ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2015-181 阪神大震災から20年に想う

2015年01月17日 | 日記
 1995年1月17日午前5時46分過ぎだった。

あの当時、神戸のホテルオークラの20階に宿泊していた。

激しいドーンと突き上げるような縦揺れで目が覚めた

そのあとグラグラと激しい横揺れ
ベッドからおちそうになるのに必死にしがみついていた。

その後、窓からみえる光景。
高速道路の橋げたが倒され
下の道路は黄いろの点滅が続いていた。

何が起こったのだろう?
テレビもつかない。
しばらくして遠くから黒い煙とヘリコプターが

急いでまだ薄暗い中、20階の階段を下りて行った。
みんなロビーに集まっていた。

外にでてみた。液化現象でぬるぬるだった。

西宮付近を歩いていた。
○○新聞社が何階かわからないほどぺしゃんこに潰されていた。

ガス臭いにおいがしていた。急いでホテルに戻った。
朝、たしか、パンが配られていたように思った。
後で兵庫・淡路島一帯が激しい地震が襲ったのだと知った。

死者約6400人 その後の東日本の震災では約2万2000人 岩手では約6000人亡くなった。
「○○人という数字のうらには一人一人の名前があることを忘れてはならない。」と
あのシベリア抑留詩人の石原芳郎氏の言葉である。

コメント
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