語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【政治】地方議会における口利き政治の弊害 ~民主主義の空洞化(3)~

2014年01月16日 | ●片山善博
 (1)地方議会は、住民から縁遠いだけでなく、厄介者だと思われていたり、時としてひどく嫌悪されていたりもする。
 その最大の理由は、口利き政治の存在にある。
 保育所不足による待機児童問題が解消しない。東京都杉並区など幾つかの自治体で、集団で行政不服審査法に基づく異議申し立てが行われさえしている。自治体の公聴機能や民意吸収機能が見限られたことを関係者は深刻に受け止めるべきだ。
 ところが、不思議なことに、待機児童を多く抱える自治体の議員は、さほど深刻に受け止めていない。むしろ、自分は待機児童問題に一生懸命取り組んでいる、と胸を張りさえする。「今年は5人も役所に頼んで入れてもらった」と、あっけからんと打ち明ける議員さえいる。+
 議員をやっていれば、支持者からさまざまなことを頼まれる。保育所入所の口利きもその一つ。自治体によっては、「有力議員」ならそれぐらいの便宜は役所にはかってもらえるのだそうだ。支持者から感謝されるので、自分も議員としていいことをしたと満足するらしい。
 少し考える力があれば、個別の口利きでは待機児童問題が解決しないことはわかりそうなものだ。入所できる枠が増えない中で、議員が誰かを押し込めば、他の誰かが押し出される。押し込んでもらった人は喜ぶが、わけのわからないまま押し出されて戸惑う人が一人増える。待機児童の数は一向に減らないだけでなく、そこに不公平が紛れ込むから、事態はいっそう悪くなっている。
 議員の口利きで救われる人は市民のうちのほんの一握りにすぎず、他の大多数は同じ悩みを抱えているにもかかわらず放っておかれたままだ。1%だけが救われ、他の99%は放っておかれる。市民全体のためにあるはずの議会は、実は99%にとって無縁だ。
 口利きのネットワークは、保育所の入所問題にとどまらず、公営住宅の入居から公立病院の患者の扱いに至るまで、張り巡らされている気配を99%の市民は感じている。たった1%の人だけを依怙贔屓する議会なら、無縁を通り越して有害でしかない。
 かかる口利き議員は選挙で落とせばよいのだが、大選挙区制下、9人に嫌われても口利きなどで残り1人をしっかりつなぎとめておけば、選挙区全体からそこそこ票を集めて当選してしまう。
 皮肉な観察をすれば、常に待機児童があふれていて、自分を頼ってくる有権者がいれば、その支持をつなぎ、さらに拡大することができる。それが、これほど騒がれている待機児童問題が自治体議会で大騒ぎになることが少なかった理由の一つだし、同時に、それが議会を嫌悪する市民が少なからずいる所以だ。

 (2)口利き議員は、常に「与党会派」に所属することに意を払う。「与党会派」でなければ、口利きする上でいいポジションをキープできないからだ。彼らは議会に提案される議案には、基本的に反対しない。執行部の不興を買うような真似はしないのだ。多少いちゃもんをつけて、勿体をつけて賛成にまわり、「貸し」をつくることはある。今後の口利きが通りやすくなればいいのであって、議案の内容など、実はどうでもいい。
 背景は異なるものの、議案の中身をほとんど吟味しない点において、国会における与党会派と地方議会における多数派とは共通するところがある。ねじれなき国会と同様、地方議会のチェック機能はほとんど麻痺している。

 (3)かくて無傷で決まった案件の内容を、市民が知りたいと思っても容易にはわからない。
 「議会だより」なるものでは、通常、議会の決定事項が掲載されているが、条例などの案件名とそれに対する会派ごとの賛成の状況が書かれているだけで、内容はさっぱりわからない。ページ数の多くは議員と首長との質疑に費やされている。議員や会派の広報媒体かと見まがうばかりに。中には有益な情報も含まれているが、住民にとって断然大事なことは、議会でどんなことが決められたかの情報だ。直接市民生活や経済活動に関わるのは、議員の質問ではなく、条例などの決定事項だ。もっと住民の観点に立ち、市民にとって大切な事柄を含む案件ぐらいは、その概要を載せるべきだ。

 (4)以上見たとおり、国会ばかりでなく、本来住民に最も身近であるべき自治体においtも、主人公である住民は遠ざけられている。
 自治体関係者は、民主主義をないがしろにした国会のありさまを他山の石としたらいい。民主主義の観点から、地方議会をどう改革したらいいか、真剣に考える絶好の機会となる。
 主権者たる住民も、もっと地方議会に関心を持ち、どんな議員が望ましいのか、彼や彼女にどんな議会運営を期待するのか、改めて考えてほしい。
 通年議会の導入、定例会方式から定例日開会に、会派中心から委員会中心の活動に、住民の発言の場としての公聴会の活用など改革のよすがはいくらでもある。

□片山善博(慶大教授)「民主主義の空洞化 --国会を他山の石とし地方自治を診る ~日本を診る 52 特別編~」(「世界」2014年2月号)
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 【参考】
【政治】住民の声を聞こうとしない地方議会 ~民主主義の空洞化(2)~
【政治】福島県民を愚弄する国会 ~民主主義の空洞化(1)~

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【政治】住民の声を聞こうとしない地方議会 ~民主主義の空洞化(2)~

2014年01月15日 | ●片山善博
 (1)民主主義の学校(地方自治)も、国と同様、はなはだ覚束ない。
 地方自治の中心は、本来、議会だ。自治体の首長は、議会が決めた条例や予算を執行する立場でしかない。
 しかるに、その議会の評判が悪い。
 地方分権に賛成する人でも、国が持っていた決定権を自治体に移したあと、自治体で決定権を持つのは議会であると知ると、これまで通り国に決めてもらったほうがいい、という人が断然多くなる。総じて、地方議会は信頼されていない。
 理由の一つは、住民から見た議会の縁遠さがある。住民に最も身近な存在であるべき市町村議会でさえ、住民は親しみを覚えることがない。

 (2)例えば公聴会。
 国会は、福島県における公聴会を虚仮(こけ)にしたが、地方議会はその国会より劣る。地方自治法によれば、国会と同じく地方議会も公聴会を開くことが想定されているのに、現実には地方議会が公聴会を開くのはごく例外的で、全国のほとんどの地方議会は公聴会をほとんど開いていない。
 議会の多数派に属する議員にとっては、公聴会など開く意味がないのだろう。手間はかかるし、公の場で住民の意見を聞くのは煩わしいだけだから。彼らは、議会を開く前に議案はすべて可決することを申し合わせているので、その議案に賛成する意見はともかく、それに反対したり代替案を唱えたりする意見は雑音でしかない。これは、国会における与党議員の態度と同じだ。
 国会と地方議会で違いがあるのは、少数会派に属する議員の態度だ。国会では、野党色が鮮明な少数政党ほど公聴会の開催を主張するようだが、地方議会ではそうした傾向は見られない。
 公聴会に後ろ向きな少数会派の議員たちは、自分たちの出番がなくなってしまうのではないか、と恐れているのだろう。役所や多数会派の議員たちが関心を持たない住民、往々にしてそれは社会的立場の弱い人や発言力のない人であることが多いが、そうした人たちの声を議会で代弁するのが自分たちの役割だと思っているのに、その人たちが議会で直接意見を言うようになれば、自分の出番がなくなってしまう。市民派がそう考えているのであれば、市民派ほど肝心の市民を議会から遠ざけていることになる(皮肉な事実)。

 (3)近年、議会報告会を開く地方議会が増えてきた。議員が手分けして域内の集落などに出向き、議会が決めた条例や予算の内容などを住民に説明し、意見交換を行うのだ。「市民に開かれた議会」の試みとして評価できるが、違和感を拭えない。
 決める前に意見を求められるならばとのかく、既に決めたことを事後に説明して意見を聞いてやると言われても、参加する意義は薄い。事実、住民の参加が少ない、と嘆く議会は多い。決めた後にわざわざ住民のもとに出向く労を惜しまないなら、議会はどうして決める前に住民の意見を議場で聞かないのか。
 本来の主権者を敢えて「場外」に追いやる地方議会・・・・それを住民が縁遠いと感じるのは当然だ。

