ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2021-104 表示が変更されて

2021年11月18日 | 日記
先日、アピオに田中優子さんの講演を聞きに行く時だった。
余裕をもって出かけたつもりだったが10分話を聞けなかった。
なぜ?
久しぶりにいくアピオ。目的地当たりに到着していたのだが
それらしき看板がないのだ。産業文化センターという看板だ。
何度もそのあたりを走り回っていた。
仕方なく近くのガソリンスタンドに入って聞いた。
「左側にOOという看板があるでしょう。」
その看板は確かにあった。
でも姉妹店と思い別の建物だと思い込みしていた。
そうか、表示が変更されていたのだった。
スポンサー商録によって冠が変更されたのだ。
ようやくいつもの道を走って到着。10分話を聞き逃してしまった。
帰りに事務室で聞いたところ
10月に変更したそうだ。県のホームページに掲載していたと。
産業文化センターという表示残してくれたらこんなに迷わなくてすんだのに。
自分の勘違いを棚に上げていうのもなんだが・・・・・


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2021-103 田中優子さんの講演

2021年11月18日 | 日記
先日、アピオに田中優子さん(法政大学名誉教授)の講演を聞きに行った。聴衆者300人
テーマは女性のちからが社会を変える~真のジェンダー平等とは~である。
彼女が今年の3月に法政大学総長として最後の「学位授与式告示」で話したことが紹介された。
それは2020年11月に起こった事件だった。
バス停で眠っていた60代の路上生活の女性が石を入れた袋で殴られ亡くなったのだった。
女性は非正規で働いていた方で新型コロナ感染拡大のために職を失った。
なぜこのような終わり方を迎えねばならなかったのか。と
人間としての尊厳をもって生きていかれる社会が必要なのだということを話したそうだ。

その後、女性学に移った。
平塚らいていより1歳年下の田中優子の祖母と重ね紹介。
栃木県の作り酒屋に生まれた祖母は日女大を卒業し、ある教師と結婚したが離婚。
横浜で茶屋を経営して3人のこどもの母となる。
それぞれ父親の違う娘3人を末娘の父親が認知。その末娘が田中優子の母なそうだ。
当時、認知する、しないは将来、こどもにとって大きな影響をもっていたようだ。
まだまだ興味深い話しが続いた。樋口一葉の話しは14の日曜日のサンデーMの番組でも
話されていた。最後は憲法改正の危険性にふれ締めくくった。
和服姿の素敵な方だった。



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2021-102 節目の登山

2021年11月16日 | 日記
先日、誕生日を迎えたばかり。久しぶりの晴天だ。
そこで節目に山に登ろうと思い立った。
午前中はいつもの産直へ出荷するため
午後でも登れる地元の標高896mの「くらかけ山」に行った。
頂上にたつと2038mの岩手山の山肌が最も真近に見える場所でもある。
1時に自宅を出た。いつも滑るスキー場の手前のキャンプ場の駐車場に車を入れた。
1時30分、登山開始。コースタイムは1時間30分だ。
スタートしてなだらかな道が続く。夏場はアブがいる場所だ。右側に広大な牧場。
そしてキャンプ場には3組のテント。人気のキャンプ。
5分ぐらいで左手に登山口。やや急な上り坂がしばらく続く。
中腹まで30分、あと1キロの表示。
休まず登り続ける。あと90mの所で木の階段。
ここがきつい最後の箇所だ。
登ったらなだらかな道が続いて頂上にたどり着いた。ノンストップで1時間。
ここから見える岩手山は圧巻だ。
雪を被った岩手山が迫ってくる。夏とはまた別物だ。
静寂の中、大自然に吸い込まれてしまうような感覚に陥る。
その雰囲気に浸り、下山。到着3時30分。2時間あまりの登山だ。
キャンプ場では9組に増えていた。

久しぶりの登山。気持ちいいものだ。
いい気分転換になった。筋肉痛をお土産に。


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2021-101 文化の日にちなんで

2021年11月04日 | 日記
合唱大会の余韻も覚めぬ中、
いくつかの文化施設を巡って文化の日を堪能した。
先ずは原敬記念館へ。
11月4日が暗殺事件があり、原敬、没100年にあたる。
改めて記念館で展示資料を読み直した。
1918年に総理大臣へ。1次世界大戦が11月に終戦 62歳
スペイン風邪が流行して大戦終了ともいわれる。
原もかかったといわれるが、当時マスク1枚20銭。それが40銭で売る輩がおり
とりしまったという記録があった。どこも同じだ。
業績は知るところだが家族として記録をみると
原は50代で離婚して浅という後妻をもらうが子どもがいなかった夫婦は
貢というおいを養子に迎える。
その貢が20歳の時、原は暗殺されるのであった。
その貢は父の日記を「原敬日記」編集して公開するわけであった。
次に先人記念館へ。
ここでは外交官の杉村たかしと陽太郎親子の特集を組んでいた。
新渡戸稲造の後任者として陽太郎が国際連盟で活躍。

最後に隣の県立美術館で芸術に触れ、文化に親しんだ日になった。

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2021-100 うたごえ交流会

2021年11月04日 | 日記
先だって
県内でうたごえ交流会がキャラの小ホールであった。
もちろんマスクをつけての交流会だ。
月に2回程の練習、コロナで中止になったり
おもうような練習ができなかったこの1,2年。
ようやく落ち着いてきたので実施。

リハーサルはその場で1回歌って本番。
出入りをなくす工夫だ。
2時間あまりと時間も短縮しながら行った。

それでも日頃の練習した歌を発表できる場があることはうれしいことだ。

2番目であった。
「海はふるさと」と「平和の子守唄」の2曲。
マスクをしながらも声はしっかり届いていた。
他の合唱団も仕上がりはきれいなハーモニーを奏でていた。

最後に参加者で歌った梅原司平さんの「折り鶴」は最高だった。




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