ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2025-30 奥の深い舟越保武作品・・・県立美術館にて

2025年02月06日 | 日記
この美術館の目玉である舟越保武の作品について、具体的に展示をみながらガイドして頂いた。
女性を柔らかい表情で繊細に表現している幾多の像の作品。
完璧主義を求めていたと。それが1つ、萩原朔太郎の遺族の依頼で作成したが何度も駄目出し。
まだ途中でこれでいいのでは、とこの作品を見せたら遺族は満足したと。
やり過ぎて削りすぎることに気づいたとの1つの作品。
代表作、長崎の26殉教者記念像。
秀吉の禁教令により26人の外国人神父と日本人教徒 (6人の宣教師と信徒20人)
が京都から長崎まで1か月歩き長崎の西坂で処刑される。1,597年。
高山右近は石田三成により、除命される。
その一部の4人のレプリカが展示。
歩いて服もボロボロになっていたろうがきちんとした正装。
足がいすれもつま先立ち。いわゆる昇天している姿を表現している。
手や足が1本1本違う。1体ずつ時間をかけて丁寧に仕上げたといわれる。
代表作 原の城
島原の乱で3万7000人死亡。その中で地底から湧き上がる絶望的は鬨の声
保武の作品には実像と虚像の世界を兵士の姿に表している。
一見、埴輪のようにみえる眼がくりぬかれ亡霊の兵士を表現していると。
代表作 ダミアン神父 1975年作品。八年ぐらいかかったと。
ハンセン病患者を前かにして看病して1年後罹患。
ようやくライ患者と同じで目線で語れるようになった、と話していた神父。
その気高さをどう表現できるのか。思い悩みながら表す、血節、血種を顔や手に表す。
生き様が見える「ゴルゴダ」一九九三年、八一歳
保武さんは七六歳で病気で右手が使えなくなる。
その後左手で創作活動に打ち込む。石は硬い大理石からブロンズ像へ
初期の繊細な女性像から晩年の荒々しいそして胸を打つ作品だ。
子の桂氏がこの最後の作品を見て
「これを造るために今まで彫刻をやってきた。」と語ったといわれる。

生き様がダミアン神父と重なって見えた。

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2025-29 ボランティア交流会

2025年02月06日 | 日記
今季最大の大寒波。真冬日が今週末まで続くとは。
出荷のために何時ものルートで走っていたが吹雪で前が見えず。
回りは田んぼ。両はじの目印の赤いポールが分からない。目をこらし数分間運転。
今年初めてのホワイトロック状態。
不要不急の外出?を控え、今日は出荷は休みにした。
その中でも頑張っているエッセンシャルワーカーの方々、くれぐれも気をつけて・・・。

昨日、午後からボランティアガイドの交流会が県立美術館で行われた。参加者20名。
美術館は創立26年。翌年からボランティア友の会が発足。
40名がガイド、読み聞かせ、会報、総務等に分かれて活動。
ガイドの方々は9名とのこと。以前は東京の美術館に出かけて研修を受講したと。
常設展示が萬鉄五郎、松本俊介、舟越保武の3氏の作品解説。
学芸員からの研修を受け、自分なりに感動したこと等、思いを伝えたいと
16年になられたベテランボランティアの方が
参観者には技法など関心がある方もおられ、そういう方々に学ぶ事も楽しみだと。
30分のガイドで心掛けることとして、分からないことは無理に言わない。調べますと。
一緒に見て楽しみませんか、というスタンスで押し付けない事など話しておられた。

共通しているものが多い交流会だった。





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