□片山善博(慶大教授)「民主主義の空洞化 --国会を他山の石とし地方自治を診る ~日本を診る 52 特別編~」(「世界」2014年2月号)
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【政治】福島県民を愚弄する国会 ~民主主義の空洞化(1)~
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【政治】福島県民を愚弄する国会 ~民主主義の空洞化(1)~

2014年01月14日 | ●片山善博
 (1)国会は、特定秘密保護法をそそくさと成立させた。多くの国民が不安と懸念を抱き、反対したにもかかわらず。
 政権幹部は、国民がこの法案をよく理解していないからだ、とうそぶいた。
 しかし、わかってないのは、国民ではなく、実は閣僚や与党幹部のほうであった。だから、国会審議中に法案を担当する閣僚の答弁が迷走したり、与党幹部が、国民の不安【注】は的外れではないと懸念を増幅させる妄言を繰り返したのだ。
 自民党は法案の中身を吟味しないという習性がある。ポンチ絵に毛が生えたような資料を根回しすれば、党幹部を含めておおかたの議員は些事にこだわらない鷹揚な(つまり不勉強な)態度を示す。官僚機構をチェックする機能は働かない。
 そもそも、この法案を準備してきたのは、霞ヶ関の官僚だった。これを何とか成立させようと、特定官庁の官僚たちは、年来その機を虎視眈々と狙っていた。安倍政権の誕生は好機であった。一方に政権の意思(外交や防衛の機密は守られるべし)があり、他方に官僚たちの思惑(それ以外の情報をも広く秘密にしたい)があり、両者が同床異夢ながら、うまく噛み合うからだ。

 【注】本法が官僚の手によって独り歩きし、いずれ国民の知る権利や表現の自由が制約されることになるであろう。国民の代表たる政治家たちに、官僚の独り歩きを防ぐだけの力量はない。民主主義は空洞化する。政治主導は眉ツバである。

 (2)法律の内容もさりながら、これが成立するまでの過程にも大きな問題があった。
 熟議の欠如も、その一つ。
 国民の間にこれだけ議論を沸かせた法律だ。もっと真面目に審議しなければならない。
 自民党、公明党の両党とも、衆院選(2012年)でも参院選(2013年)でも、公約にこの法案のことをまともに取り上げていない。前記2選挙でいくら与党が大勝したからといって、有権者は白紙委任したわけではない。

 (3)議会制民主主義は、頭をかち割る代わりに頭数を数える仕組みだ。
 それは、多数決を原則とする。
 その結果多数派の意向に嫌でも従わされる少数派への配慮は、当然必要だ。よって、できるだけ少数派の意見も取り入れることで合意を見出そうとする。これが少数意見の尊重だ(小学校でも教える多数決の原理を支える)。
 少数意見の尊重とは、多数派が少数派に譲歩することを意味し、多数派が少数派に譲歩を押しつけることではない。

 (4)特定秘密保護法案審議にあたり、与党は少数派に譲歩し、法案を修正した、と言っている。
 しかし、それは熟議の結果ではなさそうだ。少数党の代表が、与党のトップと食事をし、その席上で法案に賛成すると結論を出し、与党にすり寄る少数党の体面を守ったふりができる程度の装いが施された。
 それは、決して国会における真摯な議論や、それに基づく譲歩・修正ではない。この経緯は、その後のその党の分裂に際して、国会における議論だけでなく党内における議論さえ避けていた実態が明らかにされている。

 (5)衆議院が福島で開いた公聴会に至っては、唖然とするばかり。
 与党が推薦した公述人を含む全員がこの法案に反対した。にもかかわらず、そんなことはおかまいなしに、あらかじめ決めたスケジュールに従って、翌日にはさっさと可決してしまった。
 与党の議員たちは、公聴会の意義や役割をとんと理解していない。
 重要なことを決めるときには、有識者や国民の声に耳を傾け、なるほどと思う意見は取り入れ、国民に誤解があればそれを解消すべくさらに慎重に審議する。そのためにこそ、公聴会は開かれる。
 ところが、国会法に定めがあるから開くだけで、公聴会で出た意見など、はなから聞く気がない。求められて出席し、意見を述べた福島県民を愚弄するにもほどがある。
 かかる国会議員たちは、民主主義そのものを理解する資質に欠けている。

□片山善博(慶大教授)「民主主義の空洞化 --国会を他山の石とし地方自治を診る ~日本を診る 52 特別編~」(「世界」2014年2月号)
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【五輪】公共事業のためか? ~メッセージの発信、新しい試みを~

2014年01月13日 | 社会
 (1)オリンピック東京大会開催が決まって、マスメディアは「日本再生のきっかけになる」と騒いだ。
 「大会準備のための投資が、日本経済にあらたな需要をもたらすと期待される」という意味だ。事実、オリンピックの経済効果に係る分析が、その後いくつも発表された。「アベノミクスの第4の矢になる」という意見も表明された。
 大多数の日本人にとって、オリンピックとは、競技場や付属施設が建設されること、道路・鉄道などの関連公共事業が行われること、ホテルが増設され、世界中から観光客が押し寄せること・・・・であるらしい。
 要するに、オリンピックとはめったにない金もうけの機会らしい。だから、自分の事業を何とかオリンピックに関連づけよう、というわけだ。
 こう考える人々の念頭には、オリンピック競技場で何が行われるかは、最初からない。

 (2)東京大会(1964年)では、オリンピックは経済成長の起爆剤になった。東京の地下鉄が整備され、新幹線ができた。こうした社会資本の集中整備は、その後の経済成長を支える基盤施設になった。
 しかし、いまの日本で同じことを期待するのは、アナクロニズムだ。なぜなら、いまの日本は、当時とはまったく異なる経済条件下にあるからだ。
 わずか数週間の一時的利用のために膨大な投資を行えば、将来、重荷になるばかりだ。

 (3)オリンピックでは、もともとのオリンピック精神にはなかった理念が発信されることがある。
  (a)国威発揚モデル・・・・最初に意識されたのはベルリン大会(1936年)で、記録映画のタイトル「民族の祭典」が、その本質を示す。世界を支配できる優秀な民族の条件を、オリンピック競技場で示そうとしたのだ。
  (b)発展途上国モデル・・・・「わが国も、やっとオリンピックを開催できるだけ成長した。だから、これからは経済取引の相手として認めてくれ」というメッセージを世界に向けて発信するのだ。典型が東京大会(1964年)で、ソウル大会(1988年)、北京大会(2008年)もその延長上にある。
  (c)理念/新しいアイデアや考え提示モデル・・・・
    ①公的資金の供与を受けずに民間資金によって運営・・・・ロサンゼルス大会(1984年)、アトランタ大会(1996年)。
    ②既存施設の活用・・・・アテネ大会(2004年)、ロンドン大会(2012年)。  

 (4)東京大会(2020年)では、いかなるメッセージを世界に発信するものか?
 招致運動では、確たるイデオロギーなしに進んだようだ。
 「これを機会に公共事業をやろう」では、いかにもお粗末だ。第一、それは近年のオリンピックの潮流「リノベーション&リサイクル」に真っ向から反する。
 主催国の特権は、メッセージを発信できることだ。この機会を使わないと、もったいない。せめて、問題提起を行うべきだ。
 <例1>世界でも稀れな高齢化が進んでいる国でオリンピックを開催する意義をアピールする。高齢者鉄人レースを取り込んだり、パラリンピックを優先する、etc.。
 <例2>最低限必要なことは、過酷原子力事故を起こし、いまだにそれを克服できないでいる国としてのイメージだ。極めて深刻な事故だが、それと真剣に向き合っているという現状を世界に向かって伝えるべきだ。

 (5)<例3>として、市民生活ないし個人生活との関連をテーマにする。
 大多数にとって、いまのオリンピックは見るだけで、積極的に参加できるものではない。
 競技場に入場するのは、人間能力の極限を追求するアスリートたちであり、普通の人とは隔絶された存在だ。いま世界最高水準をめざすには、日常生活を放擲しなければならない。国や企業の庇護を受けなければならない。
 プロならば、すべてを投入してスポーツに専念するのは当然だ。アマチュアは、同じことを行えない。現代のオリンピックは、根源的矛盾を抱えている。
 アマチュア精神とは、すべての市民が参加できるものではない。しかし、大会と日常生活がこれほどかけ離れてしまった現状は問題だ。
 映画「炎のランナー」では、宣教師である選手は出場種目の日程が安息日になってしまったため、宗教上の信念を優先して試合を放棄する。選手が個人の時代には、こうしたことができた。しかし、国や企業の援助で費用をかけて養成された選手では、自分の信念を優先できない。
 ノーベル物理学賞受賞者ニールス・ボーアは、サッカー選手で、ロンドン大会(1908年)デンマーク・チームの補欠選手だった。こんなことも、いまでは望めない。

