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20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

これは分かる1 五十までは練習だった

2019-06-02 16:47:02 | 2019年度雑記
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2019-06-02
これは分かる1 五十までは練習だった(玉置浩二)

玉置浩二がどこで話したか探せませんでしたが、
「五十までは練習だった」
と言ったそうです。
今動画で見る玉置浩二は、安全地帯の頃とは別人です。
数年前から、日本一の歌い手は玉置だ、と周りが書き、
俺が今の日本一だ、と玉置自身が書くのを何度か読みました。
日本一かどうかは分かりませんが、
玉置浩二が本当にやりたいことを始めたように見えます。

歌手で、五十を過ぎても、プロのピークはやってくる。
衰えるだけではない。
経営、組織の統括など、判断力を要する仕事は年をとってできるようになると言われています。
反対にダメになる人は、五十くらいからとことん腐っていきます。
権限を食い物にするからです。

歌手の玉置浩二は歌手で「五十までは練習だった」と自ら言いました。
僕も同じ経験をしました。
五十までは練習だった。よく分かります。

追記)
マイケル・ジャクソンさんと言うDJがいる。問題外。亡くなった人だ。
織田信長さんと言うのと同じだ。
プリンセスプリンセスさんと言うのはセンスがない。偉大なグループだが解散した。
逆に軽く扱っている感じになる。
南波志帆氏は抜群のセンスのDJだが曲紹介で、さん、を使わない。そしてクールで敬意もこもる。
「次の曲は。玉置浩二。ワインレッドの心」

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