語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【NHK】権力と癒着し続けた歴史 ~NHK会長~

2014年01月29日 | 社会
 (1)<NHK新会長の籾井(もみい)勝人(かつと)氏は25日の就任会見で、従軍慰安婦について「戦争をしているどこの国にもあった」と述べた上で、日本に補償を求める韓国を疑問視した。従軍慰安婦問題を取り上げた過去のNHK番組に関連し、この問題に関する見解を問われ答えた。尖閣諸島・竹島など領土問題については、国際放送で「明確に日本の立場を主張するのは当然。政府が右ということを左というわけにはいかない」と話した>【注1】
 これに対し、国内の与野党のみならず、韓国の与野党からも批判が噴出した。
 <自民党の閣僚経験者は「内閣法制局長官など首相は理念が近い人ばかり重要ポストにつける。いろんな価値観の人を置かないからこういう事態になる」と批判。自民党幹部の一人も「ひどい発言。アウトだ」と語っており、今後、政権内で辞任論が拡大するかが焦点になる>【注2】

 (2)経営委員に安倍総理の「お友だち」が次々に送り込まれ、その結果、会長もまた政権の意向が強く反映された人になった。トップが替わったところで放送がいっぺんに変わるものではない・・・・が、それは一面の真実であって、正確ではない。会長が替われば、番組制作現場の気分、さまざまな会議の雰囲気は大きく変わる。

 (3)NHKは、公共放送だが、国営放送と思っている人が2割以上いる。半官半民と思っている人も同じくらいいる。NHKの歴史がそう思わせる。
 1925年、社団法人・東京放送局がラジオ放送を開始した。これがNHKの前身だ。総裁は後藤新平。最初は民間組織でスタートするはずだったが、犬養毅・逓信大臣は、公的なものとして政府の監督下に置いた。逓信省は、放送内容の中で安寧秩序を乱すもの、外交・軍事・官公庁の機密、政治的講演などを取り締まった。露骨な検閲と統制が、ラジオを縛った。政府の都合のよいように流す。最たるものが戦時下の放送だった。戦争遂行のための国策宣伝の道具となり、大本営発表を流し続けた。
 敗戦後、大手新聞は、自身が担った戦争責任を表明した。GHQは、NHKを民主化し、ラジオを通じて日本に民主主義を定着させようとした。民間人17人からなる「放送委員会」が設置され、その場で放送の倫理規範を決め、新会長を選ぶことになった。滝川事件の滝川幸辰、加藤シヅエ、宮本百合子、荒畑寒村、岩波茂雄・・・・。マルクス経済学者の高野岩三郎・大原社会問題研究所長が会長に選ばれた。
 放送法第1条に、民主主義の発展のために放送がその役割を果たさねばならないことが明記された。
 1946年、初めて放送記者が誕生した。政治について市民が語り、笑いとばす「街頭録音」や「日曜娯楽版」が生まれた。食糧難を伝えるニュースに天皇が登場し、同情のことばを述べる。天皇のことばを加藤シヅエが辛辣に批判する。そんな大胆な構成もあった。
 しかし、高野時代は6年しか続かなかった。高野病死後、吉田茂からお目付役としてして送り込まれた古垣鐵郎・元朝日新聞外報記者が会長に就いた。放送委員会は潰された。朝鮮戦争が始まると、古垣は、ラジオ第2放送を米軍対北朝鮮謀略放送に提供した。「NHKは他にさきがけて国策に貢献する」ことを明言した。1952年、サンフランシスコ講和条約発効を機に、放送終了時に君が代を毎日流すことにした。
 その後の会長、永田清、野村秀雄、阿部眞之助は、郵政大臣から「NHKは、もっと国策の徹底をするようにすべきだ」と言われても抵抗できなかった。

 (4)NHKが権力から自立する可能性があったのは、前田義徳・会長時代だ。前田は、放送法の全面改正、独立委員会制度(放送委員会がモデル)をNHK内部につくろうとした。放送の自立をめざす前田の執念に、民放連だけでなく、新聞社も共同歩調をとった。
 前田が争ったのは、田中角栄であり、盟友の橋本登美三郎だった。橋本は、NHKの中に隠然たる人脈を形成していった。
 田中角栄は、子飼いの小野吉郎・元郵政事務次官をNHKの専務理事に送り込み、前田の案を骨抜きにしようとした。
 当時は55年体制で、NHKの組合(日本放送労働組合)もそれなりの発言力を持ち、前田の悲願は国会で実現するかに見えた。ところが、ILOに係る国内法整備にあたって組合専従者をどこで線引きするのかを決める審議会で、同審議会会長を兼務していた前田と、社会党との間でバトルが発生した。そのあおりを受けて、放送法改正案は廃案となった。
 以来、48年間、制度改善ができないまま今日に至る。