 (6)日常生活とスポーツの連続性に関する何らかのメッセージを東京大会で示せないか? 
 超人的な競技は、プロないし事実上のプロに任せる。極限の追求は、世界陸上大会とか世界水泳大会に任せる。
 4年に1回のオリンピックは、アマチュア競技の原点に戻る。
 そのために、大げさな開会式はやめる。メダルもやめる。表彰式でも、国旗掲揚や国歌演奏を行わない。などなど。
 新しい試みは、いくらでもある。

□野口悠紀雄「オリンピック開催は公共事業のためか? ~「超」整理日記No.692~」(「週刊ダイヤモンド」2014年1月18日号)
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【原発】被爆と甲状腺癌の因果関係は本当にないのか? ~「専門家意見交換会」~

2014年01月12日 | 震災・原発事故
 (1)福島県民健康管理調査で、58人の子どもが甲状腺癌、あるいは癌の疑いがあると診断された。
 子どもの甲状腺癌は、原発事故が原因なのか?
 予防や治療体制は、どうすればよいのか?

 (2)「放射線の健康影響に関する専門家意見交換会」が、2013年12月21日、白河市で開催された。主催者は環境省と福島県、事務局は原子力安全研究協会だ。
 しかし、専門家の意見が分かれ、健康対策、治療体制の充実に関する意見は深まらず、県民が抱く疑問はちっとも解消されなかった。

 (3)福島県民健康管理調査は、福島県立医科大学が行う。
 今発見されている子どもの甲状腺癌は放射線被曝とは関係がなく、原発事故前から既にできていたものと思われる。超音波機器は、チェルノブイリ原発事故当時よりもずっと高性能で、小さな結節なども見つかるようになっていて、子どもでも早期に発見されたスクリーニング効果の可能性が高い。【鈴木眞一・福島県立医科大学教授(外科・甲状腺内分泌学)】
 この、原発事故との因果関係を否定する意見に対して、反論がある。
 100mSv以下の被爆でも放射線による癌は増加するが、「癌が出ない」、安全である、というような「雰囲気」が作り出され、建設的な意見を阻んでいる。因果関係はまだわからないが、発生率と有病割合の関係から、スクリーニング効果を考慮しても、多発といえる。今は治療体制を早急に議論、整備することが必要で、その対応を否定する理由はない。【津田敏秀・岡山大学教授(疫学)】

 (4)主催者は、当初、メディアに対し、「冒頭撮影のみ」と動画取材を規制した。
 前夜にはオープン取材になったが、開催前に環境省が、
 「誹謗中傷対策を取る」
との文書にサインをしなければメディアを会場に入れない、とする一幕があった。
 知る権利や報道の自由に制約を加える主催者、「放射線の健康影響に関する専門家意見交換会」の問題点が露呈した。

□藍原寛子(ジャーナリスト)「原発事故の被爆と甲状腺がん 因果関係は本当にないのか?」(「週刊金曜日」2014年1月10日号)
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 【参考】
【原発】初期被曝量は県発表の倍の数値7mSv ~福島県・飯舘村~
【原発】被曝影響を隠蔽する恐れ ~IAEAの福島進出~
【原発】福島県民健康管理調査の情報隠し ~被曝の影響~
【原発】「子どもたちを放射能から守るネットワーク」代表に聞く
【原発】内部被曝量を公表しないエートス・プロジェクト ~福島~
【原発】今なお続く犠牲 女性・子どもへの影響 ~チェルノブイリからの警告(2)~
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【食】メニュー偽装問題で急展開 ~景品表示法改正の危うさ~

2014年01月11日 | 社会
 (1)2013年12月19日、昨秋から全国を震駭させ続けてきた「メニュー偽装」に、初めて行政措置がくだった。
 消費者庁は、近畿日本鉄道、阪急阪神ホテルズ、阪神ホテルシステムズの3社が運営するホテル・旅館などのレストランにおけるメニュー等の表示25点が、景品表示法の優良誤認にあたるとして措置命令を行った。

 (2)国が24万事業者を対象に行った緊急調査では、307事業者に違反が発覚。多くが外食、百貨店、ホテル・旅館だった。違反件数では、日本ホテル協会会員ホテルの34%、日本百貨店協会の会員社中65.9%にも上った。
 阪急阪神ホテルズと近鉄旅館システムズで社長が引責辞任。各社の返金は数億円に及んだ。

 (3)行政措置に続き、消費者庁は、メニュー表示に対する景品表示法のガイドラインを1月中に策定する。
 さらに次期通常国会には、罰則強化や調査・措置命令の権限を拡大することなどを核とする景品表示法改正法案を提出する予定だ。

 (4)食品表示偽装は、これまでもたびたび社会問題になってきた。
   雪印食品の牛肉産地偽装事件(2002年)
   ミートホープ事件(2007年)
   ウナギ産地偽装事件(20082年)
 これらで問われたのは、食品表示法違反だった。
 今回の一連の事件は違う。景品表示法違反を問われている。

 (5)食品表示法と景品表示法は、しばしば混同されがちだが、法律の建て付けと対象は大きく異なる。
  (a)2013年6月に成立し、2015年に施行する改正食品表示法は、現行のJAS法、食品衛生法、健康増進法の表示関連項目を統合した法律だ。対象は、食品メーカー、生産者、流通業者など。原産地、内容、添加物など食品に表示しなければならない項目および表示文言を規定する。
  (b)景品表示法は、「不当な顧客誘引を広く取り締まる」のが目的だ。対象は、不動産、電気製品、金融商品、食品など消費者に商品、サービスを提供するあらゆる事業者が含まれる。優良誤認(商品が実際よりも著しくよい品質だと思わせること)、有利誤認(取引条件が実際よりも著しく有利だと思わせること)などの考え方に基づき、抵触するものを取り締まる。だが、(a)のようには細かく表示方法を法律で規定しない。 

 (6)今回の一連の偽装の対象となった「外食のメニュー」は、食品表示法で表示を義務づけられたものではなく、事業者の自由意思で行っている表示であり、位置づけとしては「広告・宣伝」に近い。
 そもそも外食業界や百貨店のデパ地下などのような対面式販売による業界は食品表示法の範疇外だ。
 ために、現行法では景品表示法で取り締まるほか対処方法がない。今回の一連のメニュー偽装への対応も景品表示法で行われている。
 しかし、景品表示法では「不当な顧客誘引を禁じる」以外に、具体的にどのような表現がアウトなのかは明記されていない。ために、過去の措置命令の事例から「読み解く」ことが必要になる。事実今回、肉や海老などの表示に係る判断基準とされたのは、消費者庁のウェブサイトの奥深くに記載されていたQ&Aだった。
 無数に報告された「偽装」の中には、産地やブランド産品の偽装、おとり広告など申し開きできない明かな偽装があった。しかし、他方、「消費者の常識的な認識」をはっきり明示できない景品表示法と、その周知体制の不十分さで結果的に「偽装」となってしまったものも相当するあると推定される。

 (7)すでに改正が決まっている食品表示法に続いて、次期通常国会で景品表示法も改正される予定だ。次の事項が検討されている。
  (a)直罰である課徴金制度を設けるなど厳罰化。
  (b)これまで国だけだった措置命令を都道府県など自治体が行えるようにする。
  (c)メニューを含む食品表示に対し、消費者庁が選定した一般消費者のモニターが身の回りの事例を通報する制度の新設。
  (d)企業内での表示責任者の設置の義務づけ。
  (e)現在JAS法違反の調査を行う食品Gメンを、外食・中食のメニュー表示にも活用する。
 さらに、消費者庁は、法律に明記されない景品表示法の判断のよりどころを明文化する方向に動いていて、(1)の措置命令と同時に、ガイドライン案を発表した。これまでグレーと捉えられてきた事業を軒並み黒とする判断、外食業界においてその是非が長らく議論の対象となっていたアレルギー表示を「行うことが好ましい」、など。

