ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2016-347 復興記念前進座 「怒る富士」、観劇、

2016年07月23日 | 日記
昨日、復興記念事業 「怒る富士」を観劇した。
これは3,11から5年たち復興記念事業の演劇でもあった。
原作 新田次郎

1707年 富士山噴火の被災地の辛苦の道遠い復興。
59箇所の山麓の村は被害が大きく亡所として指定された。

幕府は復興予算として全国から48万両上納させる。
しかし被害が甚大すぎて
実際は1万両も出さなかった。
そして大奥の補修にその半分を費やすのだった。


そして富士山麓は亡所と指定されたのだった。

村々を捨て他の地域に移民させる政策をとった。

しかし諦めず自力で復興を目指す農民たちだが食料も尽き
食するものはなにも無く
とりさえもさっていった。

関東郡代伊奈半左衛門が被災地代官になった。
その代官が農民たちに寄り添い悪戦苦闘しながら
救済米として5000俵ださせたのだった。

しかしその代償として自害を命ぜられる。

それから被災地が完全復興するまで36年の歳月を要したという。

被災地の復興に想いをはせ人道的にふるまった代官の嵐圭史の見事な演技に吸い込まれた。
社会派ストーリーとして見ておきたい演劇であった。



コメント
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