語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【警察】警視庁公安部の迷走、暴走、大失態 ~オウム事件~

2014年01月22日 | 社会
 (1)長期逃亡を続けたオウム真理教の元信者、平田信被告の裁判1月16日から東京地裁で始まった。
 オウム事件では、初の裁判員裁判。
 オウム関連の死刑確定囚が証人出廷。
 こういったことでも注目を集めている。

 (2)オウム事件全体を振り返れば、平田被告はそれほど大物ではない。
 公証役場事務長拉致事件の逮捕監禁罪などで起訴されているものの、地下鉄サリンや松本サリンといった超重要事件には関わっていない。
 それなのに、平田被告は、逃走を続けたオウム特別手配被疑者で最も「有名」な存在になった。
 なぜか。
 ここに公安部の失態の残滓がある。

 (3)1995年3月30日、國松孝次・警察庁長官(当時)が自宅マンション(東京都荒川区)前で銃撃された。オウム捜査に全力を傾けていた警視庁は、主力の刑事部に人的余裕がなかったこともあって、重大事件捜査の主導権を公安部にゆだねた。
 だが、公安部の捜査は迷走した。公安部と刑事部の対立なども背後に横たわっていたが、そもそも公安部にはこうした事件捜査の能力がなかったのだ。左翼団体監視などを主任務とする従来の公安手法は、完全な見込み捜査であり、銃撃事件でも「オウムなのは間違いない。そのうち解決する」と高を括っていた。
 ところが、オウム捜査が進んで幹部が次々逮捕されても、事件の輪郭すら浮かび上がらない。
 焦りを深めた公安部が有力被疑者として名指しするようになったのが平田被告だった。逃走を続ける信者は少なくなっていたし、高校時代はインターハイ出場経験もある・・・・そんな理由で、最重要の被疑者に「格上げ」された。平田被告が注目を集める存在になったのは、それだけの話にすぎない。

 (4)公安部の迷走は、(3)だけにとどまらない。
 1996年には、オウム信者の警視庁巡査部長が長官銃撃を「自供」したにもかかわらず、これを完全に隠蔽。
 内部告発などで事実が暴露されると、公安部長が更迭され、井上幸彦・警視総監(当時)まで引責辞任に追い込まれる前代未聞の大混乱を引き起こした。
 しかも、巡査部長の供述はヨレヨレだった。隠蔽中の不適切かつ無理な取り調べで記憶が混乱したからだ。
 いきりたった公安部は、2004年に巡査部長やオウム信者の逮捕を強行したが、いずれも起訴さえできず、2010年に時効を迎えた。
 往生際の悪い警視庁は、時効の直後、銃撃事件について「オウムが組織的に敢行したテロだ」という根拠不明のコメントを図々しく公表し、教団側から名誉毀損訴訟を起こされ、100万円もの損害賠償を命ぜられた。賠償金の出所は税金だ。警視庁はうつけ者ぞろい、ということになる。

 (5)その後も、公安部は別の大失態を引き起こした。
 2010年秋、公安部外事3課の内部資料がネットに大量流出し、公安が「テロ関係者」と勝手に見て追いかけ回した人々の個人情報を世界中にばらまいたのだ。
 どう考えても内部犯行なのに、警視庁は当初、知らぬ存ぜぬを決め込み、これも時効で迷宮入りさせてしまった。

 (6)近年の公安部は、大失態ばかりを繰り返す一方、事件捜査に成果をあげた例は知られていない。
 にもかかわらず、組織は営々と維持され、特定秘密保護法は公安警察の「出島」たる内閣情報調査室が主導して作成された。無能で害悪ばかり垂れ流す税金泥棒に追い銭をくれてやったようなものだ。

□青木理「オウム・平田信の裁判に思う 警視庁公安部の迷走、暴走、大失態 ~ジャーナリストの目 第191回~」(「週刊現代」2014年1月15日・2月1日号)
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