 (8)だが、信頼をほんとうに回復させるには、国からの一方的な押しつけを待つのみならず、対象業界から自主的な説明、業界の表示ルールの策定、それを消費者にきちんと説明するなど、能動的なアクションが必要ではないか。
 さもなければ実態とかけ離れたルールが、いつのまにかできあがってしまうおそれが、なくはない。

□鈴木洋子(本誌)「メニュー偽装問題で急展開 景表法改正の中身と危うさ」(「週刊ダイヤモンド」2014年1月11日号)
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 【参考】
食】返金する企業 ~食材偽装~
【食】偽装表示と景品表示法違反 ~問題の本質が隠蔽~
【食】食材偽装の真の原因 ~円安政策の犠牲者~
【食】消費者へお詫びしない体質 ~多発する食品偽装事件~
【食】偽装の背景 ~消費増税により偽装が拡大~


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【佐藤優】プーチンが恐れる政敵の実像 ~ミハイル・ホドルコフスキー~

2014年01月10日 | ●佐藤優
 (1)プーチン・ロシア大統領は、12月20日、2003年から収監されていた一人の政敵を恩赦で釈放した。すなわち、ミハイル・ホドルコフスキー(50歳)、元寡占資本家(オリガルヒヤ)だ。
 ロシア憲法発効20周年を理由としているが、額面どおり受け止める者は誰もいない。ソチ・オリンピック(2014年2月)を念頭に置き、ロシアの人権状況が改善している、と欧米諸国に訴えるのがプーチンの意図だからだ。

 (2)ロシアでは、恩赦は通常、刑が確定し、本人が有罪を認めて反省していることを条件に行われる。
 しかし、ヤナーエフ・元ソ連副大統領(1991年8月のソ連共産党中央委員会守旧派によるクーデタで逮捕・拘束)、ルッコイ・元ロシア副大統領(1993年10月のモスクワ騒擾事件に連座)らは、判決が確定せず、有罪を認めていないにもかかわらず、エリツィン大統領によって恩赦を与えられた。ホドルコフスキーも、この類型だ。

 (3)ホドルコフスキーは、<自身の公式サイトに掲載した声明で「11月12日に大統領に対し、家族の状況を理由に恩赦を要請した。前向きな決定がされたことを喜んでいる。罪を認めるかどうかの問題には触れなかった」と説明した> 【注1】
 <一方、プーチン大統領のペスコフ報道官は20日夜、大統領が元社長から2通の書簡を受け取っていたと説明。いずれも元社長の自筆で1通は恩赦の要請、もう1通は長文の私的な内容だったという。報道官は「恩赦を申し出たこと自体、元社長が罪を認めたことになる」との考えを重ねて強調。恩赦に条件はなく、元社長はいつでもロシアに帰国できるとしている> 【注2】
 「恩赦申請自体を罪を認めた証拠とみなす」というプーチン側が示す解釈は、いかにも玉虫色だ。

 (4)寡占資本家時代のホドルコフスキーは、他の寡占資本家と異なり、服装は地味(ジーパンもはく)、押し出しも強くなかった。他人の意見によく耳を傾けた。文学、歴史、数学基礎論など、多方面の話題をもつ一級の知識人だ。
 彼は同時に、コムソモール(共産青年同盟)幹部だったから、政治的にはエリツィン、プーチンを支持しながら、共産党の政治家との人間関係を大切にし、資金を提供してきた。

 (5)プーチンは大統領就任(2000年5月)以降、政界から寡占資本家の影響を排除しようとした。
 プーチンに圧力をかけられた寡占資本家は、帰順するか亡命して抵抗するかを選択せざるをえなかった。しかし、ホドルコフスキーは国内にとどまって抵抗した。共産党系の友人への援助をやめなかった。
 レーニンいわく、「監獄は革命家の学校」だ。ロシア人は、投獄されても筋を曲げない政治犯を尊敬する。

 (6)ホドルコフスキーには、知力、胆力がそなわっている。
 彼の刑期は2014年8月に満了する。彼が娑婆に出て政治活動をするとプーチンの求心力が落ちる。よって、当局が余罪を摘発し、再収監する危険性さえあった。
 だから、ホドルコフスキーはとりあえずドイツに脱出することにした。様子を見た上で、今後の身の振り方を決めるだろう。

  【注1】記事「恩赦のプーチン氏政敵、独に到着 罪状認否の言及なし」(朝日デジタル 2013年12月21日20時01分)
 【注2】前掲記事。

□佐藤優「プーチンが恐れている政敵の素顔 ~佐藤勝の人間観察 第52回~」(「週刊現代」2014年1月18日号)
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【都知事選】の戦い方 ~事実上の国政選挙に~

2014年01月09日 | 社会
 (1)この正月、もっとも旨い酒を飲んだのは誰か?
 申すまでもなく、東京電力に融資した銀行の幹部たちだ。
 昨年末、東電の事故処理について、
  (a)国民の税金と電力料金で銀行の借金を無傷で返し、
  (b)廃炉、除染、汚染水処理で新たな負担が生じても、全て国民と消費者にツケ回しして、銀行には一切危険が及ぶことはない、という仕組みが事実上完成した。
 かくて、特別背任を覚悟で実施した福島原発事故直後の東電への2兆円の無担保追い貸しも完全無傷で守られる。本当に運のよい人たちだ。
 彼らにコバンザメのように付き添って、そっと旨い汁を吸っている経産省官僚と自民党議員も、美酒に酔った口だ。

 (2)逆に、浮かない顔で新年を迎えた人も多い。
 消費増税の影響をもろに受ける小売店業者。
 遅々として進まぬ復興に苛立ちを強めながら新年を迎えた被災地の人々。
 猪瀬知事の失脚で知事選を迎える都民の中にも、オリンピックムードに水をかけられ、大事な時期にまた大金を使って選挙とは・・・・と浮かぬ顔をしている都民も多そうだ。

 (3)都知事選も悪くないかもしれない。
 「都知事選は地方選だ」と安倍首相は予防線をはった。
 しかし、東京は日本の顔。「どうせやるなら、東京から日本を変えよう」、change、change・・・・という都知事選にはならないか。
 国政の大きなテーマをとりあげて、都知事選を事実上の国政選挙にしてしまうのだ。

 (4)公約の第一は、脱原発。
 東京都エネルギー戦略会議を立ち上げ、脱原発のエネルギー基本計画を作る。東電の大株主として、東電に脱原発を迫る。猪瀬知事は、脱原発を口にできなかった。東京に電力を販売する独占的企業=東電に対して、電力料金に係る説明を求める条例を作るのだ。

 (5)公約の第二は、日米地位協定の改定。
 米軍の巨大な支配空域(「横田ラプコン」)を日本側に取り戻す。
 受け入れない場合、横田基地(東京都)への各種サービスを停止する、と通告する。
 横田ラプコンがなくなれば、1都8県にまたがる治外法権の空域が日本に取り戻され、羽田離着陸の際に房総沖まで旋回を強要される民間機の、大幅な飛行時間縮減が可能になる。羽田の利便性向上にも寄与できる。
 名護市長選とのタイアップも可能だ。

 (6)基地問題は、特定秘密保護法の問題でもある。
 騒音対策、安全対策などに係る米軍のとの過去の折衝の議事録を前面開示するよう政府に要求する。
 情報公開法、公文書管理法の抜本的改正とともに、特定秘密保護法についても、第三者による監視機関の設置や、都職員が特定秘密を取り扱うこともあることから、国による都職員の適性評価の制限を求める。

 (7)徳州会マネー問題の徹底追求を衝けば、安倍政権も慌てるだろう。
 石原都政や国政とのつながりを解明する突破口を提供することになれば、自民党政権そのものが揺らぐ可能性がある。

 (8)その他、農業、医療などでの大胆な規制緩和など、安倍政権がやらない課題を掲げるのだ。
 単なる人気投票、後出しじゃんけん、などと揶揄される都知事選だが、こうしたテーマで戦える候補者が出てくれば、地方選挙とはいえ、真剣に政策が議論され、安倍政権に「ノー」を突きつける選挙になるだろう。

□古賀茂明「謹賀新年 都知事選の夢 ~官々愕々第93回~」(「週刊現代」2014年1月18日号)
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【漫画】食文化に貢献、海外への発信力も抜群 ~日本食・日本食文化表彰~

