(1)国会は、特定秘密保護法をそそくさと成立させた。多くの国民が不安と懸念を抱き、反対したにもかかわらず。
政権幹部は、国民がこの法案をよく理解していないからだ、とうそぶいた。
しかし、わかってないのは、国民ではなく、実は閣僚や与党幹部のほうであった。だから、国会審議中に法案を担当する閣僚の答弁が迷走したり、与党幹部が、国民の不安【注】は的外れではないと懸念を増幅させる妄言を繰り返したのだ。
自民党は法案の中身を吟味しないという習性がある。ポンチ絵に毛が生えたような資料を根回しすれば、党幹部を含めておおかたの議員は些事にこだわらない鷹揚な(つまり不勉強な)態度を示す。官僚機構をチェックする機能は働かない。
そもそも、この法案を準備してきたのは、霞ヶ関の官僚だった。これを何とか成立させようと、特定官庁の官僚たちは、年来その機を虎視眈々と狙っていた。安倍政権の誕生は好機であった。一方に政権の意思(外交や防衛の機密は守られるべし)があり、他方に官僚たちの思惑(それ以外の情報をも広く秘密にしたい)があり、両者が同床異夢ながら、うまく噛み合うからだ。
【注】本法が官僚の手によって独り歩きし、いずれ国民の知る権利や表現の自由が制約されることになるであろう。国民の代表たる政治家たちに、官僚の独り歩きを防ぐだけの力量はない。民主主義は空洞化する。政治主導は眉ツバである。
(2)法律の内容もさりながら、これが成立するまでの過程にも大きな問題があった。
熟議の欠如も、その一つ。
国民の間にこれだけ議論を沸かせた法律だ。もっと真面目に審議しなければならない。
自民党、公明党の両党とも、衆院選(2012年)でも参院選(2013年)でも、公約にこの法案のことをまともに取り上げていない。前記2選挙でいくら与党が大勝したからといって、有権者は白紙委任したわけではない。
(3)議会制民主主義は、頭をかち割る代わりに頭数を数える仕組みだ。
それは、多数決を原則とする。
その結果多数派の意向に嫌でも従わされる少数派への配慮は、当然必要だ。よって、できるだけ少数派の意見も取り入れることで合意を見出そうとする。これが少数意見の尊重だ(小学校でも教える多数決の原理を支える)。
少数意見の尊重とは、多数派が少数派に譲歩することを意味し、多数派が少数派に譲歩を押しつけることではない。
(4)特定秘密保護法案審議にあたり、与党は少数派に譲歩し、法案を修正した、と言っている。
しかし、それは熟議の結果ではなさそうだ。少数党の代表が、与党のトップと食事をし、その席上で法案に賛成すると結論を出し、与党にすり寄る少数党の体面を守ったふりができる程度の装いが施された。
それは、決して国会における真摯な議論や、それに基づく譲歩・修正ではない。この経緯は、その後のその党の分裂に際して、国会における議論だけでなく党内における議論さえ避けていた実態が明らかにされている。
(5)衆議院が福島で開いた公聴会に至っては、唖然とするばかり。
与党が推薦した公述人を含む全員がこの法案に反対した。にもかかわらず、そんなことはおかまいなしに、あらかじめ決めたスケジュールに従って、翌日にはさっさと可決してしまった。
与党の議員たちは、公聴会の意義や役割をとんと理解していない。
重要なことを決めるときには、有識者や国民の声に耳を傾け、なるほどと思う意見は取り入れ、国民に誤解があればそれを解消すべくさらに慎重に審議する。そのためにこそ、公聴会は開かれる。
ところが、国会法に定めがあるから開くだけで、公聴会で出た意見など、はなから聞く気がない。求められて出席し、意見を述べた福島県民を愚弄するにもほどがある。
かかる国会議員たちは、民主主義そのものを理解する資質に欠けている。
□片山善博(慶大教授)「民主主義の空洞化 --国会を他山の石とし地方自治を診る ~日本を診る 52 特別編~」(「世界」2014年2月号)
↓クリック、プリーズ。↓
