Gホテルにて橋本五郎氏の講演があった。
テーマは「どうなる?日本の政治」という内容であった。
1時間30分の中で最も印象的だったのが
我が母親を語るという部分であった。
生まれは秋田の能代。過疎地域で全校児童20名ぐらいの地域だったそうだ。
両親は教師。母親は若くして退職。
その後、生保の外交員をして家計を助ける。
五郎氏は6人兄弟で父親は50数歳で亡くなり
母親が6人の子どもを抱え、朝から夜まで働き
子ども達を大学まで行かせたとのこと。
そんな母親は晩年たった一人でこの地域で暮らしていたらしい。
20年前に脳こうそくで倒れた時、
押入れには風呂敷包みの中に洗面器など入院一式を用意していたとのこと。
子ども達に迷惑をかけないようにいつも身支度をしていたらしい。
真冬でも布団がほせる都会に住んでいて
北国の冬の厳しさ、雪かきなど、地域の協力もあっただろうが
地域格差の現実をまえに政治とは何か、
人として出来ることが政治の力ではないかという旨の話が印象的であった。
テーマは「どうなる?日本の政治」という内容であった。
1時間30分の中で最も印象的だったのが
我が母親を語るという部分であった。
生まれは秋田の能代。過疎地域で全校児童20名ぐらいの地域だったそうだ。
両親は教師。母親は若くして退職。
その後、生保の外交員をして家計を助ける。
五郎氏は6人兄弟で父親は50数歳で亡くなり
母親が6人の子どもを抱え、朝から夜まで働き
子ども達を大学まで行かせたとのこと。
そんな母親は晩年たった一人でこの地域で暮らしていたらしい。
20年前に脳こうそくで倒れた時、
押入れには風呂敷包みの中に洗面器など入院一式を用意していたとのこと。
子ども達に迷惑をかけないようにいつも身支度をしていたらしい。
真冬でも布団がほせる都会に住んでいて
北国の冬の厳しさ、雪かきなど、地域の協力もあっただろうが
地域格差の現実をまえに政治とは何か、
人として出来ることが政治の力ではないかという旨の話が印象的であった。