2014年01月08日 | 社会
(1)荒川弘『銀の匙(Silver Spoon)』
 「Contests Award of Japan Food(日本食・日本食文化表彰)」グランプリ。
 われわれは、他の命を食することによって自らの命をつないでいくという事実に若者たちが真摯に向き合う物語。
 さわやかな酪農青春グラフィティ。少年から一般人にまで酪農産業をしっかり理解させる面を持つ、すばらしい啓発漫画。
 1,200万部超。アニメ化済み。実写版映画が制作中。

(2)石川雅之『もやしもん』 
 「Contests Award of Japan Food(日本食・日本食文化表彰)」漫画部門金賞。
 第12回手塚治虫文化賞マンガ大賞。
 第32回講談社漫画賞(一般部門)。
 肉眼で菌を見ることのできる特異な能力を持つ学生(もやしもん)を中心とした農大発酵研究室に集う学生たちの青春コメディ。
 「発酵」という日本文化に欠かせない特徴に着目し、「菌が見え、会話もできる」といわれる日本の発酵職人の技能を学園グラフィティ漫画に取り入れている。その発酵解説は、十分な生物化学的な知識に裏打ちされている。みそ、しょうゆ、調味料などを正確に描いていて、発酵食品を積極的に食べる食生活(菌活)ブームの火付け役の一つ。
 ゴスロリ女装、ボンテージ系ファッションなどのサブカルチャー味を織り込み、日本の若者文化感をよく「醸し」ている。海外の興味を引く要素が少なくない。要するに、漫画自体の面白さとともに、海外への発信能力がある。日本文化の基幹を成す発酵食文化輸出にも貢献し得る作品。
 テレビドラマ化、アニメ化済み。  

(3)尾瀬あきら『夏子の酒』
 「Contests Award of Japan Food(日本食・日本食文化表彰)」漫画部門銀賞。
 主人公(夏子)が兄の死を機に実家(酒造)に帰り、幻の酒「龍錦」を復活させて日本一の銘酒を造る物語。
 酒造りの各工程の詳細を描いただけでなく、酒米と酒の関係、日本酒業界の問題にも触れた。
 「龍錦」は、実在の「亀の尾」がモデル、とされる。
 一般には知られていなかった日本酒の裏舞台を、綿密な調査に基づき、物語性豊かな漫画に仕立て、広く周知した。この漫画がきっかけとなって、日本酒を飲む女性が飛躍的に増えた、とされる。日本中の酒造に影響を与え、日本酒全体の品質向上につながった。少し前の作品だが、環境問題への対処も含め、日本酒の味、魅力、文化を海外に向けて発信し得る魅力を持つ作品。
 本作品の根底には、人が気づき、学び、育つことへの深くて優しいまなざしがある。
 テレビドラマ化済み(1994年)。

(4)安部夜郎『深夜食堂』
 「Contests Award of Japan Food(日本食・日本食文化表彰)」漫画部門銅賞。
 第55回小学館漫画賞(一般向け部門)。
 第39回日本漫画家協会賞大賞。
 大都会の片隅で深夜から早朝に開く小さな「めしや」を舞台にした物語。メニューは豚汁定食、ビール、酒、焼酎のみ。とはいえ、マスターが手持ちの材料で多彩な食事を作ってくれる。
 日本の食生活の基盤「食堂」と多様な人間群を交差させたユニークな短編群。蘊蓄系漫画とは一線を画し、食と個人的な思いと思い出を結びつける物語が味わい深い。
 マスターと多彩な常連客との交流が織りなす人間模様と、その時々にマスターが作る食事の妙味が若い女性も惹きつける。
 海外へも、日本の「めしや」「食堂」という食生活の基盤を伝える作品。伝説の漫画雑誌「ガロ」的画風と、昭和の赤ちょうちん的食堂の人情物語の交わりが絶妙な味わいを醸す。
 韓国、台湾、中国でも評判の作品。
 テレビドラマ化済み(2009年)。

(5)雁屋哲・原作/花咲アキラ・作画『美味しんぼ』
 「Contests Award of Japan Food(日本食・日本食文化表彰)」漫画部門審査委員特別賞。
 第32回小学館漫画賞(青年一般部門)。
 食の蘊蓄を縦糸に、新聞記者とその父(美食家)の親子対決を横糸にする物語。
 食産業を本格的に取り上げた初めての漫画。
 全国の食堂やラーメン屋に一番そろえられている漫画。各地の食を全国に知らしめ、地域の食の切磋琢磨を促した。
 食の安全性などに係る時事性を盛り込んで論議を呼ぶこともあるが、今や食漫画の古典。漫画を通じて食に注目を集めた貢献度は抜群。特別賞が授与されたゆえんだ。
 単行本は1億冊を超え、テレビアニメ化済み、テレビドラマ化済み、映画化済み。
 あげくのはては、連載30周年の2013年に、朝日新聞と読売新聞が「究極vs.至高」のメニュー対決をおこなった。 

□妹尾堅一郎「海外への発信力も抜群 食文化に貢献する漫画 ~戦略思考への鍛え方 新ビジネス発想塾 第82回~」(「週刊東洋経済」2013年12月28日-2014年1月4日号)
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【伯耆】近所の小動物 ~鳥~

2014年01月07日 | 生活


















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【エリック・ホッファー】に関する書評の幾つか ~自伝・大衆運動~

2014年01月06日 | ●エリック・ホッファー
 以下、『エリック・ホッファー・ブック』の「Ⅴ ホッファーを読む」から、書評の二、三を抜粋、要約。

(a) 『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』
  ①立花隆 : 極上の短編小説以上の仕上がり
   めっぽう面白い。彼の人生そのものが、これほど数奇な人生があろうかと思わせるほどに波乱に富んでいるが、それ以上に面白いのが、彼がいろんなところで出会った、数々の特異な社会的不適応者たちの語る自分の人生である。この自伝には、そのような忘れがたい人々との忘れがたい出会いがいっぱいつまっている。その一つ一つが、まるで極上の短編小説以上の仕上がりになっている。
   こういった出会いのすべてが彼の哲学的思索のナマの素材になっている。自分自身がそのような不適応者の一人であり、その不適応者にまじって生きつづける中で、「人間社会における不適応者の特異な役割」という、彼の生涯を通じての思索のテーマを発見する。「人間の独自性とは何か」ということを考えつめていくうちに、「人間という種においては、他の生物とは対照的に、弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ということだと思いあたる。つまり、「弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えている」のである。
   そして、米国を作った開拓者たちも、実は社会的不適応者であったが故に、家を捨て荒野に向かわざるをえなかった放浪者たち(弱者)だった。それが、米国社会の独特の特質をもたらしている、という考察に導かれていく。

  ②御厨貴 : 放浪の哲学を実践する姿
   『大衆運動』(原著:“The True Believer”)を東大の学生時代の1971年に読んで、警句めいた言いまわしの妙に、青年ならではの感受性の故か、惹かれつつもどこかすっきりしない気分が残った。それから30年を経て、ホッファーと再会した。
   カルフォニアでの日銭かせぎの労働と読書と思索が、ホッファーの20歳代の過ごし方である。「歩き、食べ、読み、勉強し、ノートをとるという毎日が、何週間も続いた」「しかし、金がつきたらまた仕事に戻らなければならないし、それが死ぬまで毎日続くかと思うと、私を幻滅させた」
   30歳を前にしての自殺未遂行為。毒を飲み走りながら、ある思いに至る。それを「曲がりくねった終わりのな道としての人生」と悟った時、日雇労働者は死に、放浪者としてホッファーは再生する。そして、カルフォニアの放浪者集団を「社会的不適応者(ミスフィット)」と名づけ、「われわれにとって定食につくということは軋轢を生むこと以外の何ものでもなかった」と記す。
   そして、放浪者と開拓者とのダイナミックな関係性に気づいた時、ホッファーは高らかにこう言い放つ。「人間という種においては、他の生物とは対照的に、弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」「弱者が演じる特異な役割こそが、人間に独自性を与えているのだ」
   放浪に基づく思索の中で、常に導きの糸となるのは、他ならぬ旧約聖書なのだ。「語り手たちによって構想された真実は、真実よりも生き生きとしており、真実よりも真実に近い」とホッファーは述べる。だからこそ、例の弱者は強者に勝つとの文脈において、「『紙は、力あるものを辱めるために、この世の弱気ものを選ばれたり』という聖パウロの尊大な言葉には、さめたリアリズムが存在する」と断定できる。
   総じてホッファーの言葉は簡潔で、もってまわった言い方をせず、わかりやすい。
   小さな本ではあるが、中身はつまっている。米国という移民によって、開拓者によって成立している国でしか、ホッファーのような放浪と独学お哲学者は生まれなかったろう。めめしくなく明るく力強い生き方が、好きだ。