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政権幹部は、国民がこの法案をよく理解していないからだ、とうそぶいた。
しかし、わかってないのは、国民ではなく、実は閣僚や与党幹部のほうであった。だから、国会審議中に法案を担当する閣僚の答弁が迷走したり、与党幹部が、国民の不安【注】は的外れではないと懸念を増幅させる妄言を繰り返したのだ。
自民党は法案の中身を吟味しないという習性がある。ポンチ絵に毛が生えたような資料を根回しすれば、党幹部を含めておおかたの議員は些事にこだわらない鷹揚な(つまり不勉強な)態度を示す。官僚機構をチェックする機能は働かない。
そもそも、この法案を準備してきたのは、霞ヶ関の官僚だった。これを何とか成立させようと、特定官庁の官僚たちは、年来その機を虎視眈々と狙っていた。安倍政権の誕生は好機であった。一方に政権の意思(外交や防衛の機密は守られるべし)があり、他方に官僚たちの思惑(それ以外の情報をも広く秘密にしたい)があり、両者が同床異夢ながら、うまく噛み合うからだ。
【注】本法が官僚の手によって独り歩きし、いずれ国民の知る権利や表現の自由が制約されることになるであろう。国民の代表たる政治家たちに、官僚の独り歩きを防ぐだけの力量はない。民主主義は空洞化する。政治主導は眉ツバである。
(2)法律の内容もさりながら、これが成立するまでの過程にも大きな問題があった。
熟議の欠如も、その一つ。
国民の間にこれだけ議論を沸かせた法律だ。もっと真面目に審議しなければならない。
自民党、公明党の両党とも、衆院選(2012年)でも参院選(2013年)でも、公約にこの法案のことをまともに取り上げていない。前記2選挙でいくら与党が大勝したからといって、有権者は白紙委任したわけではない。
(3)議会制民主主義は、頭をかち割る代わりに頭数を数える仕組みだ。
それは、多数決を原則とする。
その結果多数派の意向に嫌でも従わされる少数派への配慮は、当然必要だ。よって、できるだけ少数派の意見も取り入れることで合意を見出そうとする。これが少数意見の尊重だ(小学校でも教える多数決の原理を支える)。
少数意見の尊重とは、多数派が少数派に譲歩することを意味し、多数派が少数派に譲歩を押しつけることではない。
(4)特定秘密保護法案審議にあたり、与党は少数派に譲歩し、法案を修正した、と言っている。
しかし、それは熟議の結果ではなさそうだ。少数党の代表が、与党のトップと食事をし、その席上で法案に賛成すると結論を出し、与党にすり寄る少数党の体面を守ったふりができる程度の装いが施された。
それは、決して国会における真摯な議論や、それに基づく譲歩・修正ではない。この経緯は、その後のその党の分裂に際して、国会における議論だけでなく党内における議論さえ避けていた実態が明らかにされている。
(5)衆議院が福島で開いた公聴会に至っては、唖然とするばかり。
与党が推薦した公述人を含む全員がこの法案に反対した。にもかかわらず、そんなことはおかまいなしに、あらかじめ決めたスケジュールに従って、翌日にはさっさと可決してしまった。
与党の議員たちは、公聴会の意義や役割をとんと理解していない。
重要なことを決めるときには、有識者や国民の声に耳を傾け、なるほどと思う意見は取り入れ、国民に誤解があればそれを解消すべくさらに慎重に審議する。そのためにこそ、公聴会は開かれる。
ところが、国会法に定めがあるから開くだけで、公聴会で出た意見など、はなから聞く気がない。求められて出席し、意見を述べた福島県民を愚弄するにもほどがある。
かかる国会議員たちは、民主主義そのものを理解する資質に欠けている。
□片山善博(慶大教授)「民主主義の空洞化 --国会を他山の石とし地方自治を診る ~日本を診る 52 特別編~」(「世界」2014年2月号)
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