創り出すべき存在。
(c-1)第1章【読書・読む力】・・・・高校生になると、読書能力という点では実はもう大人と変わらない。あとは、どういうものを読ませていくか、という方向性が問題になる。
高校生と大人が違うのは、学力からすると英語力と数学力くらい。あとは判断力と総合力。高校生に本をすすめるときは、判断力、総合力で大人と違うということを考えたうえで、あまり特定の見解、極端な見解を押しつけるものはよくない。それで刷り込みができてしまうから。バランスを考えて読書しなければならない。そのあたり、大人が丁寧なナビゲーションを考えなくてはならない。
(c-2)第1章【読書・読む力】・・・・図鑑でも読む訓練になる。ここで重要なのは編集者だ。プロの手が加わった、編集者の手が加わった文章を読む訓練をすることが大切だ。
編集者はジャッジメントの機能を持つ。基本的に編集者は保守的だ。だから、編集者の手がくっわったものに私的言語は成立しない。言語は公共圏のものだ、という暗黙のルールがあるから。インターネットのブログをいくら読んでも、日本語力は向上しない。
(c-3)第1章【話す力】<井戸まさえ>・・・・「話す力」は語彙力と直結する。政治家はある意味「話すプロ」だが、スローガンだけ重ねていっても人は振り向いてくれない。そこはいかに「リアリティ」を持たせるか、相手との「共有体験」を引き出すことができるか、そういうことが大事だ。
それと「ユーモア」。話す場合は、どこかで「笑い」という間がないといけない。その「ユーモア」を適切なときに、的確なボリュームで効果的に使えるかどうかは、大変高度な「教養」が必要とされる。
(c-4)第2章【大学受験】・・・・文学部で学んだことは、どういうところで役立つか? 未知の問題に遭遇したとき役立つ。<例1>民間の企業に行くとしたら、会社の業績が危ないんじゃないか。<例2>公務員だったら、官製談合を慣習でやっているのはまずいんじゃないか。・・・・そういうとき、どう判断するか。
それには教養とか、歴史的先例といった感覚が必要だ。大きな意味での論理の力と言ってもいい。
実学として役立たない勉強をいかにさせるか。換言すると、教養を身につけるということだ。それが将来のエリートになるためには非常に重要だ。
(d-1)第4章・・・・子育ては親子の問題だが、社会の関係性や構造といったところまで広がりを持っている。むろん親子の問題に還元する傾向が強いが、じつは親も社会の中でいろいろなしがらみの中で生きている。社会とものすごく関係している。
(d-2)第4章・・・・野々宮希和子は、刑務所から出所したとき、夢も希望もない。お金もない。何一つもってない。そういう状況で、あてもなく歩き、ふと駅前の食堂に入る。そこで一杯のラーメンを心からおいしいと思う。そのところからエネルギーが出てきて、まだ生きていけるような気がしてくる。
誰か強い男が出てきて助けてくれる、といったような、誰かに助けてもらうのではなく、自分の中から変わっていく力が出てこないと、結局変わっていかない。自分が自分を助ける。こういうメッセージがある。
お遍路は、自分の外側からの働きかけによって、自らにある内側の力が発現することで、変容していく。これを哲学の言葉では「生成」という。
(d-3)第5章<今中明子>・・・・(d-2)の「自分の中から変わっていく力」がポイントではないか。どんな状況に置かれても、自分の軸がしっかり形成されていれば、そこから生きていく力が生まれる。あとは「外から促す力」で、いろいろな人との人間関係の中で自分を伸ばしていけるのではないか。
(d-4)第5章・・・・今の社会を建て直していくとか、自分自身の人生をやり直せるかどうかは、信頼が確立できるかどうかによって決まる。一回崩れてしまった信頼は、同じ人との間では取り戻せないかもしれないけれども、別の人との間で信頼をちゃんと確立することができるかどうか、ということだ。
そして、その信頼関係は、一回確立すると、伝染していく。人がいろいろいな場で生き残るときのポイントが、信頼のメカニズムだ。
ただ、それが外に対して開かれていないと、今度はカルト的になる。
(d-5)第5章・・・・教育の最終的なところは、社会人の教育でも、子どもの教育でも、結局は「信頼醸成」に尽きる。どうやって信頼される人間になるか、あるいは人間を信頼できる人間になるか、というのは、どうやって騙されない人間になるか、ということと「裏と表」だ。信頼について勉強する、信頼関係を構築できる、ということは、だまされない、人をだまさない、ということと合わさっている。
すると、血がつながっているか、つながってないか、ということは、実は二次的な問題だ。
(d-6)第5章・・・・インテリになるため、教養をつけるためには、二つの道がある。
第一、学術。論理によって自分の置かれている社会的な位置を知って、言語化していく。
第二、小説によって、自分の社会的に置かれている位置を感情で追体験する。
(g)Q11【ホームステイの経験でよかったこと】<井戸まさえ>・・・・人生は、自分で自分を楽しませる方法、チャンネルをいくつ持てるかで決まる。それが本であり、映画、音楽、友人関係、家族であったりする。そのときに、「自分自身で楽しむ」というのは価値観を変える言葉だった。
(3)所見
子育ては、家庭の機能であると同時に、社会の機能である。子どもを持たない佐藤優は、作家として発言することで、佐藤なりに社会の機能を果たしている。本書もその一つ。
佐藤は、本文でも語るように、次世代への「知の継承」についていつも考えている。それが、子ども向けの本もよく読んでいる理由だ。
□佐藤優/井戸まさえ『子どもの教養の育て方』(東洋経済新報社、2012.12)
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