  ③田中優子 : 知性は「学校教育」ではなく「読書」によって鍛えられる
   知性というものはこれほどまでに柔軟で、人間の中に求める強い気持ちさえあれば、いかなる環境、職業、厳しさの中でも得られるものなのだ。知性というものはこれほどまでに自由で、水のように風のように、どんな隙間からでも得られるものなのだ。
   ホッファーの人生には3つの特徴がある。
   一、生涯独身で通した。それによって、誰からも非難されずにずっと放浪者であり続けることができたし、「将来の心配」というものを一度も持たずにすんだ。彼はいつも働いているわけではなく、当分生活ができるとなると、仕事をせずに読書に打ち込んだ。家庭があったら、そういうことはできない。
   二、働きながら、彼は絶え間なく読書し、ものを書き、数学、化学、物理、地理の勉強をし続けた。これらは彼の職業にはまったく関係がないので、職業を得るためでもなければ、将来のためでもない(彼は将来というものをまったく考えない)。この情熱をホッファーは、「筋肉がついてきたという意識が、青年をウェイト・リフティングやレスリングへと駆り立てるように」と表現している。精神が成熟してゆく、思索が構築されてくる、という感覚がホッファーを読書へと駆り立てていったのである。その結果、彼の読書には無駄がなく(暇つぶしではない)、必ず思索へ向かう種類のものだった。
   三、人生の不規則性である。ホッファーは定職を持たなかった。彼は自殺未遂のあと、「労働者は死に、放浪者が誕生した」と書いた。「都市労働者の死んだような日常生活」に終止符を打って、彼は季節労働者として各地を転々とする。そして、その中で頻繁に出会った「社会的不適応者」について考察するようになる。そこにホッファーの独自な思想「弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えている」という観点が生まれてゆくのである。彼はそのことを核にして、のちに社会哲学者になっていゆく。
   人間が強ければ、ほんとうは学校は要らないのだ。「人間」がいて「言葉」があれば、知性はその個々の求める気持ちの強さに応じて身につく。学校という制度が必ずしも知性を育てるわけではない。学校は知に接近する機会にもなるが、知から遠ざかる機会にもなる。
   ホッファーの知性は、学校の学問ではなく読書で鍛えた知性なのだ。

(b) 『大衆運動』
  ①作田啓一 : 恐ろしい書物
   本書で取り上げられている「大衆運動」の範囲は広い。原始キリスト教の運動、宗教改革の運動、フランス大革命やロシア革命、ナチズムの運動、明治以降の日本の近代化をめざす運動など、宗教的、政治的、短期的、長期的の多様な運動を包括する。大衆的基礎を餅、「忠実な信者」が参加するかぎり、すべての運動は「大衆運動」と呼ばれる。「忠実な信者」とは誰か。それは自己に失望し、自己から分離した人間であって、共同行動への参加により、新しい生き甲斐を求めようとする者である。
   では、人どうして自己から分離するのか。集団の一員であるという意識を失った時か。あるいは創造的な仕事や有益な活動ができない時に、人は自己から分離する。そのような人びとは、大衆運動に献身的に参加することで集団所属意識を取り戻し、理想に殉じていると信じることで自己軽蔑から免れる。
   疑問・・・・集団所属が「自己との調査」をかちうる一条件であったとすれば、この条件を失った人が運動体に参加することで回復する自信は、本来の「自己との調和」と同質なものか、異質なものか。
   著者は、この問に対して明確には答えていない。ただ、暗示的な回答はある。運動体の「統一は、忠実な信者の相互の兄弟愛から生まれるものではない。忠実な信者が忠誠を捧げるのは、彼の仲間の信者たちではなく全体--教会や、党や、国家--なのである。個人の間にほんとうに誠実な関係が成り立つのは、ゆるい、そして比較的自由な社会のン間かだけである」
   集団の二類型を体制と関連させる理論は、このように暗示的、断片的にしか語られていない。そのほか重要な理論の断片が、随所に散らばっていて、読者はこの本の中から多くの示唆を受け取るだろう。

□作品社編集部・編『エリック・ホッファー・ブック 情熱的な精神の軌跡』(作品社、2003)
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 【参考】
【ホッファー】エリック・ホッファー・ブック
【言葉】エリック・ホッファーのアフォリズム、その政治学・社会学・心理学 ~『情熱的な精神状態』~
【読書余滴】加藤周一自選集全10巻完結
書評:『波止場日記』

   
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【ホッファー】エリック・ホッファー・ブック

2014年01月06日 | ●エリック・ホッファー
 以下、『エリック・ホッファー・ブック』の構成。

Ⅰ 波止場からのメッセージ --単行本未収録エッセイ
 (a) われわれが失ったもの
 (b) 神と機械時代
 (c) 実用的感覚の勃興と凋落
 (d) イスラエルの特異な地位
  
Ⅱ アメリカ・知識人・教育 --ロング・インタヴュー
 (a) 百姓哲学者の反知識人宣言  聞き手:角間隆
 (b) 学校としての社会に向けて  聞き手:S・エリクソン

Ⅲ ホッファー論
 (a) B・ラッセル : 狂信者はいかにして生まれれるか
 (b) 中本義彦 : エリック・ホッファーとベトナム戦争
 (c) 矢野久美子 : 「オアシス」の呼吸法 --ホッファーとアレーレント
 (d) E・バーディック : 波止場の警句家エリック・ホッファー
 (e) E・フリーデンバーグ : オンリー・イン・アメリカ 

Ⅳ ホッファー頌 --エッセイ・アンソロジー
 (a) 中上健次 : おどろくほど楽天的な随想
 (b) 高橋源一郎 : タカハシさん、哲学する
 (c) 津野海太郎 : 自分用の応援歌
 (d) 群ようこ : 「晴耕雨読」の重み
 (e) ニューヨーカー編集部 : 『トゥルー・ビリーバー』以前のこと
 (g) W・ターナー : 沖仲士の哲学者 80歳の死 

【特別エッセイ】
 (a) 川村湊 : エリック・ホッファーと柄谷行人
 (b) 山城むつみ : ホッファーの言葉

Ⅴ ホッファーを読む
 (a) 『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』
   ①立花隆 : 極上の短編小説以上の仕上がり
   ②御厨貴 : 放浪の哲学を実践する姿
   ③田中優子 : 知性は「学校教育」ではなく「読書」によって鍛えられる
   ④山城むつみ : 開かれた空間で

 (b) 『大衆運動』
   ①作田啓一 : 恐ろしい書物
   ②三浦つとむ : 狂信者の発生を防ぐために
   ③陸井三郎 : モンテーニュにならって

 (c) 『変化という試練』
   ①クリスチャン・センチュリー編集部 : 世俗の説教者

 (d) 『現代という時代の気質』
   ①村井紀 : 本質的な意味をもつ問題提起
   ②高橋徹 : <知識人の時代>としての現代

 (e) 『初めてのこと 今のこと』
   ①柄谷行人 : 常識を持続する知的緊張

 (g) 『われらの時代に』 
   ①R・ホイットモア : ホッファーイズムの発露

 (h) 『波止場日記』
   ①開高健 : 頭の人と手の人の共存
   ②鶴見良行 : 柔軟な好奇心
   ③本間長世 : 労働する思索家の独自性
   ④木島始 : 知識人論への強烈な解毒剤

 (i) 『安息日の前に』
   ①W・バックレー : トゥルー・クエスチョナー

 (j) 『魂の錬金術』
   ①高澤秀次 : 移動し他者と交わる種子のように
   ②清水良典 : 思考の宝石箱
   ③北岡伸一 : 人間心理の奥底を見抜く

 ホッファー略年譜

□作品社編集部・編『エリック・ホッファー・ブック 情熱的な精神の軌跡』(作品社、2003)
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 【参考】
【言葉】エリック・ホッファーのアフォリズム、その政治学・社会学・心理学 ~『情熱的な精神状態』~
【読書余滴】加藤周一自選集全10巻完結
書評:『波止場日記』