 (5)権力から距離を置くNHKを求めた前田は、ヤヌスの面のように、権力に癒着する顔も持っていた。
  (a)NHKが内幸町から代々木公園にある神南に移るにあたり、さまざまな規制緩和が必要で、東京都は反対した。そこで、岡崎英城・代議士(自民党)が動いた。今の巨大な放送センターが生まれた。土地の取引価格は80%も割引された、という。
  (b)沖縄返還のとき、日米調印式は衛星中継された。核や基地の密約はあたかもないように、国家の巨大なセレモニーが垂れ流された。参議院選挙のための宣伝効果をねらったもの、とされる。
  (c)佐藤栄作・総理の退陣記者会見では、新聞記者は全員退席した。佐藤総理は目をむいて、「テレビはどこだ。NHKはどこにいる」と叫んだ。
 (b)も(c)も、前田の佐藤総理に対する配慮だった、と後に会長になる島桂次が書いている。

 (6)前田の後任は、小野吉郎。小野の経歴は、大部分が田中角栄によって作られた。
 小野は、ロッキード事件で逮捕され、東京拘置所から保釈された田中の私邸(目白台)に、NHKの公用車で見舞った。
 小野のこの行動は、ロッキード事件を追及していた報道現場を憤慨させ、NHKと政権との暗部を露呈させた。1976年9月4日、小野は会長を辞任した。
 日放労は、視聴者に向かって広く署名を呼びかけた。次期会長に自民党の意向を反映させない、というものだ。署名は100万人を超し、初のNHK生え抜きの会長を実現させた。坂本朝一だ。
 坂本は、報道のことはほとんど知らないサロン的人物で、事なかれ主義者だという批判もあった。ロッキード事件には熱心には取り組んでいない。
 そんな中、事件が起きた。1981年、「ニュースセンター9時」で、もはや自民党員でもない田中角栄が酒に酔って話す場面や、三木総理のインタビューが放送直前にカットされた。取材したのは社会部。カットを命じたのは、政治部出身の島桂次・報道局長(当時)。組合は激しく抵抗した。その結果、こころある記者は左遷された。その数は40人にのぼった。

 (7)坂本の後任は、やはり生え抜きの川原正人。
 川原の時代、消費税反対の意見が賛成の2倍以上に達している世論調査結果を放送しなかったり、浜田幸一・代議士(自民党)が、衆院予算委員会で、宮本顕治・共産党議長を殺人者と決めつける発言をした生中継をいきなり打ち切ったりした。

 (8)川原の後任は、池田芳蔵(77歳)・元三井物産会長。磯田一郎・経営委員会委員長/住友銀行会長の同級生だ。磯田は、多メディア時代のNHKには財界人がふさわしいと考え、彼のお友だちを連れてきたのだ。
 しかし、池田は最初から孤立した。それは、島桂次・副会長(当時)の指示だった、とされる。伏魔殿NHK。
 池田は、国会で英語で答弁するなど迷走し、わずか9ヶ月で職を去った。

 (9)池田の後任が、島桂次(61歳)だ。1989年のことだ。島は、NHKの経営の黒子として辣腕をふるい、自民党宏池会・宮澤派でも重要な地位にあった。多メディア戦略を掲げて関係団体を次々に立ち上げ、NHK本体の見た目の要員を減らしていった。さらに国際展開にも積極的に乗り出し、NHKの巨大化を推し進めた。
 しかし、島はあっけなく追い落とされた。仕掛けたのは、海老沢勝二・NHKエンタープライズ社長。自民党の郵政族、わけても金丸信らが動いた、とされる。

 (10)島の後任は、伊藤正巳・元最高裁判事のはずだったが、自民党の反対で、辞退。
 川口幹夫・NHK交響楽団理事長が選ばれた。川口は、自民党や民法を刺激することを避けた。永田町とのパイプがほとんどなかった川口は、国会対策に明るい海老沢を副会長にすえた。

 (11)1987年、海老沢会長が実現した。海老沢は、NHKの独立より自民党との強いパイプを大事にした。
 2001年1月、「ETV2001」事件が起きた。放送前日、松尾・放送総局長らが、安倍晋三・官房副長官(当時)と面会し、その後、総局長や野島直樹・総合企画室担当局長は、番組の劇的な改変を指示した。

 (12)海老沢が辞任後、橋本元一・NHK技師長が後任となった。任期満了の日、インサイダー取引の責任をとり、辞任した。
 その後の会長は、財界人だ。福地茂雄はアサヒビール、松本正之はJR東海。  

 【注1】
記事「NHK籾井新会長「従軍慰安婦、どこの国にもあった」」(朝日デジタル 2014年1月26日00時07分)
記事「冒頭発言―NHK籾井新会長の会見詳報1」(朝日デジタル 2014年1月26日03時22分)
記事「領土問題、主張は当然―NHK籾井新会長の会見詳報2」(朝日デジタル 2014年1月26日03時22分)
記事「慰安婦、戦地に付きもの―NHK籾井新会長の会見詳報3」(朝日デジタル 2014年1月26日03時22分)

 【注2】
記事「「NHK会長は慎重な発言を」 与野党、国会審議影響も」(朝日デジタル 2014年1月26日20時04分)

□永田浩三(武蔵野大学社会学部教授/元NHKディレクター・プロデューサー)「NHK会長 その政治的で不可解なるもの」(「世界」2014年2月号)
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