   
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【原発】行き場のない廃棄物 ~先送り~

2014年01月05日 | 震災・原発事故
 (1)最終処分場は、原子炉内で生まれた死の灰(「高レベル放射性廃棄物」)が詰まった核のゴミ置き場だ。
 日本は、原発の使用済み核燃料をすべて再処理する方針なので、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す際に生まれる高レベルの放射性廃液をガラスで固めたものが、高レベル放射性廃棄物となる。
 できたてのガラス固化体の表面の占領は、1,500Sv/時。7Sv(人が浴びれば100%死に至る)を20秒ほどで被曝するレベルだ。
 最終処分場では、このガラス固化体を金属製の筒に入れ、地下300mより深い地下に埋める。
 最終処分に係る法律が2000年に制定され、2002年、原子力発電環境整備機構が全国の市町村を対象に受け入れ先の公募を始めた。処分費用は電気料金からまかなわれる仕組みだ。ところが応募はなく、内々に検討していた場所も、東日本大震災で白紙状態に戻った。
 かかる状況を受け、政府は2013年、地層処分の進め方の見直しにカンする議論を始めた。

 (2)地層処分は、ほんとうに有効なのか。
 ことに地震や津波が多い日本のような場所での処分は世界でも例がない。事前の調査で火山や断層を避けるといっても、完全に予測できるほどの技術精度はない。処分場を選定したうえで、安全性を確かめながら勧めていかざるをえない。

 (3)廃炉を進めるにしても、放射性廃棄物の問題から逃れられない。
 日本の法規制では、原子炉の寿命は原則40年。安全基準に合わせた設備投資を検討すると、経済性の見地から廃炉の決断を迫られる原子炉が出てくるのは必至だ。日本も「廃炉の時代」を迎えざるをえない。
 廃炉作業は、運転終了後、使用済み燃料を取り出し、施設内の放射能の分布を確かめ、除染しながら取り壊しを進めていく。基本的な工程は、世界中で同じだ。

 (4)国内の商業炉が初めて廃炉を決めたのは、1998年に停止した東海発電所(茨城県東海村、日本原子力発電)。2001年から廃炉作業を始め、2021年3月までに終了する(予定)。
 廃炉に伴う廃棄物のほとんどは放射性物質で汚染されていないか、線量が一般人の年間被曝限度の100分の1のクリアランス廃棄物だ。法的には、許可を得て一般の廃棄物と同じように処理できる。
 20万トンの廃棄物のうち、低レベル放射性廃棄物は14%程度と目される。

 (5)現行法上、低レベル放射性廃棄物の処分法は3つある。
  (a)浅地中トレンチ処分・・・・放射能レベルが極めて低い鉄骨、コンクリートなどを地表近くに直接埋める。
  (b)浅地中ピット処分・・・・比較的レベルの低い廃液や消耗品などを地下10m程度に埋める。
  (c)余裕深度処分・・・・低レベル放射性廃棄物の中でも比較的レベルの高いものは、十分な余裕を持った深度(地下50~100m)に埋設する。

 (6)ただし、低レベル放射性廃棄物のうち、処分場が決まっているのは運転中の原発から出てくる廃棄物だけだ。(5)-(b)のみ。六ヶ所村にある日本原燃の埋設センターが受け入れている。原発の解体作業で出てくる廃棄物は対象外だ。
 廃炉で出る廃棄物の処分に向けた(5)-(c)の安全性については、基礎的調査は終わったが、どう処分を進めていくかについては決まっていない。
 原子力規制委員会は、2013年、放射性廃棄物の処分について新基準案を整備したが、廃炉に伴う炉内構造物の埋設に向けた基準については「先送り」にした。
 基準が決まらないと廃炉が進められないわけではない。敷地内に保管する方法もある。ただし、地元自治体との兼ね合いから、永遠に「一時保管」することはできまい。

 (7)扱いが決まっていない低レベ放射性廃棄物の「大型機器」はすでに発生している。
 <例1>加圧水型原発で蒸気発生器や原子炉圧力容器で交換された上ぶた・・・・古いものが敷地内のコンクリート製建屋などに保管。
 <例2>ウラン加工施設のウラン廃棄物。
 <例3>研究炉にある廃棄物。
 日本の放射性廃棄物の処分への対応は、パッチワークの連続だった。事業化を見据えた基準はなく、少しでも先のものは、様子見の状態のまま放っておかれてきた。

□服部尚(朝日新聞編集委員)「行き場のない廃棄物」(「AERA」2013年12月30日-2014年1月6日号)に拠る。
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【佐藤優】子どもの教養の育て方 ~21世紀日本の『エミール』~

2014年01月04日 | ●佐藤優
(1)目次
 (a)はじめに(佐藤優)
 (b)この本を手にとってくれた中・高校生のみなさんへ(佐藤優)
 (c)第Ⅰ部 対談「子どもの教養の育て方」
  第1章 「頭のいい子」はどう育つ? ~子どもを本好きにさせるには
  第2章 「勉強のできる子」はどう育つ? ~受験を賢く乗り切るには
  第3章 「やさしい子」「しっかりした子」はどう育つ? ~社会で生き抜く力を育てるには
 (d)第Ⅱ部 「八日目の蝉」で家族と子育てを語る
  第4章 佐藤優、「八日目の蝉」で親子問題を語る
  第5章 座談会「佐藤優×井戸まさえ×4人の女性たち」
 (e)おわりに(井戸まさえ)
 (f)【特別付録①】本書に登場する書籍リスト
 (g)【特別付録②】佐藤さん、井戸さん教えてください! ・・・・子育てにまつわる50の相談

(2)さわり
 【注】以下は、特に断らないかぎり、佐藤優の発言要旨。
 (a)はじめに
 政治に国民の関心が集中すると、経済活動、文化活動が衰退し、社会が閉塞する。日本国家も弱体化する。この負のスパイラルを抜本的に改善するためには、「未来のエリート」の強化に取り組まなければならない。
 今の日本には3つのエリートがいる。
  ①旧来のエリート・・・・古いシステムを動かすノウハウを持っている。公共事業による富の再分配、中央官庁による行政指導による調整。しかしその手法は21世紀には通用しない。
  ②偶然のエリート・・・・政治、社会の混乱期に、急速なキャリア上昇を行った人々。「小沢ガールズ」etc.。破壊力はあるが、複雑な旧来型国家メカニズムを動かす能力もなければ、未来の日本の社会像、国家観を描く力もない。悪いことに、競争が好きだから、パフォーマンスを重視し、ライバルの足を引っ張ることにエネルギーのほとんどを費やしている。
  ③未来のエリート・・・・停滞状況を抜本的に変化させるために創り出すべき存在。

 (c-1)第1章【読書・読む力】・・・・高校生になると、読書能力という点では実はもう大人と変わらない。あとは、どういうものを読ませていくか、という方向性が問題になる。
 高校生と大人が違うのは、学力からすると英語力と数学力くらい。あとは判断力と総合力。高校生に本をすすめるときは、判断力、総合力で大人と違うということを考えたうえで、あまり特定の見解、極端な見解を押しつけるものはよくない。それで刷り込みができてしまうから。バランスを考えて読書しなければならない。そのあたり、大人が丁寧なナビゲーションを考えなくてはならない。

 (c-2)第1章【読書・読む力】・・・・図鑑でも読む訓練になる。ここで重要なのは編集者だ。プロの手が加わった、編集者の手が加わった文章を読む訓練をすることが大切だ。
 編集者はジャッジメントの機能を持つ。基本的に編集者は保守的だ。だから、編集者の手がくっわったものに私的言語は成立しない。言語は公共圏のものだ、という暗黙のルールがあるから。インターネットのブログをいくら読んでも、日本語力は向上しない。

 (c-3)第1章【話す力】<井戸まさえ>・・・・「話す力」は語彙力と直結する。政治家はある意味「話すプロ」だが、スローガンだけ重ねていっても人は振り向いてくれない。そこはいかに「リアリティ」を持たせるか、相手との「共有体験」を引き出すことができるか、そういうことが大事だ。
 それと「ユーモア」。話す場合は、どこかで「笑い」という間がないといけない。その「ユーモア」を適切なときに、的確なボリュームで効果的に使えるかどうかは、大変高度な「教養」が必要とされる。

 (c-4)第2章【大学受験】・・・・文学部で学んだことは、どういうところで役立つか? 未知の問題に遭遇したとき役立つ。<例1>民間の企業に行くとしたら、会社の業績が危ないんじゃないか。<例2>公務員だったら、官製談合を慣習でやっているのはまずいんじゃないか。・・・・そういうとき、どう判断するか。
 それには教養とか、歴史的先例といった感覚が必要だ。大きな意味での論理の力と言ってもいい。
 実学として役立たない勉強をいかにさせるか。換言すると、教養を身につけるということだ。それが将来のエリートになるためには非常に重要だ。

 (d-1)第4章・・・・子育ては親子の問題だが、社会の関係性や構造といったところまで広がりを持っている。むろん親子の問題に還元する傾向が強いが、じつは親も社会の中でいろいろなしがらみの中で生きている。社会とものすごく関係している。

 (d-2)第4章・・・・野々宮希和子は、刑務所から出所したとき、夢も希望もない。お金もない。何一つもってない。そういう状況で、あてもなく歩き、ふと駅前の食堂に入る。そこで一杯のラーメンを心からおいしいと思う。そのところからエネルギーが出てきて、まだ生きていけるような気がしてくる。
 誰か強い男が出てきて助けてくれる、といったような、誰かに助けてもらうのではなく、自分の中から変わっていく力が出てこないと、結局変わっていかない。自分が自分を助ける。こういうメッセージがある。
 お遍路は、自分の外側からの働きかけによって、自らにある内側の力が発現することで、変容していく。これを哲学の言葉では「生成」という。

 (d-3)第5章<今中明子>・・・・(d-2)の「自分の中から変わっていく力」がポイントではないか。どんな状況に置かれても、自分の軸がしっかり形成されていれば、そこから生きていく力が生まれる。あとは「外から促す力」で、いろいろな人との人間関係の中で自分を伸ばしていけるのではないか。

 (d-4)第5章・・・・今の社会を建て直していくとか、自分自身の人生をやり直せるかどうかは、信頼が確立できるかどうかによって決まる。一回崩れてしまった信頼は、同じ人との間では取り戻せないかもしれないけれども、別の人との間で信頼をちゃんと確立することができるかどうか、ということだ。
 そして、その信頼関係は、一回確立すると、伝染していく。人がいろいろいな場で生き残るときのポイントが、信頼のメカニズムだ。
 ただ、それが外に対して開かれていないと、今度はカルト的になる。

 (d-5)第5章・・・・教育の最終的なところは、社会人の教育でも、子どもの教育でも、結局は「信頼醸成」に尽きる。どうやって信頼される人間になるか、あるいは人間を信頼できる人間になるか、というのは、どうやって騙されない人間になるか、ということと「裏と表」だ。信頼について勉強する、信頼関係を構築できる、ということは、だまされない、人をだまさない、ということと合わさっている。
 すると、血がつながっているか、つながってないか、ということは、実は二次的な問題だ。

 (d-6)第5章・・・・インテリになるため、教養をつけるためには、二つの道がある。
 第一、学術。論理によって自分の置かれている社会的な位置を知って、言語化していく。
 第二、小説によって、自分の社会的に置かれている位置を感情で追体験する。

 (g)Q11【ホームステイの経験でよかったこと】<井戸まさえ>・・・・人生は、自分で自分を楽しませる方法、チャンネルをいくつ持てるかで決まる。それが本であり、映画、音楽、友人関係、家族であったりする。そのときに、「自分自身で楽しむ」というのは価値観を変える言葉だった。 

(3)所見
 子育ては、家庭の機能であると同時に、社会の機能である。子どもを持たない佐藤優は、作家として発言することで、佐藤なりに社会の機能を果たしている。本書もその一つ。
 佐藤は、本文でも語るように、次世代への「知の継承」についていつも考えている。それが、子ども向けの本もよく読んでいる理由だ。

□佐藤優/井戸まさえ『子どもの教養の育て方』(東洋経済新報社、2012.12)
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【社会保障】医療・介護改革が本格化 受け入れ体制整備を急ぐ

2014年01月03日 | 医療・保健・福祉・介護
 (1)2014年から、医療・介護を中心とする社会保障制度の見直しが立て続けに進む。
 2013年秋の臨時国会は、本来「成長戦略国会」になるはずだった。が、特定秘密保護法をめぐる喧噪に隠れて、目立たないまま、今後の社会保障制度改革の工程表を定める「社会保障制度改革プログラム法」が成立した。
 その内容は多岐にわたる。負担増、給付抑制を伴う制度改正が多数盛り込まれ、実施時期も明示された。

 (2)介護ではすでに、従来一律1割負担だった自己負担に初の2割負担を導入するなど、制度改正作業が大詰めを迎えている。政府は、2014年1月の通常国会に法案を提出し、2015年4月に施行する方針だ。
 続いて今後、見直しが本格化してくるは医療だ。手はじめに2014年度から、特例で1割に据え置いてある70~74歳の事故負担を、法律どおりの2割に、今後5年間で段階的に引き上げ、年間2,000億円の税金投入を止める。また、高額療養費の上限額を所得に応じて一段と細かく設定、高所得者層の負担を増やす。
 さらに、これからの改革で最も時間が必要になる医療提供体制(病院・病床機能)の見直しに向けては、その土台となる医療法の改正案を22014年度に提出。続く2015年度から、健康保険料の上限額引き上げを始めとする保険制度改定へ一気に駒を進める。
 6年ごとに訪れる診療報酬・介護報酬の童子改定が次に予定されるのは2018年。そこまでに、医療・介護の改革をひととおり完成させるスケジュールだ。

 (3)だが、道のりは坦々たるものではない。
 中でも難航が予想されるのは、高齢者医療支援金に対する「総報酬割」の前面導入だ。現在、75歳以上が加入する後期高齢者医療に対する現役世代からの支援金は、加入者数に応じた「加入者割」が基本だが、これを所得連動の総報酬割に前面転換することがプログラム法に盛り込まれている。
 総報酬割が全面導入されたら、中小企業の負担が軽くなる反面、高資金の大企業の負担は確実に増える。経団連や大企業で作る保険組合は反対している。制度改正が詰めの段階を迎える頃には、抵抗が一段と強まるはずだ。

 (4)世界最速で進む高齢化を背景に、社会保障支出は急増、保険財政も苦しくなる。制度維持のためには、支払い能力の高い層については、ある程度負担を重くしていかざるを得ない。
 だが、今回の社会保障改革は、単なる不乱増ちゃ給付抑制だけではない。医療と介護は、これからの10年間よりも、団塊世代が75歳を迎える2025年から先の10年間のほうが大変だ。
 現在の供給体制のまmでは、特に首都圏や大都市部において医療・介護の受け入れ能力が圧倒的に不足する。
 そのために行われるのが、自治体の権限強化だ。
 医療については、国民健康保険の運営を市町村から都道府県に広げ、病床のコントロールも含めた差配を都道府県に一本化。一方の市町村は、国保の運営責任を緩めることで介護に役割を集中させる。
 要するに、それぞれの地域に合った受け入れ体制となるように、自治体の役割を整理する・・・・これば、負担増に並ぶ、改革のも一本の幹になっている。
 ただし、国保は高齢化によって支払いがかさむ反面、非正規雇用の増加から、収入基盤が細り、赤字が慢性化。こうした赤字体質を解消することが、都道府県に国保の運営を移す前提条件になっている。
 その補填財源を生みだす方策として浮上したのが、「総報酬割」の全面導入だ。これが暗礁に乗り上げるようなことでもあれば、国保の持続可能性が高まらないどころか、2025年に向けた受け皿整備までも頓挫してしまう。
 重要な歯車が一つでも欠けると、改革全体が機能不全に陥る可能性が出てくる。
 今回の改革は。10%消費増税が決まった時点で、大枠が決定づけられていた。誰が政権をとっても逃れられない問題だ。安部政権は、実行力を試される。

□記事「医療・介護改革が本格化 受け入れ体制整備を急ぐ」(「週刊東洋経済」2013年12月28日-2014年1月4日号)
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